幸せの禅語百選

無事是貴人

ぶじこれきにん

外に何かを求めてあくせくしない人こそ、本当に貴い人である。「無事」とは、求める心が止んでいること。

出典の物語

唐の時代の臨済(りんざい)というお坊さんは、とても激しい語り口で知られる。その臨済が弟子たちにこう語った。「仏の道は、無理に努力して作り上げるものではない。ただ、ふだん通り、何事もなく、トイレに行き、服を着て、ごはんを食べ、疲れたら寝る。それだけだ。愚かな人は私を笑うだろうが、賢い人には分かる」。そして「無事是貴人」、何も求めない人こそ本当に貴い人だ、と言った。ここで大事なのは、「無事」の意味である。「平和で何も起こらない」という意味ではない。「仏になりたい」「悟りたい」と外に向かって追い求める心が、すっかり止んだ状態のことである。臨済は、「求めれば求めるほど、かえって遠ざかる」と見抜いていた。だから「よけいなことをするな、ただふだん通りでいろ」と言う。何かを追いかけるのをやめて、ただ日常を日常として生き切っている人が「貴人」なのである。

無事是貴人(ぶじこれきにん)。但だ造作すること莫れ、祇だ是れ平常なれ(『臨済録』)

出典:『臨済録』示衆

ウェルビーイング研究とのつながり

物やお金を手に入れても幸福感はやがて元の水準に戻る「快楽順応」は、幸福研究の基本的な発見である(Brickman & Campbell, 1971; Diener, Lucas & Scollon, 2006)。また、幸福そのものを強く追い求める人ほど、かえって幸福感が低いという逆説も報告されている(Mauss et al., 2011)。「求める心が止んだ人こそ貴い」という臨済の言葉は、この二つの知見と響き合う。

現代の暮らし・仕事への示唆

自己啓発書を読み、資格を集め、より良い自分を目指し続ける。それ自体は悪くないが、「今の自分では足りない」という前提が常に走り続けると、どこまで行っても満たされない。臨済はその前提を疑えと言う。足りないから求めるのではなく、求めるから足りなく感じるのだ、と。幸福感の研究でも、物質的な獲得による満足は短期間で元の水準に戻る(快楽順応)ことが知られる。無事是貴人は、追いかけるのをやめた瞬間に立ち現れる充足を指し示している。

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禅語の出典・読み・解釈には諸説があります。本百選は通行の解釈に従っていますが、茶会の軸や講話など正式な場で用いる際は、原典や専門書(『禅語辞典』『茶席の禅語大辞典』など)でご確認ください。研究とのつながりは、禅語の主題に対応する心理学・幸福研究の知見を示したもので、禅語そのものの効果を実証したものではありません。 読み物版:PDF(127P) / 一覧:Excel(100語・引用研究つき)
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