非心非仏
心でもなく、仏でもない。「即心是仏」という肯定にしがみついた瞬間、それも手放す。
出典の物語
ある僧が馬祖に「仏とは何ですか」と尋ねた。馬祖は答えた。「心でもなく、仏でもない(非心非仏)」。同じ馬祖が、別の場面では「この心がそのまま仏だ(即心是仏)」と答えている。なぜ正反対のことを言うのか。馬祖自身がこう説明している。「『心がそのまま仏』というのは、泣いている赤ん坊をあやすための言葉だ」。泣く子に黄色い葉っぱを「ほら、金貨だよ」と渡して泣き止ませるようなもので、仏を外に探して迷っている人に「あなたの心がそのまま仏ですよ」と言って、探すのをやめさせただけだ、と。「泣き止んだ後はどうするのですか」と聞かれると、「心でもなく、仏でもない」と答えた。「心だ、仏だ」と言って持たせたものを、今度は取り上げる。問題集の解説で無門は、「剣の達人には剣を見せよ、詩人でない人に詩を贈るな。人に会ったら三割だけ話して、全部は渡すな」と詩に詠んでいる。二つの正反対の答えは矛盾ではなく、相手の状態に合わせた薬の使い分けであり、どちらにもしがみつかせないための工夫なのである。
出典:『無門関』第三十三則「非心非仏」/『馬祖語録』
ウェルビーイング研究とのつながり
一つの考え方や対処法に固執せず、状況に応じて切り替えられる「心理的柔軟性」が、精神的健康の中核であることが示されている(Kashdan & Rottenberg, 2010)。ある状況で有効だった対処法(たとえば気晴らし)が、別の状況では逆効果になることも多く、重要なのは方略そのものより、方略を使い分ける柔軟さである(Bonanno & Burton, 2013)。「心が仏だ」と「心でも仏でもない」を往復する馬祖の教え方は、この柔軟性を師匠の側から実演したものと言える。
現代の暮らし・仕事への示唆
ある時期に自分を救ってくれた考え方が、別の時期には自分を縛る檻になることがある。「ありのままの自分でいい」が開き直りの言い訳になり、「努力すれば報われる」が自責の道具になる。馬祖は、どんな正しい言葉も薬であって真理そのものではないと示した。薬は症状が治まれば止める。信念も同じで、効いている間は使い、縛り始めたら手放す。自分がいま握りしめている「正しい考え」は、泣き止むために渡された黄色い葉ではないか。ときどき確かめてみる価値がある。
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