第6章 | 修行・精進・円熟 | 16語
歩み続ける
悟りは到達点ではない。「百尺竿頭進一歩」、頂点からさらに一歩を踏み出し、「大死一番」、一度死に切って蘇る。道元の「只管打坐」、神秀の「時時勤払拭」、達磨の「面壁九年」。この章の言葉は、歩みを止めないこと、そして老いて丸くなった錐(閑古錐)の味わいまでを語る。
79
只管打坐
しかんたざ
ただひたすらに坐る。悟りを得るための手段としてではなく、坐ることそれ自体が、すでに悟りの現れであるとして坐る。
80 身心脱落
しんじんだつらく
身も心も脱け落ちる。自分という枠組みが抜け落ちて、自他の区別、身心の区別が消え去った境地。道元の悟りの体験。
81 一行三昧
いちぎょうざんまい
一つの行いに心を定め、それになりきること。歩くときは歩くことに、坐るときは坐ることに、全身全霊で没入する。
82 百尺竿頭 進一歩
ひゃくしゃくかんとう いっぽをすすむ
百尺の竿の先端まで登りつめて、さらに一歩を踏み出せ。到達したと思った場所にとどまらず、そこから身を投げよ。
83 大死一番
だいしいちばん
一度、徹底的に死に切れ。自我も分別も執着も、すべてが死に絶えたところから、初めて本当に生きる道が開ける。
84 時時勤払拭
じじにつとめてほっしきせよ
折にふれて、怠らず、心の鏡を磨き続けよ。「本来無一物」と対をなす、地道な修行の側の偈。
85 不昧因果
ふまいいんが
因果をくらまさない。悟った人も因果の法則の外に出るのではなく、因果を明らかに見て、その只中を生きる。
86 磨甎作鏡
ません さきょう(かわらをみがいてかがみとなす)
瓦を磨いて鏡にしようとする。坐禅という形だけを続けて仏になろうとするのは、瓦を磨いて鏡を作ろうとするようなものだ。
87 面壁九年
めんぺきくねん
達磨が少林寺で九年間、壁に向かって坐り続けた。長い沈黙と孤独に耐え、ただ坐り抜く不屈の修行。
88 大疑大悟
たいぎたいご
大いに疑えば、大いに悟る。疑いが小さければ悟りも小さく、疑いがなければ悟りもない。疑問を抱えきることが、悟りの原動力。
89 眼横鼻直
がんのうびちょく
眼は横に、鼻は縦についている。宋から帰った道元が「これだけを学んできた」と語った、当たり前のことを当たり前に見る境地。
90 空手還郷
くうしゅげんきょう
手ぶらで故郷に帰る。何か特別なものを獲得して持ち帰るのではなく、何も持たずに帰ってきたことこそが、最大の収穫である。
91 喜心・老心・大心
きしん・ろうしん・だいしん
喜ぶ心、親が子を思うような心、山のように大きな心。道元が食事係(典座)に説いた、仕事に向かう三つの心。
92 閑古錐
かんこすい
使い古されて先の丸くなった錐(きり)。鋭さを失ったように見えて、円熟して何ものをも傷つけない、老境の味わい。
93 歩歩是道場
ほほこれどうじょう
一歩一歩が道場である。歩くその足の下、生活のすべての場面が、修行の場であり、真理が現れる場である。
94 大道無門
だいどうむもん
大いなる道には門がない。どこからでも入れるが、どこにも入口はない。入るべき門を探している限り、入れない。