世界の思想と宗教の幸福観マップ

各思想からの悩み相談30 ・ 自分 23/30

スマホばかりいじってしまう

この悩みの形

気づくと手に持っていて、見るつもりのなかったものを見ている。やめようと決めても、数分後にはまた開いている。そのあとに来るのは、時間を失った感覚と、自分への嫌気です。

現代の標準的な答えは「自己管理」「デジタルデトックス」「意志を強く」です。ただ、相手のほうを見てください。画面の向こうには、人の注意を長く引き留めるほど収益が上がる仕組みがあり、それを専門家が設計しています。一人の意志と、産業の設計との勝負です。意志が負けるのは、あなたが弱いからではありません。

本マップの目盛りで見ると、この悩みには三つの層があります。第一に、除去型が言う渇愛(かつあい。止まらない「もっと」)。スクロールは、渇愛がそのまま形になった動きです。第二に、身体型と儀礼の伝統が言う、身体と時間の乱れ。睡眠、姿勢、止まる時間の消失です。第三に、制度型が言う環境の設計。個人の構えでは埋まらない領域です。そしてもう一つ。「断つ」という答えは、反動を生みやすい。多くの伝統は、欲望を根絶するのではなく、置き場所と時間を決める(戒・儀礼・安息)仕組みを持っていました。断つのではなく、置く。そこから各伝統の言葉を置いていきます。

先に言っておきたいこと

「渇愛」「欲を減らす」という言葉を、自分を責める道具にしないでください。伝統が渇愛を語るのは、火を見るためであって、火を持つ自分を裁くためではありません。スマホに向かう手は、多くの場合、孤独・不安・疲労・退屈からの退避です。その場合、スマホは症状であって原因ではありません。原因のほうを責めても、手は止まりません。また、瞑想の技法をスマホのアプリで一人で始めるのは、伝統が持っていた師と共同体の枠を外した使い方です。入口としてはよいのですが、それ自体が「見る時間」を増やすことがあります。断つ宣言より、置く場所を決めるほうが長持ちします。

各思想からの答え

除去・回復型——「もっと」の火を見る

仏教(上座部)

『ダンマパダ』216偈に「渇愛から憂いが生じ、渇愛から怖れが生じる。渇愛を離れた人に憂いはない」とあります。渇愛とは、喉の渇きのように止まらない「もっと欲しい」です。スクロールは、手に入れても落ち着かず次を求める、渇愛の純粋な形です。この伝統はまず、手放すのではなく「今、追いかけているな」と動きを見ることを勧めます。なお、現代のマインドフルネスは戒・僧団・警告の三つを落として技法だけを取り出した、ともこの伝統は注意しています。スマホの中の瞑想アプリも、その一例です。

エピクロス派

欲望を三つに分けます。必要で自然なもの、自然だが不要なもの、どちらでもないもの。通知が作り出す「見なければ」は、自然でも必要でもなく、しかも限界がありません(空虚な欲望)。必要で自然なもの、つまり睡眠・食事・安全・一人の友が足りているなら、あなたはすでに足りています。エピクロス派には「隠れて生きよ」という標語もあります。見られなくてよい、という自由です。

神道

神道は、不調を「直すべき欠陥」ではなく「くもり(穢れ)」として扱い、反省や悔い改めではなく、祓いで元の清らかな状態に戻します。やめられなかった自分を責めるのではなく、一日の終わりに区切りをつけて流すのです。寝る前にスマホを別の部屋に置く行為を、手水(てみず。参拝前に手と口を清める略式の禊)のような一つの儀礼にしてください。意志で我慢するのではなく、場を清めて区切る、という発想です。

イスラム教

『クルアーン』13章28節に「本当に、神を想起すること(ズィクル)によってこそ、心は安らぐ」とあります。この伝統で根本の病はガフラ(神への忘却。上の空であること)で、一日五回の礼拝は、忘却を断ち切って思い出すための仕組みです。これを引きつけると、スマホは上の空を作り続ける装置です。信仰がなくても、決まった時刻に手を止めて何かを思い出す時間を持つ、という設計だけは借りられます。

認識転換型——目的を外して、置く

禅

禅には行住坐臥(歩く・止まる・座る・寝る)の威儀(いぎ。正しい作法)があり、食べるときはただ食べます。スマホを見ながら食べることは、一つの動作を二つに割ることです。一日のうち、皿を洗う数分、湯を沸かす数分だけでも、「ただそれだけをする」時間を持ってください。画面の外に自分がまだいることを、身体で確かめる時間です。

ストア派

ストア派の実践の第一は、心に浮かんだ表象(心に現れたもの)にすぐ同意しないことです。通知は表象です。鳴ったからといって、開くという同意を与える義務はありません。そして、自分次第のものと、そうでないものを分けてください。アルゴリズムの設計、他人の投稿は自分次第ではありません。置く場所と時刻だけが、自分次第です。

道家(老荘)

押すほど戻る、という構造を道家は最初から知っています。作為(わざとらしい計らい)で断とうとするほど、反動が来る。無為とは何もしないことではなく、介入をやめることです。『老子』が説く「損之又損(減らしてまた減らす)」の道も、足すのではなく減らす方向です。通知を切る、一画面目からアプリを外す。これは意志を強めることではなく、自分と画面のあいだに入る介入の回数を減らす設計です。

生命力・身体型——身体に戻す

道教

道教は、精気の漏泄(ろうせつ。生命の力が漏れ出ること)を幸せの妨げの筆頭に置き、呼吸・睡眠・食事・身体の動きを整える養生で、気(生命エネルギー)を養います。寝床のスマホは、眠りを削り、気を漏らします。身体が先で心が後、というこの伝統の順序から言えば、「やめたい」という心の問題として扱う前に、寝室から充電器を出す、という身体の問題として扱ってください。気が満ちると、画面への執着が薄れることがあります。

修験道

峰入りの唱え言に「懺悔懺悔、六根清浄」があります。目・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚器官を清めよ、という意味です。スマホは目と耳を一日中使い続けます。山に入る、電波の届かない場所に身体を置く、疲れるまで歩く。この伝統の行は本来、先達(せんだつ。指導者)のもとで行うものですが、六根を休ませるために身体を自然の中に置く、という構えは借りられます。

贈与・応答型——止まる時間を、掟にする

ユダヤ教

安息日は「休んでもいい日」ではなく「休まなければならない日」です。労働をやめて時間を聖別する、週に一度の日で、神との契約の一部です。この伝統の幸せは心の中の気分ではなく、家庭・食卓・仕事という具体的な場に現れる生活全体の健全さ(シャローム)です。週に一日、画面を止める日を、自分の掟にしてください。やめられたら偉い、ではなく、止めなければならない。止まることで受け取るものがある、という考え方です。

カバラ・ハシディズム

ハシディズムには、日常の業務を意図によって聖別するという実践があります。神は隠れているが、あらゆる場所に満ちている。食べる、歌う、働くという行為の中に、隠れているよいものを引き出すのです。画面の中の情報より、目の前の一つの行為のほうに火花がある、という見方です。この伝統では憂鬱が第一の敵でもあります。今日の食事を一つ、そのつもりで食べてみてください。

キリスト教観想的伝統

砂漠の修道者エヴァグリオスは「アケーディアの悪魔は『真昼の悪魔』とも呼ばれ、あらゆる悪魔のなかで最も重い」と書きました(『プラクティコス』12)。アケーディアとは、いまいる場所と作業の意味を侵食する脱力・倦怠・逃避欲で、修道者が昼下がりに独房を出たくなる衝動のことです。スクロールへ伸びる手は、その現代の形かもしれません。修道者の処方は、短い定型句の反復と手仕事でした。

関係構成型——画面の向こうの「人々」と、こちら側の関係

Ubuntu

人は他の人々を通してはじめて人になる、という南部アフリカの考えが、この伝統の核にあります。幸せは個人の心の中ではなく、他者との関係の中で「人である」状態が実現していくことで、孤立と分断が最大の妨げです。今のあなたに置き直すと、問いは「画面の中の人々は、あなたを人にしてくれているか」です。フォロワーの人数ではありません。あなたを人として扱う関係が、画面の外に一本あるかどうかです。その一本があると、画面に向かう手は自然に減ることがあります。

アドラー(個人心理学)

アドラーは、過去の原因ではなく「何のためにそうしているのか」と目的から問います。スマホに手が伸びるとき、多くは、仕事・交友・愛という人生の課題からの一時退避が目的です。責める必要はありません。劣等感も退避も、誰にでもある正常な動きです。ただ、何から退避しているかを一度見てください。退避先ではなく、退避の元のほうに課題があり、そこに勇気づけ(課題に向かう力を持てるように関わること)が要ります。

アイヌ

アイヌの世界観では、火や道具にもカムイ(神々)が宿り、人が丁寧にもてなして送り返せば、また恵みを持って来てくれます。道具を使い捨てにしないこと、使ったら置く(送り返す)ことが、循環の条件です。スマホを「贈られた道具」として扱い、使い終えたら決まった場所に戻す。もらう・返すの循環の中に道具を置く、という発想です。

制度・集計型——個人の意志の問題にしない

ケイパビリティ・アプローチ

この立場は、適応的選好(長く剥奪された人は要求水準を下げてしまい、本人の満足度では剥奪が隠れること)を出発点にします。注意を奪われることに慣れると、「自分で選んで見ている」と感じるようになります。問うべきは、注意を向ける先を実際に選べる幅です。幅を広げるのは本人の意志ではなく、設計の規制や学校・職場の方針という制度の仕事でもあります。

ポジティブ心理学3.0

幸せは一人の心の中で完結せず、関係・制度・環境というシステムの中で立ち上がる、とこの立場は見ます。職場がチャットでの即応を求める、家族全員が食卓で見ている。そういう環境で自分だけ整えても、すぐ戻ります。苦しみは個人の欠陥ではなく、システムの不均衡の信号です。家庭・職場という単位で、置く場所と止まる時間を設計する。個人の努力と環境の設計を分けないことが、この型の答えです。

今日からできる三つのこと

試すなら、この中から一つ。伝統の実践(瞑想・行・祈り)の代わりではなく、考え方に触れるための小さな入口です。

  1. 充電場所を寝室の外に決め、寝る前に置く行為を一つの儀礼にする(神道)
  2. 食事のあいだだけ、一つの動作を一つとして行う。見ながら食べない(禅)
  3. 通知を切り、一画面目からアプリを外す。意志ではなく、介入の回数を減らす(道家(老荘))

こういうときは専門家へ

使用を自分で止められず、睡眠・仕事・学業・家計(課金)に実害が出ていて、やめようとすると強い不安やいらだちが出る。これは構えではなく、医療の対象になりえます。ゲーム行動症はWHOの国際疾病分類(ICD-11)に含まれています。精神保健福祉センター、各都道府県が指定する依存症専門医療機関に相談してください。課金のトラブルやネット上の詐欺は、消費者ホットライン188(消費生活センター)へ。子どもの場合はスクールカウンセラーにつないでください。スマホの背後に、眠れない、何も楽しめない、人と会いたくない、が続いているなら、そちらが本体です。心療内科・精神科へ。

つらさが強いとき・「消えてしまいたい」と感じるときは、どうかひとりで抱えないでください。まもろうよ こころ(電話・SNSの相談窓口一覧)/よりそいホットライン 0120-279-338(24時間・通話無料)。
ひとこと断つのではなく、置く場所と時間を決める。

この悩みを含む30の悩みは、PDFでも読めます:各思想からの悩み相談30(PDF)

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