入鄽垂手
街に入って、手を垂れる。悟りを得た人が、ふたたび俗世の雑踏に戻り、人々とともに生きる。修行の最終段階。
出典の物語
宋の時代の廓庵(かくあん)というお坊さんが、禅の修行の道のりを、牛を探す牧童の物語として、十枚の絵と詩で表した。それが『十牛図(じゅうぎゅうず)』で、その最後の十枚目が「入鄽垂手」である。「鄽(てん)」は店や町のこと。「垂手」は手を垂らす、つまり気取らず、構えず、人に手を差し伸べること。十枚の物語はこう進む。牛(本当の自分)を探し、足跡を見つけ、牛を見つけ、捕まえ、飼いならし、牛に乗って家に帰り、牛を忘れ、人も牛も忘れ(ここで絵は一つの円だけになる)、自然の風景だけになり、そして最後に町に入る。九枚目で花が咲き水が流れる風景だけになった後、十枚目でふたたび人間が、しかも布袋(ほてい)さんのような大きなお腹の男が、町の入口で若者と向き合っている。廓庵の詩はこうである。「胸をはだけ、裸足で町に入ってくる。土にまみれ、灰をかぶって、顔じゅう笑っている。仙人の秘密の術など使わず、ただ枯れ木に花を咲かせる」。悟りの完成は、山の頂上ではなく、町の角にある。
出典:廓庵『十牛図』第十図
ウェルビーイング研究とのつながり
他者を助ける行動は、助ける側の幸福感と健康を高めることが、文化を越えて確認されている(Aknin et al., 2013)。ボランティア活動などの利他的行動と心身の健康との関連を扱った研究のレビューでも、他者への貢献が幸福、生きがい、死亡率の低さと結びつくことが示されている(Post, 2005)。また、意味のある人生は、自分のためだけでなく他者のために何かを与えることと強く関連する(Baumeister et al., 2013)。「悟った後に町へ戻る」十牛図の結末は、この貢献と意味の結びつきに対応する。
現代の暮らし・仕事への示唆
学んだこと、身につけたことは、自分の中にしまっておくためではなく、誰かの役に立てるためにある。十牛図が第九図の美しい自然で終わらず、第十図で雑踏に戻ることは、深い示唆を持つ。自分探しが「自分」で完結したら、それは途中である。研究でも、幸福を自分の中だけで追求するより、他者への貢献の中に見出す人のほうが、持続的な幸福感が高い。悟った人は、特別な衣をまとわない。灰にまみれ、笑い、目の前の若者に手を差し伸べる。あなたの入鄽垂手は、どこで、誰に対してか。
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