2026.10.18

「幸せ」の意味は、この50年で「幸運」から「幸福」に変わった

日本語の「幸せ」という言葉の意味変化についての、日本の最新研究

明治から平成までの新聞・雑誌・小説のコーパス(大量の実例データベース)から、「幸せ」の用例1,289件を分析頂きました。


もともと「幸せ」は「仕合せ」=めぐり合わせ、のこと。
「しあわせが良い/悪い」と言っていたのが、

いつのまにか「幸せ」だけで「運が良い」の意味になった。


で、今回の研究で分かったのは、
「幸せ」という言葉の使用が20世紀後半(1970〜80年代)にドカンと増えて、

その同じタイミングで、意味がさらに変わっていたこと。


戦前の「幸せ」は、
「湯がぬるくて仕合せだ」
「良いお母さんを持って仕合せだ」
みたいに、

外の出来事や他人のおかげで、たまたま都合が良かった=「幸運」が半分くらい。


それが1989年以降は、
「64歳まで好きなことに打ちこんで、幸せな人生でした」
「最後まで第一線記者として働けたことは幸せだった」
みたいに、

自分の行動や生き方で手に入れた満足=「幸福」が8割近くに。


しかも「幸せ」とセットで出てくる動詞も変化。
昔は「書く」「食べる」など日常の動作だったのが、
1981年以降は「生きる」「死ぬ」「叶う」「打ち込む」「愛す」など、

人生や心に深く関わる言葉が4割を占めるように。


つまり日本人にとっての「幸せ」は、
「運よく降ってくるもの」から
「自分で生き方を選んで手に入れるもの」に、

言葉のレベルで変わってきている。という結果。


ちょっとした「仕合わせ」も、
行動や生き方で手に入れる「幸せ」も、

どちらも大切にしていきたいですね😊


近現代における形容詞「幸せ」の意味変化―「ひとごと系形容詞」から「わがこと系形容詞」に―
Semantic Shift of the Adjective ‘Shiawase’ in Modern and Contemporary Japanese
星川睦(明治大学大学院、日本)
国際日本学研究論集 第23号, 2026/9/30
http://hdl.handle.net/10291/0002002856

形容詞「幸せ」の100年変化: 「外側の幸運」から「心の内なる幸福」へ 20世紀後半以降の意味構造の転換 昔・外側の幸運 (Lucky) 令・心の内なる幸福 (Happy) 外界の評価 (ひとこと) 偶然の幸運 与えられた所有 主語を涵養まれ一人称視点がかわない時に、 他者や自然環境による偶然の充足。 受動的な「持つ」 (e.g., 幸運を持つ) 満たされる 「欲求」の高次化 「生死や「精神活動」を 表す言次な動詞が#4節 をもるまでに拡大。 精神活動 Before 1981: After 1981: 物質的・客観的 精神的・主観的 (約4倍) 自己の内面悟情 (わがこと) 主体的達成の幸福 自己獲得した 体験・時間 話者の内面を描く感情容容へ、 自己欲求を優先した肯定感。 能動的な「持つ」 (e.g., 時間を持てて幸せ) 生 幸せ 「幸せ」の進化論 私たちはいつから「運」ではなく、「心」で幸せを感じるようになったのか。 ――コーパス分析が明かす、日本人の価値観のパラダイムシフト―― Gonzo's Notebook 辞書が語る、ふたつの「しあわせ」 偶然のラッキー 「めぐり合わせ。運命。なりゆき。 幸運であること」 『日本国語大辞典』における古語・近代の定義 自己実現のハッピー 「生きる楽しさが感じられる状態。 満ち足りた気持ち」 『三省堂国語辞典』における現代の定義 時代とともに、「幸」という言葉の使い方は、 劇的な変化を遂げていました。 言葉のベクトル:外に向くか、内に向くか ひとごと系形容詞(客観的評価) OUTWARD 他者の視点から見た、環境や状況に対する客観的な評価。 「あいつは幸せだ(=恵まれた環境にいる)」 Lucky(幸運) わかこと系形容詞(主観的感情) INWARD 話者自身が内面で感じている、主観的な感情。 「私は幸せだ(=心が満たされている)」 Happy(幸福) 論文の分析は、この「言葉のベクトル」が歴史の中でどう反転したかを追跡します。 1970年代、「幸せ」の爆発的増加 1900年代前半: 頻度は低く、主に名詞(めぐり合わせ)として使用。 1970年代~80年代: 高度経済成長期を終え、 人々の関心が「物質的な豊かさ」から 「個人の内面」へ向かった時代。 ここで「形容詞としての幸せ」が爆発。 その他の使用 (Other Usage) 20% 80% 形容詞としての使用 (Adjective Usage) その他の使用 (Other Usage) 20% 「幸せ」という感情を言語化する欲求が、20世紀後半に突如として開花しました。 1874 1880 1890 1900 1910 1920 1930 1940 1950 1960 1970 1980 1997 2013 「幸」の頻度 ① 誰が幸せなのか?――「私」という主語の消失 私(I) 私(I) → → 消失 (Disappearance) 一人称主語の使用率の変遷(1925-2013) 100% 80% 60% 40% 20% 0% 1925 1935 1945 1955 1965 1975 1985 1995 2005 2013 ■一人称(表示) ■一人称(非表示) なぜ「私」が消えたのか? 「幸せ」が完全に「わがこと」(主観的感情)として定義したため、わわわざ「私」と言わなくても、話の内側を素すことが明白になったからです。 使用頻度(%) ② 何によって幸せなのか? ―「環境」から「自己実現」へ 1925年の常識 経験者以外 (50%) 「運がよくて仕住ませて」 「天気がよくて仕ませだ」 他者や自然環境などの 外的要因 経験者自身 (50%) 1989年以降の常識 経験者自身 (約80%) 「最後まで第一線で 働けたことは幸せだった」 自身の主体的な 実践や行為 偶然与えられた「外的状況への満足(幸運)」から、自ら成し遂げた「自己欲求の実現(幸福)」へと、幸せの理由が完全に逆転しました。 動詞「持つ」が証明する、受動から能動へのシフト 1895年・過去 「お前は好いお母さんを持って居て仕合だ」 与えられた所有(ambiguous的) 自分では選べない状況(頼ることに対する、受動的な満足感。 2005年・現代 「くしぶりに思いを遂らせる時間が持てて、幸せだった」 自ら闘んだ選得(後天的) 意志を持って自ら獲得した精神的な豊かさ に対する、能動的な満足感。 Trend Note: 20世紀後半以降、単なる「所有」ではなく、自ら「獲得」することに対する満足度が高まっています。 欲求の高度化:より深い実存への到達 1980年代以降に急増 生死・精神活動 (高次欲求) 生きる、死ぬ、叶う、打ち込む、愛す 人生の根源や自己の在り方に深く関わる 事態への欲求。 1970年代以前の中心 物理的・日常的欲求 する、書く、する、食べる 単純な動作や日常的な現象の 成立に対する満足。 現代では、幸せの対象となる動詞の約4割が「生死」や「精神活動」に関するものに。 私たちが幸せに求める基準が、精神的な高みへと引き上げられました。 Gemnas Notebook 価値観のパラダイムシフト 過去 (近代以前~20世紀前半) 現代 (20世紀後半~現代) 言葉が持つ意味 (Meaning) 幸運(Lucky)- 偶然のめぐりあわせ 幸福(Happy)- 内面的な満足感 形容詞の性質 (Linguistics) ひとごこと系- 外界や他者に対する客観的評価 わがこと系- 主体自身の内面化された感情 幸せの発生要因 (Trigger) 環境・他者からの付与(受動的) 自身の行為と自己実現(能動的) 希求する次元 (Desire) 物理的・日常的な事象 生死・精神活動など高次の実存 「幸せ」という言葉の変遷は、日本人が自らの人生の手綱を、 運命から自分自身へと取り戻した歴史の記録です。 T h e I n s i g h t 言葉の変化は、私たちの生き方の変化そのものです。 「幸せ」は、どこかから偶然やってくるものではなく、 自らの手で染き、自らの心で感じるものへと進化しました。 次にあなたが「幸せだ」と感じる瞬間、 それはあなた自身の生き方が実現した証なのです。 Cosmos Notebook 出典・参考文献 本資料は、以下の学術論文の知見を主に一般向けに構成・デザインされました。 星川睦(2026)『近現代における形容詞「せせ」の意味変化 -「ひとごと系形容詞」から「わがこと系容詞」に-』 国際日本学研究論集(JOURNAL OF GLOBAL JAPANESE STUDIES)第23号 発行:昭治大学大学院 (C) Genius Notebook
投稿者による補足(4件)
補足 1

本研究のウェルビーイング小話はこちら😊
はぴテク相談室:「運がいい人」じゃないと幸せになれない?
https://archive.happytech.co.jp/posts/2026-10-18-1792283221/

補足 2

【研究背景】

■ この研究の前提となる背景(既存研究)

▼ 「幸せ」という語のなりたち(辞書の記述から)
  • 「幸せ」は、もともと動詞「為合わす(しあわす)」の連用形(動詞を名詞のように使う形)が名詞化した語で、『日本国語大辞典』(第2版)では、まず名詞として扱われています。
  • 同辞典が挙げる語義は大きく4つで、(1)めぐり合わせ・運命(良い場合にも悪い場合にも使う)、(2)幸運であること・そのさま(形容動詞としての用法や「仕合せする」という動詞用法を含む)、(3)物事のやり方・事の次第、(4)人が死ぬこと・不幸、というものです。初出例は室町期以降のものが示されています。
  • 一方、現代語の辞書である『三省堂国語辞典』(第8版)では、名詞と形容詞(ダナ=「〜だ/〜な」と活用する形容動詞)の用法のみで、動詞用法の記述はありません。「幸福」「満ち足りた状態/気持ち」「幸運」の意味が中心で、「めぐり合わせ」の意味には〔古風〕の注記がついています。
  • 同辞典は、「仕合せがよい」の述語「よい」の意味を主語「仕合せ」が含み込むようになって、「めぐりあわせがよい状態」という用法ができた、という由来も記しています。
  • これらの辞書の記述を突き合わせると、現代語の「幸せ」は、動詞用法や「めぐり合わせ」の意味がほぼ見られなくなり、名詞・形容詞として「幸運」「幸福」の意味で使われている、ということが確認できます。

▼ 「幸せ」は感情形容詞か、属性形容詞か(分類の不一致)
  • 感情形容詞とは「嬉しい」「淋しい」のように話し手の内的な感情を表す形容詞、属性形容詞とは「大人しい」「ぶ厚い」のように人や物の性質を表す形容詞のことです。
  • 形容詞として使われる「幸せ」については、研究者の見解が割れています。国立国語研究所 (1972) は「幸せ」を客観的な性質を表す語(属性形容詞的)としています。
  • これに対し、村上 (2015) は、話者の内的状態を表しうる点から「幸せ」を感情形容詞に分類しています。
  • 本論文はこの不一致について、「彼は幸せだ」という文が、彼の内的な満足感(感情形容詞的)とも、彼の恵まれた状況に対する第三者の評価(属性形容詞的)とも読めることから、「幸せ」が両方の特徴を併せ持つ語であるためだと見ています。

▼ 感情形容詞と属性形容詞のあいだの「ゆれ」をめぐる先行研究
  • 感情形容詞と属性形容詞のあいだで意味が揺れる現象は、「感情形容詞化・属性形容詞化」として、主に現代語の共時的(ある一時点での)観点から論じられてきました。
  • 楊 (2015) は、「難しい顔」「難しい年頃」などの例における「難しい」が、「深刻そうな」「気むずかしくて扱いにくい」といった「人の心理状態・性格」を表すことを指摘しています。
  • 佐々井 (2017) は「切ない」を取り上げ、現代語において「切ない」が、個人的な感情から離れて作品そのものを「切ない」と規定する〈属性形容詞的なはたらき〉を持つと述べています。
  • 歴史的にも、奈良時代の「あわれ(あはれ)」が、感動の意味から対象を気の毒だと評価する意味へ変化した例があり、同様の現象は通時的(時代をまたいで)にも観察できるとされています。
  • ただし、従来の研究は研究者自身の内省(言語感覚による判断)に基づく分析が中心で、内省の及ばない時代の用例を十分に扱うことが難しいという限界がありました。

▼ 「幸せ」の意味変化と現代語での意味に関する先行研究
  • 小野 (1983, 1986) は、「幸せ」が元来「しあわせがヨイ/ワルイ」のように評価語「ヨイ/ワルイ」を伴っていたが、次第にそれらが表示されなくなり、「そちはしあわせじゃ」のように形容動詞として用いられるようになったことで、《良い巡り合わせ》という意味を「幸せ」自体が表すようになったと指摘しています。
  • ただし小野の研究では、「良い巡り合わせ」すなわち「幸運」から「幸福」への意味変化の過程は考察されていません。
  • 坂場 (2020) は、現代の「幸せ」の意味を英語の happy と比較しながら論じ、「幸せ」が「自身の欲求が満たされ、他には何もいらない」という満足感を伴い、「感情主体が、理想的な環境に恵まれ続けていることで欲求が満たされている」ことを表すとしています。
  • 坂場 (2020) はまた、「あんな理解のある奥さんがいて君は本当に幸せだ」のような例について、理解のある配偶者や良い友人に出会うには幸運も必要で自分の制御可能な範囲を超えているため、英訳には happy ではなく lucky や fortunate が当てられる一方、「幸せだ」は自分の意図した通りに事態が運ぶことを必要としないため同じ文脈でも用いられる、と述べています。
  • しかし坂場 (2020) では、「感情主体」や「理想的な環境」が文中のどの要素に対応するかは明示されていません。
  • 本論文は、こうした知見の蓄積はあるものの、それらを統一的な枠組みで捉える試みは十分でなく、とくに近代以降の「幸せ」の意味変化については十分な考察がなされていない、と整理しています。

▼ 分析の観点となる先行研究:[経験者]と[対象]
  • 村上 (2015) は、感情形容詞文において典型的に[経験者]と[対象]が示されることを指摘しています。たとえば「わたしは、彼女のやさしさが、うれしい」では「わたし」が[経験者]、「彼女のやさしさ」が[対象]です。
  • 本論文はこの観点に立ち、坂場 (2020) の言う「感情主体」を[経験者]、「理想的な環境」を[対象]に対応させて捉えています。
  • さらに辞書の記述も参照されています。『新明解国語辞典』(第8版)は「幸せ」の語義に「幸運」「幸福」という類義語とともに「その人にとって」という主体の要素を示しており、『例解新国語辞典』(第9版)は「これ以上のぞむものがなく、じゅうぶんに満足していられる状態」と記述しています。後者からは、「幸せ」な状態の成立に主体の欲求充足が関わることが読み取れます。
  • これらを踏まえ、本論文は「幸せ」を、事態の成立への満足感を表し、その成立には欲求充足の根拠となる状況が関与する語として、[経験者]と[対象]を分析の観点に設定しています。

▼ 分析の枠組みとなる先行研究:渡辺 (1991) の「わがこと・ひとごと」
  • 渡辺 (1991) は、日本語がある事態を、自身への視点すなわち「わがこと」か、外界への視点すなわち「ひとごと」かによって分けられることを論じ、形容詞も「わがこと系形容詞」と「ひとごと系形容詞」に分類できるとしました。
  • 分類の根拠は人称制限(どの人称が主語になれるか)です。「嬉しい」「淋しい」などの感情形容詞は、「私は嬉しい」とは言えるが「*あなた/彼は嬉しい」とは言えないため「わがこと系形容詞」に、「大人しい」「ぶ厚い」などの属性形容詞は、「*私は大人しい」とは言えず「あなた/彼は大人しい」のように二人称・三人称を主語に取るため「ひとごと系形容詞」に分けられます。
  • 同じ「ひとごと系形容詞」でも、「ぶ厚い」のように対象物をまなざす形容詞では、人を主語に取れず「この本は分厚い」のように無情物しか主語になれないことも指摘されています。
  • 本論文は、この人称制限が、形容詞が「わがこと」の事態を表すか「ひとごと」の事態を表すかという視点の違いを反映していると考え、従来「感情形容詞と属性形容詞の区別」として論じられてきた現象を、視点の問題として再整理する枠組みとして有効だと位置づけています。

▼ 「わがこと・ひとごと」の観点と接続する先行研究
  • 李 (2019) は「うれしい」の用法を、被修飾語(「うれしい+名詞」の名詞部分)の視点が一人称的か三人称的かによって区別しています。本論文は、この区別がそれぞれ「わがこと」「ひとごと」として捉え直せると見ています。ただし李 (2019) は被修飾語の分析にとどまっていました。
  • 本論文は、坂場 (2020) の用例についても、「いい大学を出て、いい会社に入って」「身内の愛をいっぱいに受け、何不自由なく」のような自身の経験に関わる事象は「わがこと」として、「あんな理解のある奥さんがいて」「よい友人があって」のような外界の事象は「ひとごと」として整理できる、と述べています。
  • また考察では、川端 (1983) が、情意性形容詞文(感情形容詞文)の述語は「情意の主者を、常に『私』(一人称者)として意味的、関係的に潜ませている」と指摘していることが、[経験者]の一人称が明示されなくなる傾向の解釈と合致するものとして参照されています。

▼ 用いられる資料(コーパス)
  • 分析の資料として、国立国語研究所 (2025) の『日本語歴史コーパス』と、小木曽・近藤・髙橋・田中・間淵編 (2023) の『昭和・平成書き言葉コーパス』が用いられています。コーパスとは、実際の言語使用例を大量に集め、検索できるようにしたデータベースのことです。
  • 『昭和・平成書き言葉コーパス』の設計・構築については、小木曽・近藤・髙橋・間淵編 (2024) に報告があります。
  • これらを用いることで、明治期から平成期までの均質な通時的データが得られ、内省が及ばない時代の用例についても、「わがこと・ひとごと」の観点で用例を弁別しながら通時的変化を検証することが可能になる、というのが本論文の出発点です。
補足 3

【研究内容】

■ この研究のねらい

星川 (2026) の論文は、日本語の「幸せ」という語が、形容詞として使われるときにどのような意味をもち、それが近代から現代にかけてどう変わってきたのかを、コーパス(実際の文章を大量に集めて検索できるようにしたデータベース)の用例に基づいて明らかにしようとしたものです。

鍵になるのは、渡辺 (1991) が提案した「わがこと・ひとごと」という枠組みです。ある出来事を、話し手自身に関わることとして捉えるか(わがこと)、自分以外の外の世界のこととして捉えるか(ひとごと)という視点の違いを指します。論文は、形容詞「幸せ」が「ひとごと系形容詞」から「わがこと系形容詞」へと性格を変えてきた、と結論づけています。


■ 背景:辞書に見る「幸せ」の歴史

  • 「幸せ」はもともと動詞「為合わす(しあわす)」の連用形が名詞化した語で、『日本国語大辞典』では「めぐり合わせ・運命」「幸運であること」「事の次第」「人が死ぬこと(不幸・葬式)」など、良い場合にも悪い場合にも使われた語として記述されています。
  • 一方、現代の『三省堂国語辞典』では、名詞と形容詞の用法のみで、「幸福」「満ち足りた状態」「幸運」の意味が中心です。「めぐり合わせ」の意味は「古風」とされています。
  • つまり現代語の「幸せ」は、「幸運」「幸福」の意味で名詞・形容詞として使われる語になっています。
▼ 問題の所在

形容詞「幸せ」を、感情形容詞(「嬉しい」「悲しい」のように話し手の内面の感情を表す形容詞)とみるか、属性形容詞(「大人しい」「厚い」のように物事の性質を表す形容詞)とみるかは、研究者によって見解が分かれています。国立国語研究所 (1972) は客観的な性質を表す語とし、村上 (2015) は感情形容詞に分類しています。

論文はこの不一致の理由を、「幸せ」が両方の性格を併せもつ語だからだと考えます。たとえば「彼は幸せだ」は、彼自身の満足感とも読めるし、彼の恵まれた状況に対する第三者の評価とも読めます。従来の分類枠ではこの二面性を十分に捉えられない可能性がある、というのが出発点です。


■ 先行研究の整理

  • 小野 (1983, 1986) は、もともと「しあわせがヨイ/ワルイ」のように評価語を伴っていたものが、次第に「そちはしあわせじゃ」のように形容動詞として使われ、《良い巡り合わせ》の意味を「幸せ」自体が表すようになったと指摘しています。ただし「幸運」から「幸福」への変化の過程は扱われていません。
  • 坂場 (2020) は、英語の happy との比較から、「幸せ」は「自身の欲求が満たされ、他には何もいらない」という満足感を伴い、「感情主体が理想的な環境に恵まれ続けている」ことを表すとしました。ただし「感情主体」や「理想的な環境」が文のどの要素にあたるかは明示されていません。
  • 村上 (2015) は、感情形容詞の文には典型的に[経験者](感情をもつ主体)と[対象](感情の向かう先)が示されると指摘しています。「わたしは、彼女のやさしさが、うれしい」なら「わたし」が経験者、「彼女のやさしさ」が対象です。

論文はこれらを踏まえ、坂場 (2020) の「感情主体」を[経験者]、「理想的な環境」を[対象]と対応づけ、この2つを分析の観点として設定します。『新明解国語辞典』の「その人にとって」という記述や、『例解新国語辞典』の「これ以上のぞむものがなく、じゅうぶんに満足していられる状態」という記述からも、「幸せ」には主体の欲求充足が関わると読み取れるためです。

▼ 「わがこと・ひとごと」と人称制限

渡辺 (1991) によれば、感情形容詞「嬉しい」は「私は嬉しい」とは言えても「彼は嬉しい」とは言えず(一人称のみ主語にできる)、属性形容詞「大人しい」は「私は大人しい」とは言いにくく、二人称・三人称が主語になります。この人称制限は、形容詞が「わがこと」を表すか「ひとごと」を表すかという視点の違いを反映している、と論文は捉えます。

また、感情形容詞と属性形容詞の間のゆれについては、楊 (2015) の「難しい顔」などの分析や、佐々井 (2017) の「切ない」が作品そのものを規定する属性形容詞的なはたらきをもつという指摘など、現代語の共時的研究が中心でした。論文は、適切な弁別の観点を設定すれば、こうした現象を通時的変化として検証できると述べています。


■ 調査方法

▼ 資料

国立国語研究所の『日本語歴史コーパス』(明治・大正編の雑誌・新聞・近代小説)と『昭和・平成書き言葉コーパス』(雑誌・新聞・ベストセラー)を使用。語彙素「幸せ」で検索して1,251件を得、振り仮名が「ぎようこう」「ハリ」のものを誤解析として除外し、語彙素「幸福」のうち振り仮名が「しあわせ」のもの41例を加えて、計1,289例を分析対象としました。

▼ 手順
  1. 用例を[名詞][形容詞][その他]に分け、年次別に100万語あたりの相対頻度を算出。
  2. 形容詞用法に絞り、年次ごとにランダムサンプリングで50例ずつ(50例に満たない年は全例)を取り出し、[経験者]と[対象]を選定。
  3. [経験者]は一人称(わがこと)か、二人称・三人称(ひとごと)かで分類。表示されない場合は文脈から判断し、「一人称(非表示)」のように区別。
  4. [対象]は、そこで述べられている動作・事態の主体が[経験者自身]か[経験者以外]かで分類。
▼ 分類の例
  • 「お前は好いお母さんを持つて居て仕合だ」:「持つ」の動作主は経験者「お前」なので[経験者自身]。
  • 「子供や孫・曾孫・嫁達もよくしてくれて幸せに過しております」:欲求を満たしているのは他者なので[経験者以外]。
  • 「筆を持つ娘のいる父親は幸せだ」:「いる」の主体は「娘」なので[経験者以外]。

意味的には似ていても、統語的(文の構造上の)特徴で弁別する立場をとっています。これは、コーパスに基づく追試可能な分析をめざし、分析者ごとの解釈のずれを防ぐためだと説明されています。疑問詞が対象になる例や、「もの」「こと」「気持ち」などの被修飾語は分析対象外としました。


■ 結果

▼ 頻度と品詞の推移
  • 「幸せ」は19世紀末から使用が見られ、20世紀に入ると安定して用いられ、20世紀後期から21世紀初頭にかけて頻度が著しく増加しました。
  • 品詞別に見ると、頻度増加に先立って20世紀前半に形容詞の割合が大きくなり、1997〜2013年には8割近くが形容詞として使われています。このことから、形容詞用法に注目する意義が確認されました。
▼ [経験者]の推移(1925年以降)
  • 二人称は表示・非表示を問わず、どの年代でも割合が小さい。
  • 三人称には明らかな傾向は見出せない。
  • 一人称については、「一人称(表示)」が1965年をピークに縮小し、2005年・2013年には1割ほどになる一方、「一人称(非表示)」の割合が20世紀後半以降拡大しました。この拡大は頻度の増加と連動して生じています。
▼ [対象]の推移
  • 1925年には[経験者自身]と[経験者以外]がほぼ互角でしたが、1957〜1981年には[経験者自身]が安定して6割程度を占め、1989年以降は8割近くに達しました。
  • つまり「幸せ」の頻度が大きく増えた時期と同時期に、[対象]の内部にも変化が生じています。

■ 考察1:「ひとごと系」から「わがこと系」へ

▼ 経験者の変化

「一人称(非表示)」の拡大は、形容詞用法の定着とともに、話者の視点が明示されるのではなく文中に取り込まれるようになったものと解釈されています。これは川端 (1983) が述べる、感情形容詞文の述語が「情意の主者を常に『私』として意味的・関係的に潜ませている」という性質とも合致します。

▼ 対象の変化

[経験者自身]の拡大は、「幸せ」が指す内容が、外界の状況や他者に関わる事態から、経験主体自身に関わる事態へ移ってきたことを示します。

▼ 用例から見える意味の違い
  • [経験者以外]の例:「湯がぬるくて仕合せだ」「大陸風の現はれて居るのは…秋田の進取の爲めに仕合せである」「教へる方は發音が非常に正しくて…習ふ者も仕合せです」。いずれも外的条件が経験者にとって「都合がよい」「幸運」である状況を表しています。
  • [経験者自身]の例:「64歳まで、好きなことに打ちこんで、幸せな人生でした」「最後まで第一線記者として働けたことは幸せだった」。経験者自身の行為や生き方に関わる満足を表しています。

外的条件が満たされる状況は経験者にとって多くの場合偶然であり「幸運」ですが、経験者自ら欲求を満たした場合は必然的で偶然とは言いがたい。このことから論文は、形容詞「幸せ」の意味が、《他者や自然現象等の外的要因によって経験者の欲求が偶然実現された状況に対する満足感》(幸運)から《経験者自ら自身の欲求を実現した状況に対する満足感》(幸福)へ変化したと述べます。これは、分類が揺れていた「幸せ」が、現代語ではより感情形容詞的な側面の強い語として用いられていることを示すものだとしています。


■ 考察2:欲求の内容はどう変わったか

[対象]が[経験者自身]である用例(論文では[対象/経験者自身]と表記)について、その末尾の形式を見ると、名詞23例、形容詞13例に対し動詞が250例と圧倒的に多かったため、動詞に注目して分析しています。

図1 「幸せ」の対象が経験者自身に関わる用例について、その末尾の品

図1 「幸せ」の対象が経験者自身に関わる用例について、その末尾の品詞を集計したもの。動詞で終わる例が250例と圧倒的に多く、名詞23例、形容詞13例を大きく上回ったため、論文は動詞に注目して分析を進めています。
この論文の本文6.2節([対象/経験者自身]の表示形式の整理)の数値をもとに、はぴテックが作図。

▼ 「持つ」の分析

最も多い動詞「持つ」(27例)には意味の違いがあります。

  • 「所有」:「好いお母さんを持つ」「親切な夫を持つ」「良い社員を持つ」。母は先天的(経験者が選べない)、妻や社員は後天的(選べる余地がある)という違いもあります。
  • 「獲得」:「生涯忘れられないような数年間を持てて」「久しぶりに思いを巡らせる時間が持てて」。通常は得がたい精神的な満足感を経験者自身が獲得している例です。
    年次別に見ると、「所有」が中心であり続ける一方で、20世紀後半以降に「獲得」の用法が新たに現れました。「与えられた所有物」への満足感だけでなく、「自ら獲得した状態」への満足感も表すようになったことを示しています。
▼ 動詞全体の分析

「持つ」以外にも、「死ぬ」「生きる」「生まれる」「産む」「逝く」「亡くなる」といった生死に関わる動詞や、「叶う」「恵む」「信心する」「打ち込む」「励む」「愛す」といった精神活動に関わる動詞が見られます。

図2 「幸せ」の対象が経験者自身である用例の末尾に現れた動詞のうち

図2 「幸せ」の対象が経験者自身である用例の末尾に現れた動詞のうち、2例以上見られたものの件数。「持つ」が27例で最多で、「死ぬ」「生きる」「生まれる」「逝く」など生死に関わる動詞も上位に含まれています。
この論文の表1(「幸せ」の[対象/経験者自身]の末尾の動詞のリスト)の数値をもとに、はぴテックが作図。

頻度が著しく増えた1973年と1981年の間で区切ると、

  • 1973年以前にのみ見られる動詞:「する」「書く」「守る」「食べる」など比較的単純な動作。
  • 1981年以降にのみ見られる動詞:「死ぬ」「出会う」「叶う」「恵む」「巡り合う」「信心する」など、生死・精神活動に関わる動詞。
    動詞を「生死」「精神活動」「その他」に分けて推移を見ると、20世紀前半に「生死」「精神活動」の使用が見え始め、1989年や2013年にはその割合が大きく拡大し、全体の約4割を占めました。

表1 「幸せ」の[対象/経験者自身]末尾に現れた主な動詞(用例数2以上)

動詞 用例数(粗頻度) 本文での位置づけ 表2での時期の偏り
持つ 27 最多。「所有」と「獲得」の2つの意味 —
できる 18 — —
いる 7 — —
死ぬ 7 生死に関わる動詞 1981年以降にのみ用例
暮らす 6 — —
する 6 比較的単純な動作 1973年以前にのみ用例
なる 6 — —
出会う 5 — 1981年以降にのみ用例
得る 5 — —
生きる 4 生死に関わる動詞 —

「幸せ」の理由となる事態を経験者自身が行っている用例で、文末の動詞として多く使われたもの。「持つ」が最多で、「死ぬ」「生きる」など生死に関わる動詞も上位に入っている。
注:用例数は論文の表1に記された粗頻度。「—」は論文本文・表2に該当する記述がないことを示す。このほか行く(4)、生まれる(4)、働く(4)、会う(3)、産む(3)、書く(3)、寝る(3)、逝く(3)などがある。
この論文の表1(動詞リスト)、表2(1973年以前・1981年以降にのみ見られる動詞)、6.2節本文の数値をもとに、はぴテックが作成。

▼ まとめ

「持つ」においては受動的な欲求(与えられた所有物)から能動的な欲求(自ら獲得すること)へ、動詞全体においては生死や精神活動といった人生や自己の在り方に関わる高次の欲求へと、共通した方向の変化が認められます。論文はこれを、《経験者自ら自身の欲求を実現した状況に対する満足感》を表す「幸せ」において、経験者が希求する欲求がより高次のものへ変化したことを示唆するものと位置づけています。


■ 結論と今後の課題

  • 形容詞「幸せ」は、近現代において「ひとごと系形容詞」から「わがこと系形容詞」へと中心が移り、意味も「幸運」的なものから「幸福」的なものへ変化した。
  • その過程で、実現を希求される欲求も「生死」「精神活動」に関わるより高次のものへ変化した。

この研究の意義として論文が挙げるのは、[経験者]と[対象]という2つの観点を「わがこと・ひとごと」で分けることで、形容詞の意味変化を通時的に記述する方法を示した点です。感情・属性という固定的な分類枠にとらわれず、個々の用例で述べられる事態が経験者自身に関わるものか、それ以外のものかを問うことで、内的状態と外的事態への評価のどちらを表しているかをより明示的に記述できるようになった、としています。今後は個別の語の分析を積み重ね、近現代の感情形容詞語彙の意味変化をより包括的に明らかにすることが課題とされています。

補足 4

動画解説はこちら😊
https://youtu.be/RCpIACd6NMY

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