幸せの禅語百選
一語ずつ、ゆっくり味わう。禅の言葉には、千年以上かけて磨かれた「幸せの手がかり」が詰まっています。100語それぞれを、生まれた場面の物語と、現代のウェルビーイング研究とあわせて読み解きました。
100の禅語 × 7つの章 × 195件の研究
「日日是好日」「放下着」「喫茶去」。茶掛けや座右の銘として目にする禅語の多くは、禅僧どうしの問答や逸話から生まれました。本百選では、各語についてひとこと意味・出典の物語・原文・ウェルビーイング研究とのつながり・現代の暮らしと仕事への示唆をまとめています。
研究とのつながりは、その禅語の主題に対応する心理学・幸福研究の知見を示したものです。禅語そのものの効果を確かめた研究ではありません。出典や解釈には諸説があります。
手元で読む・使う
7つの章
第1章 日々・時間・平常 ・ 13語
今ここを生きる
禅語の多くは、「いつか」ではなく「今」を指さしている。過ぎた日を悔やみ、来る日を案じる心を離れ、今日という一日、今この一瞬に全体重をかける。…
第2章 放下・無・空 ・ 16語
手放す
禅の修行は、何かを獲得することではなく、握りしめているものを手放すことから始まる。趙州の「無」、「放下着」、慧能の「本来無一物」。手放したつ…
第3章 本来の自己・主体 ・ 16語
自分自身に出会う
「本来の面目」「主人公」「無位の真人」。禅は、肩書きや経歴や性格といった後天的なものを剥がしたあとに残る自己を、さまざまな名で呼んできた。し…
第4章 風光・季節・無常 ・ 19語
自然とともに
柳は緑、花は紅。山は山、水は水。禅語には自然の光景を詠んだものが多い。それは比喩や象徴というより、自然がそのまま真理を語っているという受け取…
第5章 伝える・支える・和 ・ 14語
人とつながる
禅は孤独な修行に見えて、師と弟子、修行者同士、そして街の人々との関わりの中で営まれてきた。「拈華微笑」「啐啄同時」「和敬清寂」「和顔愛語」。…
第6章 修行・精進・円熟 ・ 16語
歩み続ける
悟りは到達点ではない。「百尺竿頭進一歩」、頂点からさらに一歩を踏み出し、「大死一番」、一度死に切って蘇る。道元の「只管打坐」、神秀の「時時勤…
第7章 禅問答・言葉を超えて ・ 6語
答えのない問いを味わう
「仏とは何ですか」「麻が三斤」。「達磨大師が来た意味は」「庭の柏の木」。禅には、師匠が弟子に投げかける、答えのない問いや、意味の分からない答…
100語一覧
字数は茶掛けや書の題材選びの目安にどうぞ。
1
日日是好日
にちにちこれこうにち(にちにちこれこうじつ)
どんな一日も、そのままで比べようのない「好い日」である。晴れの日も雨の日も、うまくいった日もいかなかった日も、二度とない一日として丸ごと受け取る。
2 平常心是道
びょうじょうしんこれどう
特別な心構えや悟りすました境地ではなく、ふだんの当たり前の心のままが、そのまま道(真理)である。
3 而今
にこん(じこん)
「今、この瞬間」のこと。過去でも未来でもない、いま現に生きているこの一点。
4 生死事大 無常迅速
しょうじじだい むじょうじんそく
生きて死ぬという一大事を前にして、時は矢のように過ぎていく。ぐずぐずしている暇はない。
5 歳月不待人
さいげつひとをまたず
年月は人の都合を待ってはくれない。時は過ぎ、二度と戻らない。
6 一期一会
いちごいちえ
この出会いは一生に一度のもの。だから、二度とない機会として心を尽くす。
7 無事是貴人
ぶじこれきにん
外に何かを求めてあくせくしない人こそ、本当に貴い人である。「無事」とは、求める心が止んでいること。
8 随処作主 立処皆真
ずいしょにしゅとなれば りっしょみなしんなり
どんな場所、どんな状況でも自分が主体となって生きれば、その立っている場所がすべて真実の場となる。
9 喫茶去
きっさこ
「まあ、お茶をお飲みなさい」。来る人を分け隔てなく、同じ一杯の茶で迎える心。
10 洗鉢盂去
せんはつうこ(はつうをあらいされ)
「食器を洗っておきなさい」。悟りは特別な場所にあるのではなく、食事をし、器を洗うその営みの中にある。
11 明歴々 露堂々
めいれきれき ろどうどう
真理は隠されてなどいない。すべてはこの上なくはっきりと、堂々と目の前に現れている。
12 一日不作 一日不食
いちじつなさざれば いちじつくらわず
一日働かなければ、一日食べない。労働を修行の外に置かず、日々の作務(さむ)をそのまま道とする態度。
13 寒時寒殺闍梨 熱時熱殺闍梨
かんじはじゃりをかんさつし ねつじはじゃりをねっさつす
寒いときは寒さになりきり、暑いときは暑さになりきる。逃げ場を探すのではなく、その只中に身を置くとき、寒暑は自分を苦しめるものではなくなる。
14 無
む
趙州が「犬に仏性はあるか」と問われて答えた一字。有無の対立を超えた、言葉以前の「無」。
15 放下着
ほうげじゃく
「捨ててしまえ」。手に持っているもの、心に握りしめているものを、きっぱり手放せ。
16 莫妄想
まくもうぞう
「妄想することなかれ」。事実から離れたとりとめのない思い、分別や妄念を起こすな。
17 本来無一物
ほんらいむいちもつ
人は本来、何一つ持っていない。執着すべきものも、磨くべき汚れも、もともと無い。
18 応無所住 而生其心
おうむしょじゅう にしょうごしん(まさに住する所無くして、しかもその心を生ずべし)
何ものにもとどまらない心を保ちながら、しかも生き生きと心を働かせよ。執着せず、しかし無関心でもない。
19 無功徳
むくどく
善行の見返りを期待する心には、功徳など無い。「どれだけ徳を積んだか」と数える心こそ、達磨が切り捨てたもの。
20 廓然無聖
かくねんむしょう
からりと晴れ渡った大空のようで、「聖なるもの」すらそこには無い。聖と俗、悟りと迷いという区別そのものが消えた境地。
21 不識
ふしき
「知らぬ」。達磨が武帝の「お前は何者だ」という問いに返した一語。知識や概念で自分を規定することを拒んだ、底の抜けた答え。
22 無心
むしん
はからいや分別、執着のない心。心が無いのではなく、心が何ものにも引っかからず、自在にはたらいている状態。
23 不思善 不思悪
ふしぜん ふしあく
善いとも思わず、悪いとも思わない。善悪の判断が起こる前の、その瞬間の自分を見よ。
24 将心来 与汝安
しんをもちきたれ なんじがためにやすんぜん
「その不安な心を持ってきなさい。安らかにしてあげよう」。探しても見つからない心、そこにこそ安心がある。
25 任運自在
にんぬんじざい
運(はこび)に任せて自在。流れに逆らわず、しかし流されるのでもなく、おのずからなる動きに身を委ねること。
26 色即是空 空即是色
しきそくぜくう くうそくぜしき
形あるものはすべて実体がなく(空)、実体のないものがそのまま形あるものとして現れている。あるとないは対立しない。
27 無一物中 無尽蔵
むいちもつちゅう むじんぞう
何一つ持たないところにこそ、尽きることのない豊かさがある。空っぽだからこそ、すべてが入ってくる。
28 遊戯三昧
ゆげざんまい
何ものにもとらわれず、遊ぶように自在に、しかも一心に生きる境地。悟りの後の、自由な日常のあり方。
29 吾唯足知
われただたるをしる
私は、足りていることを知っている。欲望を追いかける前に、すでに満ちていることに気づく。
30 本来面目
ほんらいのめんもく
生まれる前から持っている、ありのままの本当の自分。社会的な役割や思い込みを剥がしたあとに残る、素顔。
31 主人公
しゅじんこう
自分の中の、本当の主(あるじ)。外の状況や他人の評価に振り回されない、本来の自己。
32 無位真人
むいのしんにん
いかなる位(くらい)にも属さない、本当の人。地位や肩書き、凡聖の区別を離れた、生身の自己。
33 冷暖自知
れいだんじち
水が冷たいか温かいかは、自分で飲んでみて初めて分かる。悟りも、幸せも、人から教わるものではなく、自分で味わって知るもの。
34 看脚下(照顧脚下)
かんきゃっか(しょうこきゃっか)
「足元を見よ」。遠くの理想を語る前に、今自分が立っている場所、今の一歩に目を向けよ。
35 即心是仏
そくしんぜぶつ
この心がそのまま仏である。仏は遠い彼方の存在ではなく、今ここで見聞きし、思い、感じているこの心に他ならない。
36 非心非仏
ひしんひぶつ
心でもなく、仏でもない。「即心是仏」という肯定にしがみついた瞬間、それも手放す。
37 一顆明珠
いっかみょうじゅ
全世界はひとつぶの輝く珠である。自分も世界も分かたれず、まるごと一つの光として輝いている。
38 自灯明 法灯明
じとうみょう ほうとうみょう
自らを灯火とし、法(真理)を灯火とせよ。他人や権威に寄りかからず、自分と真理をよりどころにして歩め。
39 吾心似秋月
わがこころしゅうげつににたり
私の心は秋の月のよう。澄み切った淵のように清らかで、比べられるものが何もない。
40 他不是吾
たはこれわれにあらず
他人は私ではない。自分がやるべきことを人に任せては、自分の修行にならない。
41 天上天下 唯我独尊
てんじょうてんげ ゆいがどくそん
天にも地にも、ただ我ひとり尊い。すべての存在が、他と比べようのない唯一の尊さをもって、ここにある。
42 独坐大雄峰
どくざだいゆうほう
ただ一人、大雄峰に坐っている。それ以上に素晴らしいことなど何もない。今ここに自分がこうして在ることの、絶対の充足。
43 逢仏殺仏 逢祖殺祖
ほとけにおうてはほとけをころし そにおうてはそをころす
仏に逢えば仏を殺し、祖師に逢えば祖師を殺せ。どんな権威や理想も、自分の外に立てて依りかかるなら、それを打ち砕け。
44 直指人心 見性成仏
じきしにんしん けんしょうじょうぶつ
まっすぐに人の心を指し示し、自分の本性を見きわめて仏となる。経典や儀式を経由せず、心そのものを直接見よ。
45 非風非幡 仁者心動
ひふうひばん にんじゃしんどう
動いているのは風でも旗でもない、あなたがたの心が動いているのだ。外の出来事と見えるものも、それを捉える心の動きとして現れている。
46 柳緑花紅
やなぎはみどり はなはくれない
柳は緑、花は紅。それぞれがそれぞれのままに、ありのままで完全である。
47 山是山 水是水
やまはこれやま みずはこれみず
山は山、水は水。悟りを経て、ものごとはふたたびただそのものとして見える。しかし、以前と同じではない。
48 松無古今色 竹有上下節
まつにここんのいろなく たけにじょうげのふしあり
松は昔も今も変わらぬ緑。竹には上と下の節がある。変わらないものと、区別のあるもの。平等と差別は、どちらも真実である。
49 青山元不動 白雲自去来
せいざんもとふどう はくうんおのずからきょらいす
青い山はもとより動かず、白い雲はおのずから行き来する。動かぬものと動くもの。どちらも、そのままでよい。
50 水急不流月
みずきゅうにしてつきをながさず
川の流れがどれほど急でも、水面に映る月は流されない。激しく変化する現実の中で、変わらず輝くものがある。
51 掬水月在手 弄花香満衣
みずをきくすればつきてにあり はなをろうすればかおりころもにみつ
水をすくえば、月は手の中にある。花に触れれば、香りは衣に満ちる。求めて遠くへ行かずとも、手を伸ばせば世界はこの手の中にある。
52 竹影掃階塵不動
ちくえいかいをはらってちりどうぜず
竹の影が階(きざはし)を掃いても、塵は動かない。月が淵の底まで射しても、水に跡は残らない。関わりながら、跡を残さない。
53 春来草自生
はるきたってくさおのずからしょうず
春が来れば、草はおのずから生える。はからいや焦りがなくても、時が満ちれば、なるべきことはおのずからなる。
54 一葉落知天下秋
いちようおちててんかのあきをしる
一枚の葉が落ちるのを見て、天下に秋が来たことを知る。小さな兆しの中に、全体の動きを見る。
55 紅炉一点雪
こうろいってんのゆき
真っ赤に燃える炉の上に落ちた一片の雪。触れた瞬間に跡形もなく消える。迷いも執着も、真の覚醒の前では一瞬で消え去る。
56 風吹不動天辺月 雪圧難摧澗底松
かぜふけどもどうぜずてんぺんのつき ゆきおせどもくだけがたしかんていのまつ
風が吹いても天の月は動かず、雪が重く積もっても谷底の松は折れない。外からの力に揺るがない、不動の心。
57 山花開似錦 澗水湛如藍
さんかひらいてにしきににたり かんすいたたえてあいのごとし
山の花は錦のように咲き、谷の水は藍のように湛えられている。滅びゆくこの身の中に、滅びない真理が、この美しさとして現れている。
58 江月照 松風吹
こうげつてらし しょうふうふく
川面に月が照り、松に風が吹く。この静かな秋の夜に、何をなすべきことがあろうか。すべてはすでに完全である。
59 渓声山色
けいせいさんしょく
谷川のせせらぎは仏の説法、山の姿は仏の清らかな身体。自然のすべてが真理を語っている。
60 月落不離天
つきおちててんをはなれず
月は沈んでも、天を離れたわけではない。姿が見えなくなっても、本体はどこへも行っていない。
61 枯木龍吟
こぼくりょうぎん
枯れ木の中に龍の声が響く。すべてが死に絶えたように見えるところに、生き生きとした命のはたらきがある。
62 一花開五葉
いっかごようをひらく
一つの花が五枚の花びらを開き、実は自然に結ばれる。一人の志から、やがて大きな流れが生まれる。
63 泥多仏大 水長船高
どろおおければほとけだいなり みずながければふねたかし
泥が多ければ、それだけ大きな仏像ができる。水かさが増せば、船は高く浮かぶ。苦難や煩悩が多いほど、それを超えたときの悟りは大きい。
64 行雲流水
こううんりゅうすい
空を行く雲、流れる水のように、一か所にとどまらず、形にとらわれず、自在に生きる。
65 拈華微笑
ねんげみしょう
釈尊が花を拈(ひね)り、迦葉(かしょう)がほほえんだ。言葉を介さず、心から心へ伝わるもの。禅の起源とされる場面。
66 以心伝心
いしんでんしん
心をもって心に伝える。言葉や文字では届かない核心を、心から心へ直接に伝えること。
67 不立文字 教外別伝
ふりゅうもんじ きょうげべつでん
文字を立てず、教えの外に別に伝える。真理は経典や言葉の中にではなく、それを超えたところで、人から人へ伝わる。
68 啐啄同時
そったくどうじ
雛が内から殻をつつく(啐)のと、親鳥が外から殻をつつく(啄)のが、同時に起こる。師と弟子、与える側と受け取る側の機が、ぴたりと合うこと。
69 和敬清寂
わけいせいじゃく
和らぎ、敬い、清らかで、静か。茶の湯の心を四字に尽くした語。人と人の在り方、場の在り方の理想。
70 和顔愛語
わげんあいご
和やかな顔と、慈しみのある言葉。何も持たなくても、誰にでもできる最も身近な布施。
71 和光同塵
わこうどうじん
自分の光(才能・悟り)を和らげ、塵(世俗)と同じになる。悟りを誇らず、人々の中に溶け込んで生きる。
72 入鄽垂手
にってんすいしゅ
街に入って、手を垂れる。悟りを得た人が、ふたたび俗世の雑踏に戻り、人々とともに生きる。修行の最終段階。
73 老婆心切
ろうばしんせつ
老婆のように、くどいほど親切な心。師が弟子を思うあまり、本来言わなくてよいことまで言ってしまう、過剰なほどの慈悲。
74 一挨一拶
いちあいいっさつ
一度押し、一度迫る。師と弟子、修行者同士が、言葉や振る舞いで互いの力量を探り合うこと。「挨拶」の語源。
75 把手共行
はしゅきょうこう
手を取り合って、ともに行く。師と弟子、仏と自分が一つになって歩む。あるいは、仲間と手を携えて道を行く。
76 天地同根 万物一体
てんちどうこん ばんぶついったい
天地は私と同じ根から生じ、万物は私と一つの体である。自分と世界が分かたれていないという実感。
77 一切衆生 悉有仏性
いっさいしゅじょう しつうぶっしょう
生きとし生けるものは、ことごとく仏性をもっている。誰の中にも、仏となる種子がある。道元はこれを「悉有は仏性なり」と読み替えた。
78 直心是道場
じきしんこれどうじょう
まっすぐな心、それが道場である。修行の場は特別な建物の中ではなく、偽りのない心のあるところにある。
79 只管打坐
しかんたざ
ただひたすらに坐る。悟りを得るための手段としてではなく、坐ることそれ自体が、すでに悟りの現れであるとして坐る。
80 身心脱落
しんじんだつらく
身も心も脱け落ちる。自分という枠組みが抜け落ちて、自他の区別、身心の区別が消え去った境地。道元の悟りの体験。
81 一行三昧
いちぎょうざんまい
一つの行いに心を定め、それになりきること。歩くときは歩くことに、坐るときは坐ることに、全身全霊で没入する。
82 百尺竿頭 進一歩
ひゃくしゃくかんとう いっぽをすすむ
百尺の竿の先端まで登りつめて、さらに一歩を踏み出せ。到達したと思った場所にとどまらず、そこから身を投げよ。
83 大死一番
だいしいちばん
一度、徹底的に死に切れ。自我も分別も執着も、すべてが死に絶えたところから、初めて本当に生きる道が開ける。
84 時時勤払拭
じじにつとめてほっしきせよ
折にふれて、怠らず、心の鏡を磨き続けよ。「本来無一物」と対をなす、地道な修行の側の偈。
85 不昧因果
ふまいいんが
因果をくらまさない。悟った人も因果の法則の外に出るのではなく、因果を明らかに見て、その只中を生きる。
86 磨甎作鏡
ません さきょう(かわらをみがいてかがみとなす)
瓦を磨いて鏡にしようとする。坐禅という形だけを続けて仏になろうとするのは、瓦を磨いて鏡を作ろうとするようなものだ。
87 面壁九年
めんぺきくねん
達磨が少林寺で九年間、壁に向かって坐り続けた。長い沈黙と孤独に耐え、ただ坐り抜く不屈の修行。
88 大疑大悟
たいぎたいご
大いに疑えば、大いに悟る。疑いが小さければ悟りも小さく、疑いがなければ悟りもない。疑問を抱えきることが、悟りの原動力。
89 眼横鼻直
がんのうびちょく
眼は横に、鼻は縦についている。宋から帰った道元が「これだけを学んできた」と語った、当たり前のことを当たり前に見る境地。
90 空手還郷
くうしゅげんきょう
手ぶらで故郷に帰る。何か特別なものを獲得して持ち帰るのではなく、何も持たずに帰ってきたことこそが、最大の収穫である。
91 喜心・老心・大心
きしん・ろうしん・だいしん
喜ぶ心、親が子を思うような心、山のように大きな心。道元が食事係(典座)に説いた、仕事に向かう三つの心。
92 閑古錐
かんこすい
使い古されて先の丸くなった錐(きり)。鋭さを失ったように見えて、円熟して何ものをも傷つけない、老境の味わい。
93 歩歩是道場
ほほこれどうじょう
一歩一歩が道場である。歩くその足の下、生活のすべての場面が、修行の場であり、真理が現れる場である。
94 大道無門
だいどうむもん
大いなる道には門がない。どこからでも入れるが、どこにも入口はない。入るべき門を探している限り、入れない。
95 喝
かつ
「カーッ」と発する一声。言葉による説明を断ち切り、相手の分別を一撃で吹き飛ばす禅の手段。臨済はこれを四種に分けた。
96 隻手音声
せきしゅおんじょう(せきしゅのおんじょう)
「両手を打てば音がする。では片手の音を聞いてみよ」。白隠が創案した、日本禅を代表する公案。
97 麻三斤
まさんぎん
「仏とは何か」と問われて洞山が答えた「麻が三斤」。意味を探ろうとするあらゆる思考を拒む、禅問答の典型。
98 庭前柏樹子
ていぜんのはくじゅし
「達磨が西から来た意味は何か」と問われて趙州が答えた「庭の柏の木」。真理は目の前にある。
99 日面仏 月面仏
にちめんぶつ がちめんぶつ
病床の馬祖が「ご気分はいかがですか」と問われて答えた言葉。千八百歳の仏も一日一夜の仏も、どちらも仏。長い命も短い命も、今この瞬間に等しく尽くされている。
100 一円相
いちえんそう
筆で一気に描かれた一つの円。言葉を超えた悟り、欠けるところのない全体性、始まりも終わりもない真理を、一画で表す。