幸せの禅語百選

第2章 手放す ・ 14 / 100

無

む

趙州が「犬に仏性はあるか」と問われて答えた一字。有無の対立を超えた、言葉以前の「無」。

出典の物語

ある修行僧が趙州に尋ねた。「犬にも仏性(ぶっしょう)はありますか」。「仏性」とは、仏になる可能性のことで、お経には「生きとし生けるものすべてに仏性がある」と書いてある。だから教科書どおりの答えは「ある」のはずである。ところが趙州は答えた。「無(む)」。無い、と。なぜ趙州はそう言ったのか。この一字が、禅の歴史の中でいちばん有名な問題(公案=こうあん)になった。問題集『無門関』を編んだ無門は、これを第一問に置き、こう書いた。「禅の修行には、この関所を通らねばならない。関所とは、この『無』の一字である」。そして、この「無」を「有るか無いか」の「無い」と考えてはいけない、「何もない」という空っぽの意味でもない、と注意する。ただひたすら、昼も夜も、全身でこの「無」を抱え続けなさい。やがて熱い鉄の玉を飲み込んだように、吐き出すことも飲み下すこともできなくなったとき、何かが開ける、と。八百年の間、数え切れない人がこの一字と向き合ってきた。

趙州狗子(じょうしゅうくし)── 僧問う「狗子に還た仏性有りや」。州云く「無」(『無門関』第一則)

出典:『無門関』第一則「趙州狗子」/『従容録』第十八則

ウェルビーイング研究とのつながり

答えの出ない問いを抱え続ける力は、心理学では「曖昧さへの耐性」や「認知的完結欲求の低さ」として研究されてきた。すぐに結論を出したがる傾向(完結欲求)が強い人は、情報を早く固定し、視野が狭くなりやすい(Kruglanski & Webster, 1996)。また、自分の知識の限界を認める「知的謙虚さ」は、より良い判断や学習と結びつく(Leary et al., 2017)。「無」の字と向き合う修行は、この耐性を極限まで鍛える訓練と見ることができる。

現代の暮らし・仕事への示唆

「無」は、答えのない問いの前で踏みとどまる力を教える。私たちは「有るか無いか」「正しいか間違いか」と二択で片づけたがる。しかし人生の重要な問いの多くは、その二択の枠組みそのものを疑うまで解けない。会社を辞めるべきか否か、という問いの手前に「なぜその二択しか見えないのか」がある。趙州の「無」は、問いの枠組みごと手放す体験である。すぐに答えを出さず、問いを抱えたまま日常を続ける。その「分からなさ」に耐える時間が、人を思いがけない場所へ連れていく。

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