第4章 | 風光・季節・無常 | 19語
自然とともに
柳は緑、花は紅。山は山、水は水。禅語には自然の光景を詠んだものが多い。それは比喩や象徴というより、自然がそのまま真理を語っているという受け取り方(無情説法)による。この章の言葉は、茶掛けとして季節の席に掛けられることも多く、読む人をそのまま風景の中へ連れていく。
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柳緑花紅
やなぎはみどり はなはくれない
柳は緑、花は紅。それぞれがそれぞれのままに、ありのままで完全である。
47 山是山 水是水
やまはこれやま みずはこれみず
山は山、水は水。悟りを経て、ものごとはふたたびただそのものとして見える。しかし、以前と同じではない。
48 松無古今色 竹有上下節
まつにここんのいろなく たけにじょうげのふしあり
松は昔も今も変わらぬ緑。竹には上と下の節がある。変わらないものと、区別のあるもの。平等と差別は、どちらも真実である。
49 青山元不動 白雲自去来
せいざんもとふどう はくうんおのずからきょらいす
青い山はもとより動かず、白い雲はおのずから行き来する。動かぬものと動くもの。どちらも、そのままでよい。
50 水急不流月
みずきゅうにしてつきをながさず
川の流れがどれほど急でも、水面に映る月は流されない。激しく変化する現実の中で、変わらず輝くものがある。
51 掬水月在手 弄花香満衣
みずをきくすればつきてにあり はなをろうすればかおりころもにみつ
水をすくえば、月は手の中にある。花に触れれば、香りは衣に満ちる。求めて遠くへ行かずとも、手を伸ばせば世界はこの手の中にある。
52 竹影掃階塵不動
ちくえいかいをはらってちりどうぜず
竹の影が階(きざはし)を掃いても、塵は動かない。月が淵の底まで射しても、水に跡は残らない。関わりながら、跡を残さない。
53 春来草自生
はるきたってくさおのずからしょうず
春が来れば、草はおのずから生える。はからいや焦りがなくても、時が満ちれば、なるべきことはおのずからなる。
54 一葉落知天下秋
いちようおちててんかのあきをしる
一枚の葉が落ちるのを見て、天下に秋が来たことを知る。小さな兆しの中に、全体の動きを見る。
55 紅炉一点雪
こうろいってんのゆき
真っ赤に燃える炉の上に落ちた一片の雪。触れた瞬間に跡形もなく消える。迷いも執着も、真の覚醒の前では一瞬で消え去る。
56 風吹不動天辺月 雪圧難摧澗底松
かぜふけどもどうぜずてんぺんのつき ゆきおせどもくだけがたしかんていのまつ
風が吹いても天の月は動かず、雪が重く積もっても谷底の松は折れない。外からの力に揺るがない、不動の心。
57 山花開似錦 澗水湛如藍
さんかひらいてにしきににたり かんすいたたえてあいのごとし
山の花は錦のように咲き、谷の水は藍のように湛えられている。滅びゆくこの身の中に、滅びない真理が、この美しさとして現れている。
58 江月照 松風吹
こうげつてらし しょうふうふく
川面に月が照り、松に風が吹く。この静かな秋の夜に、何をなすべきことがあろうか。すべてはすでに完全である。
59 渓声山色
けいせいさんしょく
谷川のせせらぎは仏の説法、山の姿は仏の清らかな身体。自然のすべてが真理を語っている。
60 月落不離天
つきおちててんをはなれず
月は沈んでも、天を離れたわけではない。姿が見えなくなっても、本体はどこへも行っていない。
61 枯木龍吟
こぼくりょうぎん
枯れ木の中に龍の声が響く。すべてが死に絶えたように見えるところに、生き生きとした命のはたらきがある。
62 一花開五葉
いっかごようをひらく
一つの花が五枚の花びらを開き、実は自然に結ばれる。一人の志から、やがて大きな流れが生まれる。
63 泥多仏大 水長船高
どろおおければほとけだいなり みずながければふねたかし
泥が多ければ、それだけ大きな仏像ができる。水かさが増せば、船は高く浮かぶ。苦難や煩悩が多いほど、それを超えたときの悟りは大きい。
64 行雲流水
こううんりゅうすい
空を行く雲、流れる水のように、一か所にとどまらず、形にとらわれず、自在に生きる。