幸せの禅語百選

他不是吾

たはこれわれにあらず

他人は私ではない。自分がやるべきことを人に任せては、自分の修行にならない。

出典の物語

道元が中国(宋)の天童山というお寺で修行していたときの話である。真夏の暑い日、年老いた典座(てんぞ=食事係のお坊さん)が、杖をつきながら、中庭でしいたけを干していた。笠もかぶらず、汗を流し、背中を曲げて。道元は気の毒に思って声をかけた。「ご高齢なのに、どうしてそんな仕事を。若い人にやらせればいいではありませんか」。老僧は答えた。「他は是れ吾にあらず(ほかの人は、私ではない)」。他人にやらせたのでは、私の修行にならない、と。道元が「それはそうですが、こんなに日差しが強いのに、なぜ今なさるのですか」と聞くと、老僧は「今やらないで、いつやるのか」と答えた。道元は深く恥じ入り、この問答を『典座教訓(てんぞきょうくん)』という本に書き残した。道元はこの出会いを、「台所の仕事こそ仏の道だと初めて知った」きっかけとして語っている。しいたけを干すというごく当たり前の仕事の中に、誰にも代わってもらえない「私の今」がある。

他不是吾(他は是れ吾にあらず)── 更待何時(更に何れの時をか待たん)(道元『典座教訓』)

出典:道元『典座教訓』

ウェルビーイング研究とのつながり

自分で手を動かして作ったものを、人は実際以上に価値あるものと感じる。家具を自分で組み立てた人は、完成品を買った人より、その家具を高く評価するという実験がある(Norton, Mochon & Ariely, 2012)。また、「自分にはこれができる」という自己効力感は、課題に自分で取り組んで成功した経験によって最も強く育つ(Bandura, 1977)。「他人は私ではない」と言ってしいたけを干した老僧の態度は、効率の論理とは別の、この価値と効力感の論理に立っている。

現代の暮らし・仕事への示唆

効率を考えれば、仕事は適切に分担し、任せられることは任せたほうがよい。しかし、任せてはいけないものがある。自分の人生の経験、自分の身体を通して学ぶべきこと、自分が向き合うべき人との関係。これらは外注できない。「誰かがやってくれる」「自分がやらなくても」と手放し続けると、人生の手応えが薄れていく。老典座の言葉は、何もかも自分で抱えろという話ではない。「これは自分がやるべきことか」を問い、そうであるなら今やる、ということだ。今日、自分で干すべき椎茸は何だろうか。

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