マップ4 主体と世界の関係類型——主体と世界はどこまで別か
この地図の結論
「私」と世界の境界の引き方は6通りあり、西洋近代(13項目)は分離型に多く寄っている(分離型8・関係型5)。関係型はプラグマティズム・現代の徳倫理学・アドラー(個人心理学)・ユング(分析心理学)・ポジティブ心理学3.0の5つ。分離型13、関係型21(うち拡張5)、融合型8、非二元型4、自己非実体型1。融合・非二元・自己非実体を合わせた13項目は「自己の境界が薄れる、解ける、あるいは自己の実体性が否定される」幸福であり、これはインド系・道家(老荘)・一神教の神秘主義潮流に集中する。実務上の帰結:現代の幸福尺度が「自己の消失」や「関係のなかで成立する自己」を測れないのは技術的な限界ではなく、尺度が生まれた思想的土壌(分離型)の帰結である。関係型(拡張)=主体を人間の外へ広げる構造は、境界を溶かす方向とは別物であり、先住民系の幸福観を「神秘主義(神や究極の実在との直接的な合一を目指す考え方)」として読むと誤る。並び順は尺度ではないため、「非二元型が進んでいる」という読みも成り立たない。
「主体と世界(他者・自然・神)はどこまで別のものか」を類型化した。仏教の無我(永続する「私」という実体はないとする仏教の考え)、ヒンドゥー(ヴェーダーンタ)の梵我一如(宇宙の根源=ブラフマンと自己=アートマンは同一だとする考え)、道家(老荘)の「吾喪我(「私が私を失う」=小さな自我から離れた状態。荘子)」、スーフィズムの fanāʾ(自我が神のうちに消えること)、新儒教の万物一体は、いずれも「自己観」列に散在していたが、類型に落とすと分布がはっきりする。これは順序尺度(大小の順序はあるが間隔が等しいとは限らない目盛り)ではなく類型である。下の表の並び順は説明の便宜であり、「分離型より非二元型が進んでいる」という読みも、発達段階との対応も含意しない。とくに「関係型(拡張)」は主体の境界を溶かす方向ではなく、主体の側を人間の外まで広げる別の構造である。
| 類型 | 意味 | 該当 |
|---|---|---|
| 分離型 | 主体と世界を別個の実体とみなす | ジャイナ教(魂は無数の個別実体)/プラトン/アリストテレス/エピクロス派/キュニコス派・ピュロン主義/功利主義/カント/ニーチェ/実存主義/ポジティブ心理学1.0(測定単位は個人)/ポジティブ心理学2.0(自己超越を含むが単位は個人)/ケイパビリティ(その人が実際に選べる生き方の幅)/世俗的人文主義 |
| 関係型 | 主体は関係のなかで構成されるが、区別は保たれる | 儒教(原始)/神道/ユダヤ教/キリスト教主流/イスラム教/ヒンドゥー(ギーター)/仏教(浄土:凡夫と仏の区別を保ったまま本願の関係に立つ)/仏教(日蓮:個人の信と国土が不可分)/ポジティブ心理学3.0(個人はシステムに埋め込まれる。自然を含む志向で関係型(拡張)に接近)/ストア派(ロゴス〔宇宙を貫く理性〕の共有=世界との連続性だが、主客の境界は溶けない)/プラグマティズム/現代の徳倫理学/アドラー(個人心理学)/ユング(分析心理学:個性化〔意識と無意識を統合して自分本来の全体になっていく過程〕の過程では主体と世界の区別が保持される。unus mundus〔「一なる世界」=心と物質の根底にある一つの世界〕 は形而上学的〔世界の根本的な在り方についての哲学〕背景)/Ubuntu(「人は他者を通して人になる」という南部アフリカの人間観)/アフリカ哲学の共同体主義 |
| 関係型(拡張) | 関係の担い手を人間の外(動植物・土地・祖先・カムイ〔アイヌの世界観における神々。熊・火・道具なども含む〕)まで広げる | 先住民的世界観(総論)/スマック・カウサイ/マオリ/アイヌ/北米先住民(Hózhó/Mino-Bimaadiziwin) |
| 融合型 | 主客の境界が薄れ溶けるが、消えはしない | 新儒教(万物一体)/道教(身体=小宇宙)/密教・チベット仏教(本尊不二〔行者と本尊=念じる仏が一つになること〕)/シク教(水に溶ける水)/キリスト教観想的思想(theosis〔神化=神に似た者になること〕)/カバラ・ハシディズム(bittul〔自我の無化〕)/スーフィズム(fanāʾで一度消え、baqāʾ〔神のうちに存続すること。fanāʾの後に区別が回復する段階〕で区別が回復する二段構造。主流神学は創造主〔世界を造った神〕/被造物〔神によって造られたすべてのもの〕の区別を保つ)/修験道(身体=山=曼荼羅〔仏の世界を図にしたもの〕) |
| 非二元型 (自己境界の解除) | 主客の区別そのものが消える | 仏教(大乗:法無我〔人だけでなく物事にも固定した実体はないとする大乗の考え〕・不二)/禅(身心脱落〔身も心も抜け落ちる、道元が悟りを表した語〕)/ヒンドゥー(ヴェーダーンタ:梵我一如)/道家(老荘:吾喪我・物化) |
| 自己非実体型 | 永続する自己実体を否定するが、主客の合一は語らない | 仏教(上座部:無我 anattā〔無我〕。五蘊のどこにも「我」を見出さないという否定であり、内外の区別自体は用いられる。非二元論とは別の構造) |
読み取れること
・「非二元型」はインド系(仏教(大乗)・ヒンドゥー(ヴェーダーンタ))と道家(老荘)に集中し、「融合型」は東アジアと一神教の神秘主義潮流に、「関係型」は一神教の主流・儒教・ストア派・アフリカ系に、「関係型(拡張)」は先住民系に、「分離型」はギリシャ哲学と西洋近代に集中する。仏教(上座部)は「無我」を主客の非二元と同一視しないために「自己非実体型」として分けた。西洋近代の思想はほぼ例外なく「分離型」である。これは現代の幸福尺度がすべて個人を回答単位とすることの思想的背景でもある。
・仏教(同一視すべき自己が見出せない、という否定)とヒンドゥー(ヴェーダーンタ:大きな自己が残る、という肯定)は千年以上論争を続けた対立関係にある。仏教(上座部)を「自己非実体型」に分けたのはこの対立を類型に反映するためで、仏教(大乗)の「不二」は否定の作法を保ちつつ主客の区別自体を空じるため非二元型に残した。隣接する類型に入ることが同型性を意味しない。
・一神教の神秘主義は三つとも「融合型」に置かれるが、(a)自己が最終的に消えるか (b)被造物と創造主の区別が保持されるか (c)律法の位置づけ、の三点で異なる。スーフィズムだけが一度「非二元」を通過して区別を回復する二段構造をもつ(初版では非二元型に置いたが、baqāʾでの回復を重く見て融合型に移した)。
・「関係型(拡張)」の5行は、主客の区別を溶かすのではなく、「主体」の側を人間の外まで広げるという第三の道である。これは「非二元型」とも「融合型」とも構造が違うため、独立の類型として立てた。
・「非二元型」はインド系(仏教(大乗)・ヒンドゥー(ヴェーダーンタ))と道家(老荘)に集中し、「融合型」は東アジアと一神教の神秘主義潮流に、「関係型」は一神教の主流・儒教・ストア派・アフリカ系に、「関係型(拡張)」は先住民系に、「分離型」はギリシャ哲学と西洋近代に集中する。仏教(上座部)は「無我」を主客の非二元と同一視しないために「自己非実体型」として分けた。西洋近代の思想はほぼ例外なく「分離型」である。これは現代の幸福尺度がすべて個人を回答単位とすることの思想的背景でもある。
・仏教(同一視すべき自己が見出せない、という否定)とヒンドゥー(ヴェーダーンタ:大きな自己が残る、という肯定)は千年以上論争を続けた対立関係にある。仏教(上座部)を「自己非実体型」に分けたのはこの対立を類型に反映するためで、仏教(大乗)の「不二」は否定の作法を保ちつつ主客の区別自体を空じるため非二元型に残した。隣接する類型に入ることが同型性を意味しない。
・一神教の神秘主義は三つとも「融合型」に置かれるが、(a)自己が最終的に消えるか (b)被造物と創造主の区別が保持されるか (c)律法の位置づけ、の三点で異なる。スーフィズムだけが一度「非二元」を通過して区別を回復する二段構造をもつ(初版では非二元型に置いたが、baqāʾでの回復を重く見て融合型に移した)。
・「関係型(拡張)」の5行は、主客の区別を溶かすのではなく、「主体」の側を人間の外まで広げるという第三の道である。これは「非二元型」とも「融合型」とも構造が違うため、独立の類型として立てた。