身心脱落
身も心も脱け落ちる。自分という枠組みが抜け落ちて、自他の区別、身心の区別が消え去った境地。道元の悟りの体験。
出典の物語
道元が中国の天童山で、師匠の如浄のもとで坐禅をしていたときのこと。早朝の坐禅中、隣で居眠りをしていた僧を、如浄が叱って言った。「坐禅とは、身も心も脱け落ちることだ。ただ居眠りをして、何になる」。この言葉を聞いた瞬間、道元は深く悟った。道元は如浄の部屋へ行き、お香をたいて礼拝した。如浄が「何のためにお香をたくのか」と問うと、道元は「身心が脱け落ちました」と答えた。如浄は「身心脱落、脱落身心」と認めた。道元が「これは一時的なことかもしれません。軽々しくお認めにならないでください」と言うと、如浄は「私は軽々しく認めたりはしない」と答えた。「身心脱落」は、道元の悟りの体験であると同時に、道元の教えのすべてを表す言葉となった。「体」と「心」を二つに分けて、それを操る「私」がいる、というふだんの構えが崩れ落ちる。残るのは「ただ坐っている」という事実だけで、坐っている「私」はいない。道元は後に、「自分から世界に働きかけて確かめるのが迷い、世界のほうから自分に迫ってきて明らかになるのが悟り」と書いている。自分が世界を見るのではなく、世界が自分を通して現れる。
出典:道元『正法眼蔵』「弁道話」/『宝慶記』/『永平広録』
ウェルビーイング研究とのつながり
自分と世界の境界が薄れ、自分より大きなものと一つになる「自己超越的な体験」は、幸福感と人生の意味の感覚を深めることが示されている(Yaden et al., 2017)。瞑想中に身体の境界の感覚が溶ける体験をした人ほど、その後の幸福感が高かったという実験もある(Dambrun, 2016)。また、自己へのとらわれが減るほど幸福が安定するという理論(Dambrun & Ricard, 2011)は、「身心脱落」の心理的な効用を説明する枠組みになる。
現代の暮らし・仕事への示唆
「自分」を守り、「自分」を高め、「自分」を証明する。その努力が人を疲弊させる。身心脱落は、その「自分」の枠組みが抜け落ちる体験である。日常的なレベルでも、似たことは起こる。音楽に没入しているとき、山頂で景色を見ているとき、子どもと夢中で遊んでいるとき、「自分」は消えている。心理学でいう「自己超越的な体験」は、幸福感と意味の感覚を深めることが知られる。それは特別な体験ではなく、「自分」という監視役が席を外した瞬間に、いつでも起こっている。脱け落ちるのは、重い荷物である。
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