啐啄同時
雛が内から殻をつつく(啐)のと、親鳥が外から殻をつつく(啄)のが、同時に起こる。師と弟子、与える側と受け取る側の機が、ぴたりと合うこと。
出典の物語
「啐(そつ)」は、卵の中のひなが、生まれようとして内側から殻をつつく音。「啄(たく)」は、それを聞いた親鳥が、外側から殻をつつくこと。この二つが同時に起こることで、ひなは無事に生まれる。親が早すぎればひなは死に、遅すぎればひなは殻の中で力尽きる。『碧巌録』には、こんな問答がある。ある僧が鏡清(きょうせい)というお坊さんに言った。「私は内側から殻をつつきます。どうか先生は外からつついてください」。鏡清は「お前は、生きられるか」と問う。僧は「もし生きられなければ、人に笑われましょう」。鏡清は言った。「これもまた、草むらの中の男(まだ迷いの中にいる者)だ」。僧は「殻をつつく準備ができました」と言ったが、鏡清は、その「準備ができた」という自己申告そのものを見抜いた。本当に殻をつついているひなは、「私はつついています」とは言わない。師匠の仕事は、ひなが内側からつつく音を聞き分けて、その瞬間に外からつつくことである。早く割ってやりたい気持ちも、遅れる怠けも、どちらもひなを殺す。
出典:『碧巌録』第十六則「鏡清啐啄」
ウェルビーイング研究とのつながり
学習者が一人ではできないが、適切な助けがあればできる領域(発達の最近接領域)を見極め、必要なぶんだけ足場をかけ、できるようになったら足場を外す、という指導のあり方は、Vygotskyの理論と、それを発展させた「足場かけ」の概念で定式化されている(Vygotsky, 1978; Wood, Bruner & Ross, 1976)。早すぎる援助も、遅すぎる援助も、学習を妨げる。「啐啄同時」は、この足場かけのタイミングの問題を、卵と親鳥のイメージで言い当てている。
現代の暮らし・仕事への示唆
部下を育てる、子どもを育てる、人を支援する。そのすべてに「啐啄」の問題がある。本人の準備ができていないのに答えを与えれば、学ぶ力を奪う。準備ができているのに手を出さなければ、機会を逃す。研究でいう「足場かけ(スキャフォールディング)」や「発達の最近接領域」は、この啐啄の機を理論化したものと言える。難しいのは、殻の内側は見えないということだ。だから、よく聴くしかない。相手が今、内側からどんな音を立てているか。耳を澄ますことが、支援の最初の仕事である。
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