幸せの禅語百選

明歴々 露堂々

めいれきれき ろどうどう

真理は隠されてなどいない。すべてはこの上なくはっきりと、堂々と目の前に現れている。

出典の物語

「歴々(れきれき)」は、一つひとつがはっきり見えるようす。「堂々」は、何も隠さず正々堂々と現れているようす。二つ合わせて、「真理は隠されてなどいない。全部がこの上なくはっきりと、目の前に現れている」という意味になる。禅を学ぶ人は、しばしばこう疑う。「本当の教えは、どこかに秘密にされているのではないか」「師匠は何かを隠しているのではないか」。それに対して師匠たちは、この言葉を示した。隠されているから見えないのではない。「隠されているはずだ」と思い込んで探しているから、目の前にあるものが見えないのだ、と。黄檗(おうばく)というお坊さんは「本来の自分の姿は、はっきりと現れていて、隠れたところなど一つもない」と言った。花は花として、水は水として、この上なく明らかにそこにある。それ以上に、何を探すのか。『碧巌録』の解説部分などに見える言葉である。

明歴歴 露堂堂(『碧巌録』第一則 評唱)── 黄檗「本来の面目は明歴歴として隠すところなし」

出典:『碧巌録』第一則 評唱(圜悟克勤)/『圜悟心要』

ウェルビーイング研究とのつながり

自分の強みは隠されているのではなく、ふだんの行動の中にすでに現れている、という考え方は、強み研究の前提である。自分の「特徴的な強み」を特定し、それを新しい形で毎日使うと、幸福感が上がり抑うつが減る効果が半年続いたという実験がある(Seligman et al., 2005)。また、強みを「知っている」だけでなく「使っている」人のほうが、幸福感と目標の進捗が高い(Govindji & Linley, 2007)。

現代の暮らし・仕事への示唆

「自分の本当の強みは何か」「人生の意味はどこにあるか」。答えを遠くに探すほど見えなくなるものがある。この言葉は、答えはすでに全部見えている、と告げる。毎日やっていること、つい手が伸びてしまうこと、人から繰り返し感謝されること。そこに「隠された自分」ではなく「露わな自分」がある。問題解決の場面でも同じで、複雑に見える状況の多くは、見えている事実をそのまま受け取ることを避けているだけだったりする。隠されたものを暴く前に、見えているものを見る。

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禅語の出典・読み・解釈には諸説があります。本百選は通行の解釈に従っていますが、茶会の軸や講話など正式な場で用いる際は、原典や専門書(『禅語辞典』『茶席の禅語大辞典』など)でご確認ください。研究とのつながりは、禅語の主題に対応する心理学・幸福研究の知見を示したもので、禅語そのものの効果を実証したものではありません。 読み物版:PDF(127P) / 一覧:Excel(100語・引用研究つき)
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