幸せの禅語百選

第2章 手放す ・ 16 / 100

莫妄想

まくもうぞう

「妄想することなかれ」。事実から離れたとりとめのない思い、分別や妄念を起こすな。

出典の物語

唐の時代の無業(むごう)というお坊さんは、誰が何を質問しても、「莫妄想(まくもうぞう)」、「よけいなことを考えるな」とだけ答えたと伝えられている。無業は若いころ、お経の勉強で有名だった。あるとき馬祖(ばそ)という高僧を訪ねると、馬祖は体の大きな無業を見て、「立派なお堂だが、中に仏がいないな」と言った。無業が「心がそのまま仏だ、とはどういう意味ですか」と尋ねると、馬祖は「今まさに、分かっていないその心がそれだ。ほかにはない」と答えた。無業はこの言葉で悟った。この体験を経た無業にとって、修行者の質問は、どれも「妄想」の産物に見えた。仏とは何か、悟りとは何か、自分はどうすれば。そうした問いを立てる心の働きそのものが、目の前の事実から離れた思いの積み重ねなのである。「妄想」は仏教の言葉で、実体のないものを本当にあると思い込むこと。今の「空想」より広く、あれこれ考えて区別すること全般を指す。

莫妄想(まくもうぞう)── 師、凡そ学者の致問するを見るに、多く莫妄想と答う(『景徳伝灯録』汾州無業)

出典:『景徳伝灯録』巻八(汾州無業)

ウェルビーイング研究とのつながり

不安症の人に、心配していることが実際に起きたかを数週間記録してもらった研究では、心配の約九割は現実にならず、現実になったものの多くも予想より良い結果だった(LaFreniere & Newman, 2020)。頭の中で自動的に浮かぶ否定的な考え(自動思考)が気分を左右するという認知療法の基本モデル(Beck, 1976)とあわせて、「莫妄想」は認知療法の一語版だと言える。

現代の暮らし・仕事への示唆

頭の中で膨らむ心配の九割は現実には起こらない、という調査結果がある。上司のあの一言はどういう意味だったか、あの人は自分をどう思っているか。事実は「一言があった」だけなのに、そこから無数の物語を紡いでしまう。認知行動療法が扱うのはまさにこの「自動思考」である。莫妄想は、物語が走り出した瞬間にそれを止める合図になる。「今、事実はどこまでか」と一度切り分ける。無業が繰り返した三文字は、八百年前の思考停止ではなく、今日の不安への具体的な処方箋でもある。

あわせて読みたい禅語

つながり ほかの保存版コレクションから、内容の近いもの

内容の近さをAIで自動計算して選んでいます。保存版コレクションの一覧 →

あわせて読む 世界の思想と宗教の幸福観マップ「禅」カード → 禅は「幸せ」をどう考えてきたか。47の思想・宗教と同じ物差しで並べた一枚。ここに集めた禅語の背景にある幸福観が見えてきます。 禅語を日々の時間に 一行三昧 - Zen Pomodoro - → 時間を管理するのではなく、時間とともにあるためのポモドーロタイマー。タブや操作の名前に禅語を使っています。
禅語の出典・読み・解釈には諸説があります。本百選は通行の解釈に従っていますが、茶会の軸や講話など正式な場で用いる際は、原典や専門書(『禅語辞典』『茶席の禅語大辞典』など)でご確認ください。研究とのつながりは、禅語の主題に対応する心理学・幸福研究の知見を示したもので、禅語そのものの効果を実証したものではありません。 読み物版:PDF(127P) / 一覧:Excel(100語・引用研究つき)
© 株式会社はぴテック