「山頂を目指す闘いそのものが、人の心を満たすのだ。シーシュポスは幸福なのだと想像しなければならない」
One must imagine Sisyphus happy.
— アルベール・カミュ 『シーシュポスの神話』(1942)結び
神罰により、転がり落ちる岩を永遠に山頂へ押し上げ続けるシーシュポス。カミュは、この不条理な反復を自覚して引き受けるとき、闘いそのものが充実になると論じた。報われない努力にも幸福は宿りうるという逆説の極点
- 心理学では
- カミュの言葉は、幸福の源を結果ではなく過程への没入に置くもので、心理学のフロー(課題と力量が釣り合い、我を忘れて打ち込む状態)の考え方に重なる。Brickmanら(1978)は宝くじの高額当選者を調べ、大きな幸運を得た後も幸福感がさほど高くないことを示した。達成の喜びは、快楽順応(良い変化にも慣れてしまうこと)によって薄れやすいのである。一方、Csikszentmihalyi & LeFevre(1989)は働く人の日常を経験抽出法(一日に何度も、その時の気分を記録してもらう方法)で調べ、フローにある時ほど前向きな気分が高いことを見いだした。仕事でも家事でも、終わりを急ぐより、いま押している岩の手応えに注意を向けることが、日々の充実につながる。 参考:Brickmanら(1978)「Lottery winners and accident victi…」/Csikszentmihalyi & LeFevre(1989)「Optimal experience in work and lei…」 ↗