幸せの禅語百選

眼横鼻直

がんのうびちょく

眼は横に、鼻は縦についている。宋から帰った道元が「これだけを学んできた」と語った、当たり前のことを当たり前に見る境地。

出典の物語

道元が中国での修行を終えて日本に帰り、最初の説法で語ったとされる言葉である。「私はそれほど多くの道場を巡ったわけではない。ただ如浄(にょじょう)先生にお会いして、その場で、眼は横に、鼻は縦についていることを会得し、人にだまされなくなった。だから手ぶらで故郷に帰ってきた。それゆえ、ほんの少しの仏法も持ち帰っていない」。眼が横で、鼻が縦。誰でも知っている。しかし、本当にそれを「会得」している人がどれだけいるだろうか。道元は中国で、何か特別な秘法や深遠な理論を学んだのではない。当たり前のことが当たり前であることを、全身で確かめた。それだけである。しかしその「それだけ」が、人にだまされない、つまり世間の価値観や、もっともらしい教えに惑わされないための、揺るぎない土台になった。「柳は緑、花は紅」「山は山、水は水」と同じ、徹底した肯定の言葉である。

当下に眼横鼻直なることを認得して、人に瞞ぜられず、便乃ち空手にして郷に還る(道元『永平広録』)

出典:道元『永平広録』巻一(帰国後の上堂)

ウェルビーイング研究とのつながり

複雑な理論や専門知識よりも、基本的な事実を直視し続ける態度のほうが、予測や判断の精度を支えることが示されている。長期にわたる専門家の予測を検証した研究では、一つの大きな理論に依拠する専門家より、多様な情報を取り入れて基礎的な確率(ベースレート)を重んじる人のほうが、予測が正確だった(Tetlock, 2005; Tetlock & Gardner, 2015)。「眼は横、鼻は縦」という当たり前の確認は、この「事実に戻る」態度に通じる。

現代の暮らし・仕事への示唆

海外で学んだ、有名な師に就いた、高度な理論を身につけた。そうした経験から人は、何か「特別なもの」を持ち帰ろうとする。道元は、特別なものを一つも持ち帰らなかった。持ち帰ったのは、当たり前のことを当たり前に見る目だけだった。しかしそれが、どんな理論よりも人を惑わされなくする。研究でも、専門知識の蓄積より、基本的な事実を直視し続ける態度のほうが、判断の質を長期的に支えることが示されている。複雑な理論に迷ったら、眼横鼻直に戻る。いま、事実はどうなっているか。それを見る目が、すべての始まりである。

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