2026.09.13
先が見えない時代で持つ希望 〜実存的希望という新概念の提案〜
未来が予測できない時代の新しい希望のかたちを「実存的希望」という
新しい概念で整理してくれた、オランダの最新論文。
ー
これまでの心理学の「希望」は、
・目標がはっきりしていて
・そこへの道筋が描けて
・自分で進んでいける
という前提で考えられてきました。
ー
でも、気候変動とか、社会の分断とか、
「未来がどうなるか全然読めない」時代には、
この前提がそもそも崩れちゃう。
目標が描けないんだから、従来型の希望は持ちようがない。
ー
●実存的希望とは
そこでこの研究が提案するのが「実存的希望」。
今がどんなに不穏でも、
「それでも未来に良い人生はありうる」と信じられる心の構え。
中身は3つ。
・実存的信頼:どんな未来かはまだ分からなくても、関わる価値のある未来はある、という信頼
・意味:バラバラの経験の中からでも、意味を紡ぎ直していく力
・主体性:結果が読めなくても、良い方向に動く。時には「待つ」ことも行動のうち
ー
●育てるプロセス
じゃあどうやって育てるの?というと、
・不確実さを受け入れる(分からないのはみんな一緒)
・自分の価値観を言葉にする(先が見えない時こそ、何を大事にしたいか)
・ありえない未来まで想像してみる
・一人で抱えず、人とのつながりの中で向き合う
の4つのプロセスが提案されています。
ー
面白いのが、「なんとかなるっしょ」というナイーブな楽観は、
むしろ社会への関わりを減らすという先行研究。
実存的希望は逆で、現実の厳しさを認めた上での希望なので、
ウェルビーイングも社会参加も高めると予想されています。
ー
先が見えないから希望が持てない、のではなく、
先が見えない時のための希望がある。
不安を消すことより、
不安を抱えたまま、大事にしたい価値に沿って動けること。
そして、それが幸せにつながる😊
ーーー
Toward an integrative psychological framework of existential hope: navigating uncertain futures
実存的希望の統合的心理学的枠組みに向けて:不確実な未来を航行する
Ernst Bohlmeijer(トゥエンテ大学、オランダ)ら
Frontiers in Psychology, 2026/9/10
https://doi.org/10.3389/fpsyg.2026.1850611
予測不能な未来を生き抜くための心理学: 「実存的希望」という羅針盤 気候変動や社会不安の中で、私たちはどう前を向くのか Based on the integrative psychological framework by Bohlmeijer et al. (2026) Gemma Notebook なぜ今、従来の「希望」が 通用しないのか? 気候変動と環境破壊 予測可能な未来の消失 政治的・社会的な分断 経済的な先行きの不透明さ 目標や道筋が明確な状況を前提とする従来の心理学的な「希望」は、 これらが崩壊した未知の領域では機能しません。 2つの「希望」のモデル 目標達成型の希望 実存的希望 前提 未来は予測・統制可能である 未来は根本的に不確実である 有効な状況 目標への道筋が明確な時 既存の枠組みが崩壊し、先が見えない時 焦点 期待する「結果」の達成 「価値」と「意味」の維持 アクション 既知の道筋を辿る 不確実性の中で意味を構築する 実存的希望(Existential Hope)とは何か? 「未来がどうなるか分からなくても、 人生には意味がある。 より良く生きるための行動をとる覚悟。」 ◆◆◆ 単なる楽観主義ではなく、不確実性や脅威の中でも「生の可能性」を信じ、 価値ある未来へ向けた姿勢を保つための心理的基盤。 Gemini Notebook 「実存的希望」を支える3つの柱 実存的希望 1. 実存的信頼 根源的な「生の肯定」 2. 意味 逆境の中で「意味」を再構築する 3. エージェンシー 未知の状況下で「行動」を遂ぶ これら3つの要素が統合されることで、初めて不確実な未来に向き合う力が生まれます。 © Gemesis Notebook 柱1:実存的信頼 根源的な「生の肯定」 「希望への恐怖」を乗り越える 結果が分からないからといって期待を避けるのではなく、不確実な世界であっても「関わる価値のある未来」が存在するという基本的な安心感を持つこと。 Not blind optimism, but a courageous openness to possibility. 柱2:意味 逆境の中で「意味」を再構築する 意味は「見つける」ものではなく「創る」もの 気候変動や社会的危機によって今までの価値観(前提)が打ち砕かれた時、私たちは経験を再解釈し、新たな物語(ナラティブ)を紡ぎ出す必要があります。 現状の「次如」や「痛み」に向き合うことが、より良い未来への切望と意味の源泉になります。 柱3:エージェンシー 未知の状況下で「行動」を選ぶ ケアと連帯 他者や環境への思いやりと許しの実践。 抗議 現状の不条理に対し、倫理的な声を上げる行動。 積極的な忍耐 無理に結果を急がず、機が熟すのを待つという「前向きな柔容」。 結果が予測できなくても、自らの価値観に従って意図的に行動することと自体が、希望の体現です。 絶望を「希望」に変える4つのプロセス Step 1 不確実性の受容 Step 2 価値観の明確化 Step 3 フューチャリング Step 4 関係性の構築 これは単なる順序ではなく、相互に補強し合う実践のサイクルです。 Gemelas Notebook 霧を受け入れ、羅針盤を見る(Steps 1 & 2) Step 1: 不確実性の受容 未知への恐怖や苦痛(エゴ不安など)を避けず、正当な反応として受け入れる。 コントロールを手放す。 Step 2: 価値観の明確化 計画が崩れた時、「自分は何を大切にして生きるか?」という内発的な価値観(成長、ケア、見なおど)を再定義する。 Care Growth Justice Gemma Notebook Step 3: フューチャリング 「予測」を手放し、「想像力」を広げる 予測 フューチャリング 実践法:「未来からの手紙」 望ましい未来がすでに実現したと想像し、そ の未来から現在の自分に向けて手紙を書く。 これにより、既望のナラティブ(物語)を書 き換え、新たな行動のヒントを得る。 確率の高い未来を予測するのではなく、 あり得る複数の未来を想像し、探索する力。 Step 4: 関係性の構築 孤立から「共創」へ 弱さの共有 先が見えない不安を一人で抱え込まず、他者と自己開示し合う。 共通の人間性 苦しみは自分だけの失敗ではなく、人類に共通の体験であると認識する。 連帯と共創 予測不可能な状況下では、個人の能力よりも、互いの存在と繋がりを信じ合う「関係性の力」が希望を支える。 「実存的希望」がもたらす3つの恩恵 1. 心 (Emotional Hope) 前向きな感情、ポジティブな感情が視野を広げ、柔軟な思考と行動を引き出す。 2. 人生 (Psychological Well-being) 心理的ウェルビーイング。危機の中にあっても、人生の目的感、自己成長、自律性を保ち、力強く生きる。 3. 社会 (Civic Engagement) 市民参加と社会貢献。現実逃避せず、仲間と共に環境保護や社会課題解決に向けた行動を起こす。 Genius Notebook 希望は循環する:全体像 漂霧 (不確実性) 信頼 意味 エージェンシー 前向きな感情 ウェルビーイング 社会貢献 関係性 関係性 フューチャリング 好循環 実存的希望は一直線のゴールではありません。行動を起こし、他者と繋がり、社会に関わることで、さらなる「忍耐」と「信頼」が生み出される持続可能なエンジンです。 霧の中で羅針盤を持つということ 「未来がどうなるか、誰にも予測はできない。 しかし、私たちは希望を持って 行動することを選ぶことができる。」 あなたの持つ価値観という羅針盤は、どんな深い霧の中でも、 決してその光を失うことはありません。 Gemini Notebook
【背景】
■1. 出発点:従来の心理学における「希望」理論
▼スナイダーの希望理論(Snyder, 2002)
・ポジティブ心理学における希望研究の中心的な理論
・希望を「認知的・動機づけ的プロセス」として定義
・具体的には2つの信念から成る
・経路思考(pathways):目標に至る道筋を自分で生み出せるという信念
・主体性思考(agency):その道筋を実際に進んでいけるという感覚
・つまり「目標がはっきりしていて、そこへの道を描ける」ことが前提の希望
▼希望がもたらす効果のエビデンス
希望の高さは、以下のような幅広い良い結果と関連することが示されてきました。
・学業成績の向上、問題解決力の向上(Snyder et al., 2002; Marques et al., 2017)
・免疫機能の改善、病気からの回復の早さ(Weis and Speridakos, 2011)
・抑うつリスクの低下、トラウマ後のレジリエンス(回復力)(Chang, 1998)
・人間関係の満足度や職場での機能の向上(Gallagher and Lopez, 2009)
・向社会的行動(他者を助ける行動)との正の相関:ソーシャルサポートの希求、利他行動、地域活動への参加など(Schornick et al., 2023)
この枠組みでは、希望は楽観性(optimism)や自己効力感(self-efficacy:自分はやれるという感覚)と近い概念として位置づけられます(Gallagher and Lopez, 2009)。
ーー
■2. 希望を「感情」として捉える流れ
▼感情としての希望(Miceli and Castelfranchi, 2015; Lazarus, 1999)
・希望を認知ではなく、ポジティブな感情状態として概念化するアプローチ
▼希望と人生の意味(Edwards et al., 2025)
・希望を「意味と関連するポジティブな感情状態」と記述
・希望は「時間を旅する感情」として、目標追求へのフィードバックを与え、長期的な努力を支える
・希望に満ちた感情が、人生の意味(meaning in life)を間接的に予測することを実証
▼多次元的な生命力としての希望(Herth, 1992; Nayeri et al., 2020)
・Herthは慢性疾患や逆境の文脈で希望を研究
・希望を「肯定的な未来志向・つながり・内的な強さ・意味」を含む多次元的な生命力として概念化
・目標志向の思考を超えた、関係的・実存的な側面をすでに指摘していた点で本論文の先駆け
ーー
■3. 問題提起:従来理論が通用しない「根源的不確実性」
▼従来理論の隠れた前提
・認知的アプローチは「未来を思い描け、道筋を特定でき、明確な目標を追求できる」ことを共通の前提としている(Snyder, 2002)
・つまり「予測可能でコントロール可能な時間の流れ」を暗黙に仮定している
・しかし、意味の枠組みや社会秩序そのものが崩れる状況では、この前提が成り立たない(Malboeuf-Hurtubise et al., 2024)
▼根源的不確実性(radical uncertainty)とは
・複雑さ・新奇さ・断絶のもとでは、知識に基づく予測が不可能になること
・哲学・宗教学・経済学・金融論で注目されてきた概念
・例外的な状態ではなく、人間の条件の根本的特徴とされる(Arendt, 1958; Sacks, 2012; King and Kay, 2020)
・気候変動、生態系の劣化、政治の不安定化、社会経済的不安定は、個別の結果を脅かすだけでなく「安定した未来像そのものの成立可能性」を掘り崩す(Macy and Johnstone, 2012)
▼エコ不安(eco-anxiety)の研究
・エコ不安:気候や環境への人間活動の破壊的影響を認識したときに生じる苦悩
・単なるストレス反応ではなく「不確実な未来への構造的に生み出された志向」として理解できる。持続的な心配、悲嘆、道徳的苦悩を伴う(Pihkala, 2020)
・政治的分極化や制度への信頼低下も、予測不能性と集合的協調の低下という実存的経験に寄与(Van Bavel et al., 2024; Mutz, 2024)
▼実存的な希望概念の提案
こうした状況を受けて、研究者たちは新しい希望概念を提唱してきました。
・「忍耐する希望(patient hope)」「批判的希望(critical hope)」(Webb, 2013)
・「ラディカルホープ(radical hope)」(Malboeuf-Hurtubise et al., 2024; Ojala, 2023; Damhof and Gulmans, 2023)
・これらは、特定の目標と予測可能な結果に結びついた従来の希望と異なり、未来への開かれ、不確実性を受け入れる姿勢、不確定な状況でも関与し続けるコミットメントを特徴とする(Webb, 2013)
・しかし、その中核要素・プロセス・帰結を含む包括的な「心理学的」枠組みはまだ存在しない——これが本論文の出発点となるギャップです
ーー
■4. 枠組みの土台となる思想的・心理学的系譜
▼ラディカルホープの原点(Lear, 2006)
・Learは、19世紀の植民地拡大で伝統的な生活様式を破壊されたクロウ族(Apsáalooke)の分析からこの概念を導入
・ラディカルホープ:「まだ十分に概念化できない善き生」への希望。未知の未来を生きるために、新しい価値と意味の形を発明しなければならない状況での希望
・明確な目標や過去の成功モデルに頼らず、慣れ親しんだ構造が崩壊してもなお持続する未来志向
▼実存心理学・人間性心理学の系譜
・Frankl (2006):極限の苦しみの中でも「悲劇的楽観主義(tragic optimism)」——避けられない困難にもかかわらず意味を追求し、人生の価値を保持する能力——を維持できると論じた
・May (1953, 1975):実存的不確実性への「勇気ある関与」を強調。脅威に直面しながらも、人生とその可能性へのコミットメントを選び取ること
・Yalom (1980):心理的苦悩の根源を「究極的関心事」(死・孤独・自由・無意味さ)との対峙に見出し、それを回避せず関与することが真正性と活力を促すと示した
・Becker (1973):人間の行動は死の自覚に形づくられ、人は文化的に意味ある貢献を通じて「象徴的不死」を目指すと論じた。有限性の中で創造性とコミットメントを保つこと自体が実存的希望の表現と読める
▼実存的ポジティブ心理学(PP 2.0)
・Wongの提唱する枠組み(Wong, 2020; Wong and Yu, 2021)
・意味に焦点を当てたコーピング(対処)と目的ある関与が、逆境や実存的不安の中での繁栄(thriving)を可能にすると強調
・上記の著者たちは「希望」を明示的に論じてはいないが、脅威下で主体性・意味・信頼を維持するという強調点は、存在論的希望の中核メカニズムと密接に重なる
ーー
■5. 補足:希望の脆さに関する最新研究
▼希望への恐れ(fear of hope)(Harber et al., 2026)
・希望を感じること自体への後天的な回避傾向
・希望を持つと失望や感情的リスクが伴うため、ポジティブな可能性が残っていても希望的関与を避けてしまう
・この知見は、不確実性と失望のリスクにもかかわらず可能性に開かれ続ける「実存的信頼(existential trust)」の重要性を裏づける
ーー
■まとめ:既存研究から見えるギャップ
・従来の希望理論(Snyder系)は「予測可能な未来+明確な目標」を前提としており、その前提が崩れる根源的不確実性の時代には適用できない
・哲学・神学・実存心理学には、不確実性下の希望を考える豊かな蓄積がある(Lear, Frankl, Sacks, Havel, Marcelなど)
・しかしそれらを統合し、測定・検証可能な形にした心理学的枠組みは存在しなかった
・本論文はこのギャップを埋めるため、実存的信頼・意味・主体性の3要素からなる「存在論的希望」の統合的枠組みを提案する
【研究内容】
■1. 方法:ナラティブレビューによる理論構築
・本論文は実験や調査を行った実証研究ではなく、「仮説と理論(Hypothesis and Theory)」論文
・方法はナラティブレビュー(narrative review:文献を体系的に数え上げるのではなく、テーマに沿って選び、統合的に論じるレビュー手法)
・実存的・認知的・行動的の3つの視点から文献を読み解き、1つの統合的枠組みを組み立てる
・成果物は「枠組み(framework)」:①中核3要素、②それを生み出す4つの適応プロセス、③期待される帰結、の3層構造(論文の図1に対応)
▼存在論的希望の定義
・人生と未来に対する土台的な心理的スタンス
・実存的信頼に根ざし、意味の感覚に支えられ、主体性——不確実性や脅威の中でも人生を良くする方向に行動するコミットメント——として表現される
・現在の状況が良い未来を否定しているように見えても、「未来における善き生の可能性」への信念によって支えられているとき、その希望は「実存的」である
▼「ラディカルホープ」との使い分け
・ラディカルホープ:善の概念そのものが理解不能になり、意味が全面崩壊した状況での希望の保持
・存在論的希望:意味・主体性・信頼が「脅かされているが、まだ失われていない」状況でそれらを維持する力
・本論文は後者を扱うため、existential hopeという用語を採用
ーー
■2. 結果その1:中核となる3要素
▼(1)実存的信頼(existential trust)
・まだ十分に概念化できない「善きもの」への未来志向。不確実性と脅威の下でも、価値と生きるに値する未来の可能性を肯定する姿勢
・宗教的・スピリチュアルなものとは限らないが、そうした実践を通じて育まれることもある
・人生そのものへの超越的なスタンスであり、内容が未知でも「関わる価値のある未来」の可能性へのコミットメント
・思想的背景:Tillichの「究極的関心」、Marcelの実存的希望、Franklのロゴセラピー(意味への意志を中心に据える心理療法)
・Havelの言葉「希望とは精神の方向づけ、心の方向づけであり、直接経験される世界を超えていく」(Havel, 1991)
・従来の希望が「既知の道筋」に依存するのに対し、実存的信頼は価値と可能性への志向を支える心理的な錨(いかり)として機能
・関連概念:希望への恐れ(fear of hope)(Harber et al., 2026)——失望のリスクゆえに希望を避ける傾向。これがあるからこそ、失望のリスクを引き受けて可能性に開かれ続ける実存的信頼が重要になる
▼(2)意味(meaning)
・経験を解釈し、言語化し、有意義さの感覚へと組織化する認知的能力とプロセス
・欠けているもの・壊れているもの(苦しみ、不平等、環境破壊)との対峙から、「違う未来への渇望」として意味が立ち上がることもある(Moltmann, 1967; Bloch, 1995)
・意味には強い物語的(ナラティブ)次元がある:生きられた経験を時間軸上で編み上げることで生じる(Ricoeur, 1992)
・心理学における意味研究との接続
・Wong (2012):意味を一貫性(coherence)・目的(purpose)・重要性(significance)の3次元からなる構成概念とし、苦しみと不確実性の中でのレジリエンスを可能にする価値ベースのシステムと捉える
・Park (2010):意味を「再著述(re-authoring)」——苦痛な経験をより広い信念体系や目標に統合し続ける認知的努力——として概念化
・Janoff-Bulman (1992):「前提の粉砕(shattered assumptions)」理論。トラウマは世界の善良さ・有意味さ・自己価値についての根本的信念を壊すが、適応はその信念の再構築を通じて進む
・存在論的希望における意味は、発見されるものではなく「能動的に再構築されるもの」。一貫性がまだ確立していなくても、曖昧さと開かれを許容しながら意味へと認知的に向かう力
▼(3)主体性(agency)
・深い不確実性と脅威の下でも、意味ある行動を取り、自分の未来を形づくる力
・「行為は意味の織物の中でのみ可能になる」(Han, 2024)
・従来の「定められた目標の達成能力」ではなく、「知りえないものに直面しての希望の実演(enactment)」(Bloch, 1995)
・Sen (1999):主体性を「自分が価値を置く理由のある目標を追求する力」と定義。希望は結果の受動的期待ではなく、未来形成への能動的参加と不可分
・Nussbaum (2011, 2019):人間の尊厳と希望は「価値ある人生を選び取り行動する力」を通じて実現される。希望は「善き世界のビジョン+それを実現しようとする行動」から成る
・行動の具体例:抗議(Moltmann)、ケア・慈しみ・赦しの行為(Dauenhauer; Sacks; Arendt)、倫理的行動、そして「強制せず待つ」という積極的あきらめ(positive resignation)(Crapanzano; Marcel)
・逆説的な性格:「受動的に待つのでも、起こりえない状況を非現実的に強制するのでもない」(Fromm, 1968)。受け取る・待つ・起こらせるという観想的次元も含む(Han, 2024)
・個人の行動に限定されない:集合的行動への参加、他者の行動への信頼、変化の可能性を支える関係への関与としても表現されうる
▼3要素の関係
・実存的信頼が土台:人生に関わる価値があるという基本的信念なしには、意味も行動も生まれない
・意味が橋渡し:価値への漠然とした志向を、明示的な解釈・スキーマ・コミットメントに翻訳し、行動を導く
・主体性は他の2つから生まれ、同時にそれらを強化する
・3つの統合から存在論的希望が立ち現れる。どれか1つだけでは不十分
ーー
■3. 結果その2:4つの適応プロセス
根源的不確実性や実存的脅威の経験を、存在論的希望へと変換する心理プロセスとして、4つが提案されます。
▼(1)不確実性を受け入れる(embracing uncertainty)
・出発点は苦痛の理解:エコ不安は抑うつ・不安症状と小〜大の正の関連(35研究のレビュー:Cosh et al., 2024)
・根源的不確実性は「知らないことを意識的に知っている」という高次メタ認知(自分の認知についての認知)の状態(Anderson et al., 2019)
・未知への恐れは不安症の中核的役割を果たす(Carleton, 2016)。破局的未来を想像する否定的メンタルシミュレーションが媒介しうる
・適応の第一歩は苦痛耐性(distress tolerance:否定的感情を経験し持ちこたえる力)の向上と、不確実性への不耐性(intolerance of uncertainty:不確実な状況に否定的な感情・認知・行動で反応する傾向)の低減
・苦痛耐性の低さはメンタルヘルス問題と一貫して関連(Laposa et al., 2015; Leyro et al., 2010)
・不確実性への不耐性も心理的苦痛と正の関連(Hill and Hamm, 2019; Rettie and Daniels, 2021)
・受容(acceptance)は心理的柔軟性(psychological flexibility)の中核要素:苦痛があっても価値に沿った行動を続けられる力(Hayes et al., 2012)
・有望な戦略:苦痛を「除去すべき症状」ではなく「本当に苦しい現実への健全で釣り合いの取れた反応」として捉え直す(Malboeuf-Hurtubise et al., 2024)。懸念の自覚を真正さと勇気の証として価値づける(Budziszewska and Jonsson, 2021)
・意味焦点型コーピング(meaning-focused coping):問題を扱いやすく捉え直しつつ、困難な感情と支えになる感情(感謝・愛・満足)の両方を認める対処(Ojala, 2012; Hannush, 2021)
・不確実性の効用(驚き、新しい情報への開かれ、自由、早すぎる結論の保留)を学ぶことも可能(Langer, 2023)。「誰も確実には知らない」という普遍的帰属への転換が、不確実性の中での自信を育てる
▼(2)価値の言語化(value-articulation)
・想定していた未来・目標・アイデンティティが崩れると、「確実性がなくても何が意味を持つのか」という問いに直面する
・哲学的議論:深い不確実性の下では、未来を十分に想像できなくても行動を方向づけられる「価値」に希望の根拠を置くしかない(Webb, 2013; Dauenhauer, 1986; Han, 2024)
・つまり不確実性と脅威は、内省と価値明確化の触媒になりうる(Malboeuf-Hurtubise et al., 2024; Ojala, 2017)
・Schwartzの価値理論:価値とは「状況を超えて機能する望ましい目標であり、人生の指導原理」。19の基本価値は「自己防衛的(安全・統制・継続)」から「成長志向的」までの連続体上に整理される(Schwartz et al., 2012)
・成長志向的価値のうち、ケア・信頼性・自然への配慮・寛容といった社会的・超越的価値は、存在論的希望の超越的志向と特に親和的
・ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー:不快な内的経験を排除せず受け入れながら、価値に沿った行動を促す認知行動療法)では、価値へのコミットメントが中心プロセス
・ACTにおける価値の定義:「自由に選択され、言語的に構成された、活動パターンの帰結。活動に意味と方向を与え、それ自体が内発的に動機づける」(Wilson and DuFrene, 2009)
・重要な点:価値は達成すべき「成果」ではなく、生涯にわたり再訪・洗練・実演され続ける「進むべき道」。この開かれた性格が、明確な見通しなしに関与を支える存在論的希望の本質と一致
▼(3)未来する(futuring)
・未来と関わる人間の能力:期待(expectation)・予期(anticipation)・想像(imagination)(Melges, 1982)
・Lewin (1942)の士気(morale)研究が先駆:不確実な状況で行動を維持できるかは、現在を意味ある未来時間展望に結びつけられるかにかかっている
・期待は過去の経験に基づく保守的な認知で、既知のパターンを再生産しがち。対して予期は「まだ現実的でない・十分想像できない可能性」に人を開く(Sools and Mooren, 2012)
・未来リテラシー(futures literacy):複数の可能な未来を特定・探索・航行する力(UNESCO, 2021)。知覚を鋭敏にし、見過ごしていた社会的・物質的世界の側面に気づかせる(Kazemier et al., 2021)——不確実性と脅威がもたらす視野狭窄への対抗策になりうる
・Damhof and Gulmans (2023):一見ありえない・荒唐無稽な未来まで想像を意図的に引き伸ばすことを推奨。「不可能な未来」との関わりは、想像を制約し宿命論を強化している支配的な信念や物語を可視化する。制約的・破局的な物語への執着を緩め、望む未来を想像する力を高めることが、主体性の感覚を回復させる
・Snyder理論との違い:従来の想像は「明確な目標への経路」の生成に仕える。futuringは、望む結果・経路・目標が未確定でも、複数の・曖昧な・根本的に知りえない未来との関わりを可能にする
・物語的未来法(narrative futuring)(Sools and Mooren, 2012):物語ることで複数の可能な未来を構築・検討・リハーサルする方法論
・代表的介入「未来からの手紙」(Sools, 2020):望む未来がすでに実現したと想像し、その未来の視点から具体的な手紙を書く
・Sacksの希望論との共鳴(Hasselaar, 2020):希望は予測でも楽観でもなく「想像的・道徳的主体性の実践」。危機の時代には、過去由来の自己イメージでは足りず、望む未来と自己のイメージを生成し、それに向けてアイデンティティを再定式化する必要がある
・未来志向のイメージと価値に沿って生きる勇気を支えるには、実践と共有された儀式が要る。例として安息日(サバス):宗教的行事というより、集合的省察と未来への注意の更新を支える公共制度、「いまここのユートピア」の実践(Hasselaar, 2020)
▼(4)関係的方向づけ(relational orienting)
・不確実な未来を、孤立した個人としてではなく「他者との関係を通じて」航行する傾向
・Webb (2013):希望は社会的に媒介される人間の能力。忍耐する希望では、人は特定の結果ではなく「共に歩む旅」に信頼を置く
・予測不能なとき、人は予測よりも持続的な関係と相互のコミットメントに頼る(Baier, 1986)。社会的絆が続くのは結果が予測できるからではなく、互いの存在と関与の継続を信頼できるから
・Lear (2006)のプレンティ・クープス(クロウ族の首長)の分析:まだ理解できない未来へのコミットメントは、共同体の実践・語り・倫理的リーダーシップへの継続的参加を通じて実演された。希望は本質的に関係的・共同体的
・Schachter (1959)の古典的知見:曖昧で脅威的な状況では、人は不確実性の低減と感情調整のために他者との交わりを求める(不安と親和の研究)
・Sacksの2つのヘブライ語概念(Hasselaar, 2020)
・エムナー(emunah:信):共感に導かれた関係的な知。信頼と肯定を育む
・ヘセド(chesed:慈しみ):自他を本来的に価値ある存在と見なすコミットメント。親切・ケア・揺るがぬ忠実さとして表現される
・心理学的基盤
・所属欲求は基本的人間動機(Baumeister and Leary, 1995)
・関係性(relatedness)は基本的心理欲求であり、内発的動機・市民的関与・ウェルビーイングを育む(Ryan and Deci, 2000, 2017)
・Brown (2012):つながりとは「見られ、聞かれ、価値を認められていると感じるときに人と人の間に生まれるエネルギー」
・関係的方向づけを促すプロセス
・自己開示(self-disclosure):社会的浸透理論(Altman and Taylor, 1973)によれば、絆は感情的・道徳的に重要な自己の側面を応答的なやりとりの中で段階的に共有することで深まる
・共通の人間性(common humanity)(Neff, 2023a):苦しみや葛藤は孤立した個人の失敗ではなく、人間の条件として共有されているという認識。これが能動的・関係的な思いやり(compassion)へと発展しうる
・応答性(responsiveness)(Reis and Gable, 2015):質の高い関係の中核。理解(相手のニーズ・強み・脆さへの気づき)、承認(相手の経験への敬意)、ケア(相手のウェルビーイングへの感情的投資)の3要素
・ポジティブ感情の共有、感謝の表明、赦しの力も関係を強靭にする(Algoe, 2019; McCullough, 2008)
・存在論的希望における二重の機能
・第一:不確実性と脅威に関わる苦痛を表現し、理解され承認される心理的安全の文脈を提供。そこで価値と望む未来の探索が可能になる
・第二:共有された価値と未来像に基づく集合的行動へのコミットメントを支えるパートナーシップと共同体の形成を促す
▼4プロセスの相互関係
・直線的ではなく、動的・再帰的なパターンを成す
・不確実性の受容が防衛的回避を省察に変える心理的空間をつくる→その空間で価値の言語化が道徳的方向を与える→futuringがその価値の形を可能世界の中で想像的に探索する→関係的方向づけが、苦痛を抱え、価値を交渉し、未来像を集合的に実演する社会的文脈を提供する
・逆向きも働く:関係が不確実性に向き合う勇気を支え、共有価値が集合的想像を導き、想像された未来がコミットメントと絆を強める
ーー
■4. 結果その3:期待される3つの帰結
▼(1)感情としての希望(emotional hope)
・本枠組みでは存在論的希望は感情そのものではなく多次元的な志向だが、そこから希望に満ちた感情やポジティブ感情が生じると想定
・感情的希望:遅延した・不確実な結果に直面しても動機と粘り強さを促すポジティブ感情(Edwards et al., 2024)
・拡張形成理論(Broaden-and-Build Theory)(Fredrickson, 2001):ポジティブ感情は思考-行動レパートリーを広げ(開放性、認知的柔軟性、探索、社会的関与の増加)、時間をかけて持続的な心理的・社会的資源を築く
・存在論的希望が同様の効果を持つか、従来の希望と効果が異なるかは今後の実証課題
▼(2)心理的ウェルビーイング(psychological well-being)
・単に気分が良いことではなく「最適な機能」に関わる概念。自己実現の一形態(Ryff, 1989)
・人生の目的、人格的成長、自律性、環境制御力、自己受容、良好な関係といった次元を含む
・心理的ウェルビーイングは身体的健康、レジリエンス、精神疾患リスクの低下と関連(Ryff, 2014; Ten Klooster et al., 2026; Wood and Joseph, 2010)
・存在論的希望——不確実性下で意味と信頼を維持し、個人的価値に根ざした行動の展望を育てること——は、特に人生の目的・成長・自律性と密接に対応するため、直接的にウェルビーイングを高めうる
▼(3)市民的関与(civic engagement)
・市民が社会状況を改善し共有の未来を形づくるために共同体の生活に参加すること(Adler and Goggin, 2005)。地域奉仕、集合的行動、政治参加(Diller, 2001)、気候文脈では環境配慮行動(Pelletier, 2002)を含む
・市民的関与は心身の健康、集合的効力感、結束型ソーシャルキャピタル(信頼・互酬性・共有規範)と関連(Guo et al., 2017; Collins et al., 2014)
・重要な対比:ナイーブな希望(問題は勝手に解決するという否認的・楽観的想定)は市民的関与と負の関連(Ojala, 2017)
・対して存在論的希望は、現在の脅威を認めつつ望む未来を省察することから生じるため、市民的関与と正の関連が想定される。現状と代替的未来のコントラストが持続的な集合的行動を動機づけうる
ーー
■5. 考察
▼枠組みの動的な性格
・図式は「文脈→プロセス→存在論的希望→帰結」と直線的に見えるが、実際は循環的・相互強化的なフィードバックループとして概念化される
・例:市民的関与や価値駆動の共同体への参加が、関係的方向づけを強め、信頼・主体性・意味の感覚を高める。集合的関与は選んだ価値を再確認し、コミットメントを深める
・希望・感謝・愛といったポジティブ感情も、行動レパートリーを広げ、適応的コーピング・社会的開放性・自発性を育み、それがまた主体性と関係的つながりを強化する
・帰結は結果であると同時に、存在論的希望を維持・深化させる要因でもある。自己強化的なシステム
▼学際性と文化的多様性への留保
・希望は哲学・神学・社会学・教育学・文化研究でも長く研究されてきた
・希望の理解と表現は文化により異なりうる:自己観、共同体、スピリチュアリティ、未来の捉え方の違いを反映(Krafft et al., 2023)
・本枠組みは学際的知見に基づく「心理学的」概念化であり、今後さらに学際的・異文化的対話から恩恵を受けるべきもの
ーー
■6. 今後の実証研究への3つの道筋
▼(1)尺度開発
・存在論的希望の心理測定学的に妥当な尺度の開発が第一歩
・理論駆動(演繹的)と質的インタビュー(帰納的)の両アプローチで項目を生成。特に実存的断絶に直面する集団(気候不安、慢性疾患、文化的周縁化)での内容的妥当性を確保
・因子分析で次元性を確立し、内的一貫性、再検査信頼性を検証
・収束的妥当性(人生の意味、心理的柔軟性、集合的効力感との関連)と弁別的妥当性(楽観性、目標志向の希望、否認型コーピングとの区別)の検証
・年齢層・文化・脅威のタイプを超えた測定不変性の確立が重要:存在論的希望が一般化可能な構成概念か、文脈特異的かを判定するため
▼(2)枠組み全体の実証的検証
・新尺度と既存尺度(知覚された根源的不確実性、4つの適応プロセス、3つの帰結)を組み合わせ、構造的関係を検討
・構造方程式モデリング(SEM:複数の潜在変数間の関係を同時に推定する統計手法)が適する。適応プロセスと存在論的希望が、不確実性・脅威と帰結の関係を媒介するかを検証。競合モデルの適合度比較も可能
・心理測定ネットワーク分析(Epskamp et al., 2018a):諸要素を直接相互作用するシステムとしてモデル化する補完的アプローチ。中心的要素、プロセスと帰結をつなぐ橋渡しノード、相互強化するクラスターを特定できる
・縦断デザインが特に有価値:ランダム切片交差遅延パネルモデル(RI-CLPM:個人内の変数間の相互影響を時間をまたいで検討する手法)で再帰的なフィードバック動態を検証(Hamaker et al., 2015)
▼(3)介入の開発と検証
・ACT:不確実性の受容と価値の言語化を直接扱う確立された療法。不安・抑うつの低減とウェルビーイング向上のエビデンスが豊富(Ferreira et al., 2022; Bohlmeijer et al., 2015; Fledderus et al., 2012)
・コンパッション(思いやり)ベースの介入(Neff, 2023a; Kirby, 2025)
・特に「猛々しい思いやり(fierce compassion)」(Neff, 2023b):境界を引き、不正義に立ち向かい、ケアに根ざした勇気ある行動をとる保護的・行動志向的次元。苦しみを否認も圧倒もされず、変化は可能で価値があると肯定する——ナイーブな楽観ではない強靭な希望を育む
・futuring介入:厳密な想像力と複数の未来シナリオの探索を育てる構造化された物語的エクササイズ(Damhof and Gulmans, 2023; Sools and Mooren, 2012)
・(実存的)ポジティブ心理学的介入(PPI)(Malboeuf-Hurtubise et al., 2024; Wong, 2020)
・味わい(savoring)や感謝の介入:脅威が注意を否定的事象に狭めるのに対し、ポジティブ経験への気づきと増幅を促し、感情的レジリエンスと心理的資源を支える(Bohlmeijer et al., 2021; Watkins, 2014)
・フォトボイス(photovoice):写真を通じた自己表現を促す参加型アートベース実践(Greene et al., 2016)。市民的関与・道徳的省察・社会的アイデンティティ発達を刺激し、意味生成と集合的志向をつなぐ(Strack et al., 2004)
・介入の基本方針:①根源的不確実性と脅威から生じる苦痛を承認・受容しつつ、②価値・未来像・関係的信頼に根ざした信頼・意味・主体性を能動的に育てる、というバランス
・グループ形式が特に有望:意味を共同構築し、共通の人間性を経験し、関係的方向づけが育つ安全な関係空間を提供できる
ーー
■7. 結論
・絶望的な時代には存在そのものが脅かされているように感じられるが、それは勇気ある再想像と、不穏な現在を超える未来への新たなコミットメントを促しうる
・存在論的希望は、苦しみを否認せず、ナイーブな楽観にも頼らない。未来が明確に描けない・脅威的であるときに、信頼・意味・主体性を維持することである
・著者らの知る限り、存在論的希望の統合的心理学的枠組み(構成要素・プロセス・帰結)を提示した初の論文
・概念構造の明確化、測定可能な要素の特定、研究・介入開発の道筋の提示により、体系的研究の基盤を提供
・生態的・社会的・実存的断絶が深まる世界において、存在論的希望の涵養は個人のウェルビーイングを高めるだけでなく、建設的関与と社会変革のための集合的な力をも強めうる
動画解説はこちら
https://youtu.be/kef_YOaKzrI
ショート動画での解説はこちら
https://youtube.com/shorts/Kwrmm48O2Hc
会話形式での紹介はこちら😊
はぴテク相談室:先が見えない不安と、それでも希望を持つ話
https://archive.happytech.co.jp/posts/2026-09-13-1789314360/