老婆心切
老婆のように、くどいほど親切な心。師が弟子を思うあまり、本来言わなくてよいことまで言ってしまう、過剰なほどの慈悲。
出典の物語
禅の本の解説部分で、師匠が弟子に対して、くどいほど丁寧に導くようすを評するときに使われる言葉である。「老婆心」は、年を取った女性が孫を気づかうような、こまやかすぎるほどの親切心。たとえば『無門関』で、六祖慧能が慧明に「善いとも悪いとも思わないそのとき、あなたの本当の顔はどれか」とずばり示したことを、無門は「六祖は、事は急を要すると見て、老婆心切であった」と評している。本来、禅は「自分で悟り、自分で理解する」ものであり、師匠はあまり多くを語るべきではない。それなのに語ってしまう。それは師匠が未熟だからではなく、弟子を思う心があふれたからである。趙州が誰にでも「お茶を飲みなさい」と勧めるのも、雲門が「日日是好日」と自分で答えてしまうのも、老婆心切の現れと見ることができる。この言葉には、わずかな皮肉と、深い敬愛が同居している。「そこまで言わなくてもよいのに」という皮肉と、「そこまで言わずにはいられないのが師匠というものだ」という敬愛。今の「老婆心ながら」は、これが「余計なお世話かもしれませんが」という前置きに変わったものである。
出典:『碧巌録』『無門関』の評唱に頻出(師の親切を評する語)
ウェルビーイング研究とのつながり
「教えすぎ」と「教えなさすぎ」のどちらが学習を妨げるかについては、教育研究に重要な知見がある。初心者に対して最小限の指導しか与えない「発見学習」は、十分な指導を与える方法より学習効果が低いことが示されている(Kirschner, Sweller & Clark, 2006)。また、職場の指導者(メンター)の存在は、学習、キャリア、満足度の面で一貫して良い効果を持つ(Eby et al., 2008)。「くどいほどの親切」は、学習者の段階によっては、自分で気づかせることより有効なのである。
現代の暮らし・仕事への示唆
教える立場にいると、「自分で気づかせるべきか、教えるべきか」で迷う。原則は自分で気づかせること。しかし、目の前の人が崖に向かって歩いているなら、原則を破って声をかける。それが老婆心切である。研究でも、良い指導者は「教えない」ことと「教える」ことの切り替えが柔軟で、原則よりも相手の状態を優先する。大事なのは、老婆心を恥じないことだ。くどいと言われても、嫌われても、言わずにはいられない。その溢れ出る心が、相手にはいつか届く。相手がそれを「余計なお世話」と思う権利も含めて、与える。
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