山是山 水是水
山は山、水は水。悟りを経て、ものごとはふたたびただそのものとして見える。しかし、以前と同じではない。
出典の物語
宋の時代の惟信(いしん)というお坊さんが、説法の座でこう語った。「私が三十年前、まだ禅の修行を始める前は、山を見れば山だったし、水を見れば水だった。その後、師匠について修行し、ある境地に入ったとき、山は山ではなくなり、水は水ではなくなった。そして今、安らぎの場所を得てみると、やはり山はただ山であり、水はただ水である。さて皆さん、この三つの見方は、同じだろうか、違うだろうか」。最初の段階は、ふつうに山や水を見ている状態。二番目は、修行によって「すべては実体がない」と見るようになり、山も水も揺らいで見える状態。三番目は、その揺らぎをくぐり抜けて、ふたたび山は山、水は水と見える状態である。最初の「山は山」と最後の「山は山」は、言葉は同じだが、間に揺らぎを通っているかどうかが違う。禅の修行の全体を、この三段階で表した言葉として、とても有名である。
出典:『五灯会元』巻十七(青原惟信)/『続伝灯録』
ウェルビーイング研究とのつながり
素朴な肯定から、疑いの段階を経て、成熟した肯定に至るという三段階の構造は、成人発達理論が描く段階と重なる。たとえばKeganは、周囲の期待に自分を合わせる段階から、自分の価値観を持つ段階へ、さらにその価値観をも相対化できる段階へという発達を描いた(Kegan, 1982; 1994)。各段階の移行期には、それまで当たり前だった世界観が揺らぐ「山が山でなくなる」時期が伴う。惟信の三段階は、こうした発達の過程を、修行者の体験として語ったものと読める。
現代の暮らし・仕事への示唆
仕事を覚えたての頃は「仕事は仕事」だった。やがて疑いが生じる。この仕事に意味はあるのか、自分は何をしているのか。すべてが揺らぐ。その揺らぎを経て、ある日ふたたび「仕事は仕事」に戻る。しかしそれは最初の素朴さとは違い、疑いを通過した上での肯定である。成長とは、素朴な肯定から疑いを経て、成熟した肯定へ至る過程だ。発達心理学や成人発達理論が描く段階もこれに似ている。今、疑いの真っただ中にいる人へ。山がまた山に見える日は来る。しかもそれは、前より確かな山である。
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