一行三昧
一つの行いに心を定め、それになりきること。歩くときは歩くことに、坐るときは坐ることに、全身全霊で没入する。
出典の物語
もとは『文殊説般若経』というお経に出てくる言葉で、「世界は一つのものである」と深く見つめる心の集中(三昧=さんまい)のことだった。これを禅の実践の言葉として確立したのが、六祖慧能である。慧能は言う。「一行三昧とは、どんな場所でも、歩いていても、立ち止まっていても、坐っていても、寝ていても、いつもまっすぐな心でいることだ」。そして『維摩経』の「まっすぐな心が道場だ」という言葉を引いて、「心ではへつらい曲がったことを考えながら、口では『まっすぐ』と説く」ことを戒めた。慧能はまた、「坐ったまま動かず、何も考えないこと」が一行三昧だと勘違いする人を批判する。それでは「心のない物と同じで、かえって道のじゃまになる」と。一行三昧は、坐禅堂の中だけの集中ではない。一つひとつの行いに、そのつど全身で入り込むことである。道元の「只管打坐(ただひたすら坐る)」は、坐ることにおける一行三昧であり、道元が説く台所仕事も、料理における一行三昧である。「一行」の「一」は、あれこれ気を散らさず、今これ一つ、ということ。
出典:『文殊説般若経』/『六祖壇経』定慧品/道元『正法眼蔵』
ウェルビーイング研究とのつながり
複数の作業を同時にこなそうとする「マルチタスク」は、作業の切り替えのたびに時間と注意のコストを生み、生産性を下げることが示されている(Rubinstein, Meyer & Evans, 2001)。日常的にメディアのマルチタスクを多く行う人ほど、無関係な情報を無視する力や、課題の切り替え能力がむしろ低かった(Ophir, Nass & Wagner, 2009)。また、今していること以外に心が向いている時間が長いほど幸福感が低い(Killingsworth & Gilbert, 2010)。「今これ一つ」という一行三昧は、注意の分散を戒めるこれらの知見と一致する。
現代の暮らし・仕事への示唆
マルチタスクは効率的に見えて、実際には注意の切り替えコストで生産性も満足度も下げることが研究で示されている。一行三昧は、千四百年前にその逆を説いていた。メールを読みながら会議に出て、食事をしながらスマートフォンを見る。どれも中途半端になり、どれも味わえない。一つのことを、一つだけする。食べるときは食べる。歩くときは歩く。話を聴くときは聴く。それだけで、同じ一日の密度が変わる。三昧とは、特別な瞑想状態ではなく、「今これひとつ」に全体重をかけている状態のことだ。
アプリの名前はこの語から。一つのことに心を定めて、それになりきる時間を、毎日の中に少しずつ置くためのタイマーです。
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