幸せの禅語百選

平常心是道

びょうじょうしんこれどう

特別な心構えや悟りすました境地ではなく、ふだんの当たり前の心のままが、そのまま道(真理)である。

出典の物語

若いころの趙州(じょうしゅう)というお坊さんが、師匠の南泉(なんせん)に尋ねた。「道(本当の生き方)とは、どういうものですか」。南泉は答えた。「ふだんの心が、そのまま道だ(平常心是道)」。趙州は納得できずに聞き返す。「では、その道を目指して進めばよいのですか」。南泉は言う。「目指そうとすると、かえって遠ざかる」。「目指さなければ、それが道だとどうやって分かるのですか」。南泉はこう説いた。「道は、分かる・分からないという話ではない。本当に道に行き着けば、大空のように広々として、正しいとか間違いだとか言う余地もなくなる」。趙州はここで深く悟ったという。「平常心」は今では「落ち着いた心」の意味で使われるが、もとの意味はもっと根本的で、「顔を洗い、ごはんを食べ、人と話す、そのふだんの暮らしの外に、特別な道などない」ということである。『無門関(むもんかん)』という問題集の第十九番目に収められている。

平常心是道(びょうじょうしんこれどう)── 南泉「向かわんと擬すれば即ち乖く(目指そうとすれば、かえって背く)」

出典:『無門関』第十九則「平常是道」/『景徳伝灯録』巻八(南泉普願)

ウェルビーイング研究とのつながり

幸福感は、特別な出来事の有無よりも、日々の小さな良い気分の「頻度」によって決まることが古くから示されている(Diener, Sandvik & Pavot, 1991)。また、幸福を強く「追い求める」姿勢がかえって幸福感を下げる逆説も報告されている(Mauss et al., 2011)。ただしこの逆説は文化によって異なり、幸福を人とのつながりや日常の営みの中に見る東アジアの文化圏では、追求が逆効果になりにくいという知見もある(Ford et al., 2015)。「ふだんの心がそのまま道」という南泉の答えは、後者の幸福観に近い。

現代の暮らし・仕事への示唆

資格を取ったら、昇進したら、理想の環境が整ったら本当の人生が始まる、と私たちは思いがちだ。南泉の答えは、その「いつか」を切り捨てる。朝起きて顔を洗い、人と話し、仕事をし、食べて眠る。その一つひとつの外に道があるのではない。ウェルビーイング研究でも、幸福は特別な出来事よりも日々の小さな営みの質に強く左右されることが繰り返し示されている。平常心是道は、特別を追い求めて日常を素通りする生き方への静かな警告でもある。

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