幸せの禅語百選

喫茶去

きっさこ

「まあ、お茶をお飲みなさい」。来る人を分け隔てなく、同じ一杯の茶で迎える心。

出典の物語

趙州(じょうしゅう)というお坊さんのところへ、二人の修行僧がやって来た。趙州は一人目に聞いた。「ここへ来たことはあるか」。「いいえ、初めてです」。趙州は言った。「お茶を飲みなさい」。次に二人目に聞いた。「ここへ来たことはあるか」。「はい、あります」。趙州はやはり言った。「お茶を飲みなさい」。それを見ていた寺の役僧が、不思議に思って尋ねた。「和尚さま、なぜ初めての人にも、二度目の人にも、同じようにお茶を勧めるのですか」。趙州は役僧の名を呼んだ。「はい」と役僧が答えると、趙州は言った。「お茶を飲みなさい」。初めての人も、二度目の人も、質問してきた人も、みんな同じ一杯のお茶。そこには、相手の経歴や理解の深さで人を分けない心がある。「喫茶去」の「去」は「去れ」という意味ではなく、言葉の調子を整える字で、全体で「まあ、お茶をお飲みなさい」というほどの意味である。お茶の席の掛け軸として、いちばん愛されている禅語の一つ。

喫茶去(きっさこ)── 趙州、院主を喚ぶ。院主応諾す。州云く、喫茶去(『趙州録』)

出典:『趙州録』/『五灯会元』巻四(趙州従諗)

ウェルビーイング研究とのつながり

相手を条件なしに受け入れる「無条件の肯定的関心」は、カウンセリングにおける変化の条件として古典的に重視されてきた(Rogers, 1957)。また、見知らぬ人や店員との短いやりとりでも、相手を一人の人として扱って会話をすると、する側もされる側も幸福感が上がることが示されている(Sandstrom & Dunn, 2014; Epley & Schroeder, 2014)。「誰にでも一杯の茶」は、こうした日常の応接の質に関わる。

現代の暮らし・仕事への示唆

私たちは相手の肩書き、経歴、自分との関係によって無意識に応対を変える。初対面の客、顔なじみ、口うるさい同僚。趙州の「喫茶去」は、その区別が消えた応接を見せる。これは誰にでも同じ言葉を機械的にかけることではなく、目の前の一人にそのつど全部で向き合うということだ。職場でも家庭でも、まず一杯の茶を差し出すように人を迎えられたら、関係はずいぶん違うものになる。もてなしとは、結局のところ相手を選ばないことなのかもしれない。

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禅語の出典・読み・解釈には諸説があります。本百選は通行の解釈に従っていますが、茶会の軸や講話など正式な場で用いる際は、原典や専門書(『禅語辞典』『茶席の禅語大辞典』など)でご確認ください。研究とのつながりは、禅語の主題に対応する心理学・幸福研究の知見を示したもので、禅語そのものの効果を実証したものではありません。 読み物版:PDF(127P) / 一覧:Excel(100語・引用研究つき)
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