日日是好日
どんな一日も、そのままで比べようのない「好い日」である。晴れの日も雨の日も、うまくいった日もいかなかった日も、二度とない一日として丸ごと受け取る。
出典の物語
昔の中国に、雲門(うんもん)という禅のお坊さんがいた。ある日、雲門は弟子たちにこう問いかけた。「月の前半のことはもう聞かない。これから先の日々について、ひとこと言ってみなさい」。つまり「これからをどう生きるか」という問いである。誰も答えられずに黙っていると、雲門は自分で答えを言った。「日日是好日」。毎日が、好い日だ、と。ここでいう「好い日」は、天気がよい日や、うまくいった日のことではない。晴れでも雨でも、うまくいってもいかなくても、その日はその日として、比べようのない一日だということである。私たちは一日を「よい日」「悪い日」と採点してしまうが、雲門は、その採点そのものをやめてしまえと言っている。採点をやめたとき、今日という日がそのまま輝き出す。この問答は、禅の代表的な問題集『碧巌録(へきがんろく)』の第六番目に収められている。
出典:『碧巌録』第六則「雲門日日是好日」/『雲門広録』
ウェルビーイング研究とのつながり
「今日という日を評価せずに受け取る」という態度は、マインドフルネス研究の「評価せずに今に注意を向ける」姿勢とほぼ重なる。スマートフォンで数千人の日常を追った研究では、人は起きている時間の約半分で「今していること以外」を考えており、心がさまよっているときほど幸福感が低かった(Killingsworth & Gilbert, 2010)。また、ふだんの何気ない一日の記録を後から読み返すと、人は自分の予想以上にそれを価値あるものと感じる、という実験もある(Zhang et al., 2014)。「好日」はその日のうちには気づきにくいが、確かにそこにあったのである。
現代の暮らし・仕事への示唆
私たちは一日を終えるとき、無意識のうちに採点している。会議がうまくいった日は良い日、失敗した日は悪い日。しかし採点をやめて眺めると、どの日にも固有の手触りがある。雨の日は雨の音があり、失敗した日にはそこでしか学べないことがある。日日是好日は、ポジティブ思考を勧める言葉ではなく、評価の物差しをいったん置いて一日と向き合う態度を示す。朝、今日を「好日」と決めてから始めると、出来事の受け取り方が変わることに気づくだろう。