磨甎作鏡
瓦を磨いて鏡にしようとする。坐禅という形だけを続けて仏になろうとするのは、瓦を磨いて鏡を作ろうとするようなものだ。
出典の物語
若いころの馬祖(ばそ)は、お寺で毎日ひたすら坐禅をしていた。その非凡さを見た懐譲(えじょう)というお坊さんが近づいて尋ねた。「坐禅をして、何をしようとしているのか」。馬祖は「仏になろうとしています」と答えた。すると懐譲は一枚の瓦(かわら)を拾い、馬祖の小屋の前の石でごしごし磨き始めた。馬祖が「何をなさっているのですか」と聞くと、「磨いて鏡にする」と答えた。馬祖は「瓦を磨いて、どうして鏡になるのですか」。懐譲は言った。「瓦を磨いて鏡にならないなら、坐禅をしてどうして仏になれるのか」。馬祖は「では、どうすればよいのですか」。懐譲は答えた。「牛車が動かないとき、車を打つべきか、牛を打つべきか」。馬祖は答えられなかった。懐譲は続けた。「お前は坐禅を学んでいるのか、坐っている仏を学んでいるのか。坐っている形にしがみつくなら、それは仏を殺すことだ」。馬祖はこの教えで深く悟ったという。この話は坐禅の否定ではない。「仏になるための手段」として坐禅の形にしがみつくことを否定している。坐禅の形(車)を打っても、心(牛)が動かなければ意味がない。なお道元はこの話を、「坐禅は仏になる手段ではなく、坐禅そのものが仏の行いだ」という方向に読み替えて、「瓦を磨いて鏡にする」を肯定的に解釈する独自の読みを示している。
出典:『景徳伝灯録』巻五(南嶽懐譲と馬祖道一)
ウェルビーイング研究とのつながり
単に経験を積むことと、意図と注意をもって練習することは、成果への効果が大きく異なる。長年の経験年数は熟達をあまり予測せず、意図的練習の量と質が予測する(Ericsson, Krampe & Tesch-Römer, 1993)。ただしその後のメタ分析では、意図的練習が成果の差を説明する割合は領域によって限られることも示されている(Macnamara, Hambrick & Oswald, 2014)。また、同じ作業を機械的に反復するのではなく、新しい視点から取り組む「マインドフルな学習」のほうが定着がよい(Langer & Moldoveanu, 2000)。「車を打つな、牛を打て」は、形の反復と注意の質を区別せよという、これらの知見に通じる。
現代の暮らし・仕事への示唆
形だけ整えて中身が伴わない、ということは誰にでもある。会議をすれば仕事をした気になり、本を買えば学んだ気になり、ジムに入会すれば健康になった気になる。懐譲の問いは、車を打っているのか牛を打っているのか、である。手段が目的化していないか。研究でも、行動の「形」より、その行動に込められた意図と注意の質が成果を左右することが繰り返し示されている。ただし道元の読み替えも忘れたくない。形を疑うことと、形を軽んじることは違う。瓦を磨く手を止めずに、何を磨いているのかを問い続ける。
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