世界の思想と宗教の幸福観マップ

日本の幸福観——重なり合う五つの層

本マップの47項目のうち、日本で生まれたか、日本で独自の形をとった項目は7つある——神道、修験道、禅、仏教(浄土)、仏教(日蓮)、儒教(原始)、新儒教。このページは、それらを「日本の幸福観」という一つの型にまとめるのではなく、時代ごとに積み重なり、いまも同時に働いている層として読む。加えて、近代に入ってきた「幸福」という翻訳語と、現代日本で測られている幸福(協調的幸福感、前野4因子)を最上層に置く。

なぜ「一つの型」にまとめないのか

マップ1(幸福のモデル型)で日本の7項目を見ると、神道は除去・回復型、新儒教も除去・回復型、浄土は贈与・応答型、禅は認識転換型、日蓮と儒教は関係構成型、修験道は生命力・身体型に置かれる。8つの型のうち5つに散っている。幸福の主語(マップ3)も、神道・日蓮・儒教は共同体、浄土は個人、禅は「主語が消える」、修験道と新儒教は人を超えた関係の網に分かれる。つまり、日本には「日本的な幸福のモデル」が一つあるのではなく、複数の幸福観が、互いを排除せずに同じ人の中で使い分けられてきた——初詣に行き、葬儀は仏式で、職場では人倫の徳を求められ、疲れると山や温泉に向かう——という重層性そのものが特徴である。この重層性は、本マップの他の地域では「内部潮流」として1本の親思想の中に置かれるものが、日本では系統の異なる思想の並存として現れている、と言い換えることもできる。

層担い手(本マップの項目)幸福の形目盛り(マップ1/3/6/7)
①生成と清明の層神道生命の生成(むすひ)を善とし、穢れを祓って本来の清らかな状態に戻る。神代から続く「中今」を明るく生き栄える。幸福は理論ではなく祭りと暮らしの実践のうちにある除去・回復/共同体/境遇に働きかける(祓)/苦は妨げ
②無常と三つの応答の層仏教(浄土)・禅・仏教(日蓮)鎌倉期に、無常と苦への三つの応答が出揃う。委ねる(浄土:自力を断念し、いま摂取不捨の光の中にあるという安心)、ただ坐る(禅:悟りを求める心をやめ、只管打坐がすでに仏の姿)、この世を仏の国土にする(日蓮:娑婆即寂光土、立正安国)。同じ大乗仏教から、贈与型・認識転換型・関係構成型という別々の型が生まれた贈与/個人/独立(他力)/苦は出発点
認識転換/主語消滅/独立/通過点
関係構成/共同体/働きかける/通過点
③人倫の層儒教(原始)・新儒教親子・君臣・朋友の関係のなかで徳を修め、学ぶことを楽しみ、天命に安んじる。江戸期に朱子学・陽明学として受容され、役割と修養の倫理として社会の骨格になった。新儒教の「万物一体の仁」は、関係の範囲を自然にまで広げる関係構成/共同体/部分的独立/通過点
除去・回復/関係の網/独立/善悪の外
④身体と山の層修験道山に入り、いったん死んで生まれ変わる行(擬死再生)を経て、身体ごと仏の働きを現す。得た験力で人々の現世の安寧を実現する。神道・密教・道教的養生が習合した、身体を通した幸福生命力・身体/関係の網/働きかける(行)/苦をあえて引き受ける
⑤翻訳語と測定の層(近代以降。本マップでは西洋近現代の項目と、現代日本の幸福研究)明治期に「幸福」が happiness の訳語として定着し、上の四層にはなかった「個人が自分について答える幸せ」という単位が入ってくる。現代の測定はこの単位で行われるが、日本の回答傾向はそれに収まりきらず、協調的幸福感や低覚醒の理想感情として研究されている(測定の前提=分離型・個人・現世)

五つの層に共通するもの——境遇に「働きかける」という構え

散らばって見える日本の項目に、一つだけ他地域と異なる共通の構えがある。マップ6(境遇からの独立×努力か贈与か)で「境遇(運)に働きかける」と判定された4項目——神道・修験道・道教・日蓮——のうち3つが日本の項目である。境遇(運)は、ストア派のように「自分次第でないから判断から外す」ものでも、功利主義のように「制度で供給する」ものでもなく、祓い・行・題目によって働きかけ、変えていくものとして扱われる。厄払い、祈願、験担ぎ、宿命転換といった日常の語彙は、この構えの現れである。一方、浄土と禅は「境遇から独立」に置かれるが、その独立は自力の強さによるものではなく、他力に委ねること(浄土)、求める心をやめること(禅)によって成立する点で、ストア派の独立とは方向が逆である。

もう一つの共通点は、「私」の扱いである。マップ4(主体と世界の関係類型)で、日本の7項目のうち分離型は一つもない。神道・浄土・日蓮・儒教は関係型、修験道・新儒教は融合型、禅は非二元型に置かれる。「幸福」という翻訳語が持ち込んだ「自分について自分で答える幸せ」の単位は、日本の思想の層のどれとも、そのままでは噛み合わない。

現代日本の測定との接続

現代の幸福研究の中で、この重層性に正面から応えようとしたものが二つある。一つは協調的幸福感(interdependent happiness。Hitokoto & Uchida 2015)——人と調和して穏やかにいられること、周囲と同じくらい幸せであることを幸福と捉える尺度で、関係の場を主語に置く③人倫の層と、争いのない清明さを求める①の層の感覚に近い。もう一つは理想感情の文化差(Tsai 2007)——東アジアでは高揚した喜びより穏やかで低覚醒の状態が「望ましい感情」として選ばれやすいという知見で、清き明き心(神道)や無事(禅)の語彙と響き合う。ただし本マップで繰り返し述べたとおり、これらはいずれも現代日本人の心理的傾向を測ったものであり、神道や禅を独立変数として操作化した研究ではない。日本の宗教参加と幸福の研究も、宗派を分離していない。

前野4因子(マップ13)との相性を日本の7項目で見ると、「ありがとう」が◎なのは神道・浄土・儒教、「ありのままに」が◎なのは禅・浄土・新儒教、「やってみよう」が◎なのは修験道・日蓮・儒教、「なんとかなる」が◎なのは新儒教だけである。4因子は日本で開発された尺度であるにもかかわらず、日本の思想の層のそれぞれと部分的にしか重ならない。これは尺度の欠陥ではなく、4因子が「個人の心理的構え」の平面を測るよう設計されているのに対し、日本の幸福観の層の多くが共同体・儀礼・身体・他力という「個人の構えの外側」に幸福を置いているためである。

読み取れること
・「日本人の幸福観」は一つの型ではなく、生成と清明/無常への三つの応答/人倫/身体と山/翻訳語と測定、という五つの層の同時使用である。同じ人が場面ごとに層を切り替えることを、本マップは矛盾ではなく特徴として記述する。
・他地域と異なる共通の構えは「境遇に働きかける」こと(祓い・行・題目)と、「私」を分離型に置かないことの二つである。
・現代の測定(生活満足度、前野4因子)は⑤の層の単位で行われる。協調的幸福感と理想感情の研究がそのずれを埋め始めているが、思想そのものを検証した研究は日本でもほぼ空白である(マップ16)。日本の幸福研究にとって、①〜④の層は未開拓の研究対象として残っている。
・実務上の帰結:日本での幸福の施策や介入を設計するとき、「個人の構え」に働きかける⑤の層の技法だけでなく、祓い・場・役割・身体という①〜④の層の語彙を持つことが、対象者の実感に届く設計につながる。
はぴテックの二枚の地図 発達段階×ウェルビーイング統合マップ → この幸福観マップの姉妹版。あちらは「縦に5段階を貫く翻訳辞書」で、同じ言葉が段階ごとに別の意味で聞こえる(875行×5段階)。