世界の思想と宗教の幸福観マップ

← 17のマップ一覧

マップ5 生きとし生けるものの幸せ——道徳的配慮の範囲

この地図の結論
人間以外の存在を配慮の範囲に含める思想は、インド系と先住民系に集中し、西洋では功利主義だけが中核に置く。◎12/○20/△13/×2。ギリシャ哲学の「人間に固有の機能」という出発点そのものが配慮の範囲を人間に限定する構造をもち、それを引き継ぐ西洋近代の大半が△に入る。一神教の主流は「人間だけが神の像」という構造で○にとどまり、その内部潮流(観想〔静かに神や真理を見つめる祈り〕・カバラ・ハシディズム・スーフィズム)で範囲が広がる。
実務上の帰結:配慮の範囲の広さは、主体と世界の関係類型(マップ4)とは独立の軸である(ジャイナ教は分離型のまま最も徹底した◎)。「生きとし生けるものの幸せ」を扱うには、個人の主観的幸福とは別の測り方——道徳的配慮の範囲(モラルサークル〔誰の・何の幸不幸を自分の問題として数えるかの輪〕)の広さ——が要る。
この地図の目盛りの定義

◎○△×の件数は「47の思想をこの見方で分類した内訳(=見方の多様さ)」であって、実証研究の裏づけや、思想の優劣を表すものではありません。

目盛り定義
生きとし生けるもの人間以外を含むすべての生きもの。この語自体は『古今和歌集』仮名序に由来する日本語
判定基準「幸せを願う」という福祉語彙を各思想に翻訳して当てはめるのではなく、その思想が人間以外の存在(動植物・土地・祖先・カムイ〔アイヌの世界観における神々。熊・火・道具なども含む〕など)を道徳的・関係的配慮の範囲に含むかで判定する
◎ 中核人間以外の存在への配慮が、複数の主要典拠・実践体系で中心的に扱われている
○ 明示的だが差等・限定あり配慮は明示されるが、人間との差等がある、特定の存在に限られる、あるいは一つの典拠・一人の論者に依る
△ 人間中心道徳的配慮の範囲が基本的に人間に限られ、人間以外は間接的にしか扱われない
× 主題化されない人間以外の存在への配慮が主題として現れない

この軸の判定基準は「その思想が、人間以外の存在を道徳的・関係的配慮の範囲に含むか」である。「幸せを願う」という福祉の語彙を各思想に翻訳して当てはめるのではなく(アイヌのカムイとの互酬や先住民の土地・祖先との関係は「動物の幸福を願う」という西洋的な福祉概念では歪む)、配慮の範囲の広さで判定する。◎の要件は「一つの典拠に明示」ではなく「複数の主要典拠・実践体系で中心的」とした。「生きとし生けるもの」という語自体が『古今和歌集』仮名序に由来する日本語である点は興味深い。

判定数該当
◎ 中核12仏教(上座部:四無量心〔慈・悲・喜・捨の四つの心をすべての生きものに向ける瞑想〕)/仏教(大乗:一切衆生〔生きとし生けるものすべて〕)/禅/密教・チベット仏教(四無量心の祈願「一切有情〔心をもつ生きものすべて〕が幸せと幸せの因を具えますように」——「生きとし生けるものの幸せを願う」という語の直接の源泉。菩提心〔すべての生きもののために悟りを目指す誓いの心〕・トンレン〔他者の苦を吸い込み幸せを送り出すチベットの呼吸瞑想〕・放生〔捕らえられた生きものを買い取って逃がす功徳の行〕)/ジャイナ(ahiṃsā〔不殺生=いかなる生きものも傷つけないこと〕はnigoda〔ジャイナ教が想定する最も微細な生命体〕まで。最も徹底)/新儒教(万物一体の仁〔天地万物を自分の身体のように感じる思いやり〕——張載『西銘』・程顥・王陽明『大学問』に一貫)/功利主義(ベンサム「苦しむことができるか」——西洋近代で唯一)/先住民的世界観(総論)/スマック・カウサイ(Pacha Mamaとの ayni〔互いに与え合う互酬の原理〕)/マオリ(te taiao〔自然環境〕の福利が人間に先立つ)/アイヌ(カムイとの互酬)/北米先住民(Hózhó/Mino-Bimaadiziwin:Mitákuye Oyás'iŋ〔「すべては私の親族」。ラコタの祈りの句〕。複数のネイションをまとめた行であり一般化のリスクは残る)
○ 明示的だが差等・限定あり20仏教(浄土:本願は一切衆生を対象とするが実践の焦点は人間の凡夫)/仏教(日蓮:一念三千・草木成仏を継承するが立正安国の焦点は人間の国土)/ポジティブ心理学3.0(生態系のウェルビーイングを射程に含むが、人間の幸福の条件として)/ヒンドゥー(ヴェーダーンタ:一切が愛しい、だが「願う」より「同一と知る」)/ヒンドゥー(ギーター:5.25・12.13の明示はあるが中心主題ではない)/シク(sarbat dā bhalā〔「万人あるいは万物の幸い」。シク教の祈りの結びの句〕 の範囲が「万人」か「万物」かで割れる)/儒教(原始:親親→仁民→愛物の差等)/道家(老荘:願うより妨げない)/道教(仙道貴生〔仙人の道は生命を尊ぶ、という道教の言葉〕・放生)/神道(供養。教義化されていない)/修験道(山を仏の身体として扱うが、修法の焦点は人間の現世利益)/ユダヤ教(tzaʿar baʿalei ḥayyim〔動物に苦痛を与えることの禁止〕)/カバラ・ハシディズム(火花は万物に)/キリスト教主流(stewardship〔神から預かった被造物の管理責任〕、『ラウダート・シ』)/キリスト教観想的思想(イサク・シリアは突出した典拠だが、思想全体の中心は theosis〔神化=神に似た者になること〕)/イスラム教(raḥmatan lil-ʿālamīn〔「諸世界への慈悲」=預言者は全存在への慈悲として遣わされた〕)/スーフィズム/現代の徳倫理学(ハーストハウスの動物倫理)/ケイパビリティ(ヌスバウム版に固有。センを含む全体の中心教義ではない)/世俗的人文主義(2022年宣言)
△ 人間中心13ポジティブ心理学1.0(関係 R は人間関係)/ポジティブ心理学2.0(自己超越の対象は人間の共同体・価値)/プラトン/アリストテレス(「動物は人間のために」)/ストア派(oikeiōsis〔身内と感じる範囲を自分から人類へ広げていく過程〕は人類まで)/エピクロス派(契約できない者は正義の外)/キュニコス派・ピュロン主義/カント(動物への義務は間接的)/プラグマティズム/Ubuntu(人格論。ただしMurove・Metzが拡張)/アフリカ哲学の共同体主義(ukama〔人・祖先・生態系まで広がる関係性〕の拡張はあるが古典的共同体主義の中心は人間の人格)/アドラー(個人心理学:共同体は「宇宙」に及ぶとされるが実質は人間)/ユング(分析心理学)
× 主題化されない2ニーチェ(同情道徳批判)/実存主義
読み取れること
・◎はインド系・東アジアの一部・土着思想に集中し、△はギリシャ哲学とカント以前の西洋に集中する。ギリシャ哲学の「人間に固有の機能」という出発点そのものが、配慮の範囲を人間に限定する構造をもっていた。
・西洋で◎になるのは功利主義(快苦を感じる能力を基準にしたことで種の壁を越えた)だけである。ケイパビリティ(その人が実際に選べる生き方の幅)はヌスバウム版なら◎だが、センを含むアプローチ全体としては○にとどめた。どちらも「人間の本性」ではなく「感じうること/なしうること」を基準にした点が共通する。
・「非二元型」「自己非実体型」の関係類型(マップ4)と◎はほぼ重なるが、例外がある。ジャイナ教は「分離型」でありながら◎の最も徹底した例であり、功利主義も「分離型」で◎。配慮の範囲の広さは、主体と世界の関係類型とは独立の軸である。
・一神教の主流三思想がいずれも○にとどまるのは、人間だけが「神の像」「khalīfa(管理者)」であるという構造による。しかしその内部潮流(キリスト教観想的思想・カバラ・ハシディズム・スーフィズム)では範囲が広がる。
・この軸は「モラルサークル(道徳的配慮の範囲=誰の・何の幸不幸を自分の問題として数えるかの輪)」の研究に直接接続する。この列は、その輪の広さを47の思想について測ったものにあたる。
コラム 「生きとし生けるものの幸せ」の言い回しから、自分に近い思想を探す

「生きとし生けるものの幸せを願う」と一口に言っても、人によって自然に出てくる動詞と目的語は違う。「調和を願う」人と「幸せにする」人では、関係の結び方(マップ4)も能動性の度合い(マップ6)も異なる。ここでは、この軸を語るときに実際によく現れる9つの言い回しを取り上げ、それぞれがどの思想の幸福観に最も近いかを、本マップの分類に沿って示す。自分の言い回しに近いものから、各思想のカードを読む入口として使ってほしい。

この言い回しがしっくりくる人には近い思想理由
生きとし生けるものの調和を願う北米先住民(Hózhó/Mino-Bimaadiziwin:Diné の hózhó〔美・調和・均衡を一語で表すディネの概念〕)/次点:新儒教(万物一体の仁)hózhó は「美・調和・均衡」を一語で表し、人も土地も祖先も「すべては私の親族」として結ばれた全体の調和が善とされる。不幸は hóchxǫ́(不調和)で、治療儀礼は個人ではなく調和を回復する。「秩序としての調和」の語感なら新儒教、「生きた均衡としての調和」なら hózhó
生きとし生けるものの命が輝くことを願う神道中心語は「産霊(むすひ)」=生成する霊力。「さきはひ(幸い)」の語源は「咲き映え」、つまり命が繁茂して輝くこと。穢れを祓って本来の生成力を回復するモデルがそのまま対応する。生命力・身体型の道教も近いが、道教は自分の身体の生命力が中心なので、他者の命の輝きを願う語感には神道が合う
生きとし生けるものの共生/繁栄を思い描くマオリ(Te Whare Tapa Whā〔身体・心・家族・霊性の四本柱を家にたとえたマオリの健康モデル〕)/スマック・カウサイ(ブエン・ビビール)「思い描く」が鍵。人・家族・土地(te taiao)の福利を一つの家の四本柱として描き国家の保健政策にまで実装したマオリと、人・共同体・自然(パチャママ〔母なる大地〕)の釣り合いを憲法に書き込んだアンデスは、いずれも願うだけでなく制度として構想した思想
生きとし生けるものの安らぎを保つ仏教(上座部)「保つ」という静かな動詞。涅槃(煩悩の火が消えた安らぎの境地)は寂静(santi)であり、四無量心の四つ目「捨(upekkhā)」は、あらゆる生きものに対して揺れずに平静を保つ心。願って動かすのではなく、乱さない・保つ方向。哲学側ではストア派の不動心(何が起きても心が乱れないこと)が近いが、配慮の範囲が人類までなので、生きとし生けるものまで含めるなら仏教(上座部)
生きとし生けるものの安寧を願う密教・チベット仏教(四無量心の祈願)/次点:イスラム教(salām〔平安〕・sakīna〔神から下される平静〕)「一切有情が幸せと幸せの因を具えますように、苦と苦の因を離れますように」——この軸の言葉の直接の源泉であり、「願う」という動詞と「安寧」という目的語が一致する。安寧を神から与えられるものとして願う語感なら、salām(平安)と sakīna(下される平静)を中心語とするイスラム教
生きとし生けるものと共鳴する、溶け合う新儒教(陽明学〔王陽明を祖とする新儒教の一派。心がそのまま理だとする〕の万物一体)/スーフィズム関係類型で「融合型」を選んでいる。『大学問』は、他の生きものの痛みが自分の痛みとして共鳴することを「天地万物を一体とする仁」と呼ぶ。「溶け合う」まで行くなら、自我が神のうちに消え(fanāʾ〔自我が神のうちに消えること〕)その後に区別が回復する(baqāʾ〔神のうちに存続すること。fanāʾの後に区別が回復する段階〕)スーフィズム。「共鳴する」の手前で止まるなら新儒教
生きとし生けるものと共生する、共にあるアイヌの世界観/先住民的世界観(総論:関係型・拡張)溶け合うのではなく、境界を保ったまま関係を結ぶ型。カムイ(熊も火も道具も)は人と対等な存在で、互いに贈り合う互酬関係のなかで共にあり、イオマンテ(熊の霊をカムイの世界へ送り返す儀礼)はその関係を更新する儀礼。人間どうしの「共にある」なら Ubuntu(「人は他者を通して人になる」という南部アフリカの人間観) だが、対象が人間の外まで広がるならアイヌ・先住民系
生きとし生けるものの良さを大切にするジャイナ教/次点:ケイパビリティ・アプローチ(ヌスバウム)一つひとつの存在に固有の価値を認めて傷つけない、という語感。ジャイナ教は一つひとつの魂(jīva)を独立の実体として尊重し、微生物に至るまで傷つけない(ahiṃsā)ことを最も徹底した思想で、関係類型は分離型なのに配慮の範囲は◎という「溶け合わずに大切にする」型。哲学的に語るなら、各生物種にはその種なりの開花に値する尊厳があるとするケイパビリティ・アプローチ(ヌスバウム)
生きとし生けるものを幸せにする仏教(大乗:菩薩道〔自分より先に他者を救おうとする大乗の修行の道〕)/次点:功利主義能動的に「する」と言い切る型。自分の悟りより一切衆生の救済を先に置き(衆生無辺誓願度〔「限りない衆生を救い尽くそう」という菩薩の誓い〕)、そのために輪廻(生まれ変わりの繰り返し)にとどまることを選ぶ菩薩道。西洋で「幸せにする」を最も直接に引き受けたのは、「苦しむことができるか」を基準に種の壁を越えた功利主義。「目の前の一つひとつを」なら菩薩道、「全体の総量を」なら功利主義

9つの言い回しは、関係の結び方でほぼ三つに分かれる——溶け合う(融合型)、共にある(関係型・拡張)、境界を保って大切にする(分離型のまま配慮を広げる)。そして動詞の強さで「保つ/願う」と「思い描く/する」に分かれる。同じ「生きとし生けるものの幸せ」を言っていても、関係の結び方と能動性の度合いがこれだけ違う。この違いは、そのままマップ4(主体と世界の関係類型)とマップ6(努力か贈与か)の縮図になっている。

はぴテックの二枚の地図 発達段階×ウェルビーイング統合マップ → この幸福観マップの姉妹版。あちらは「縦に5段階を貫く翻訳辞書」で、同じ言葉が段階ごとに別の意味で聞こえる(875行×5段階)。