歩歩是道場
一歩一歩が道場である。歩くその足の下、生活のすべての場面が、修行の場であり、真理が現れる場である。
出典の物語
『維摩経』の「まっすぐな心が道場である(直心是道場)」から生まれて、禅のお寺で広く使われるようになった言葉である。維摩が「道場はどこか」と問われて「まっすぐな心が道場だ」と答えた、その心を、「歩く」という具体的な行いに移したものである。道場は、特定の建物のことではない。坐禅堂の中だけが修行の場ではなく、食堂も、トイレも、廊下も、畑も、そしてお寺の外の道も、一歩一歩が道場である。禅のお寺では歩くことも修行で、坐禅と坐禅の間に行う「経行(きんひん)」は、一呼吸に半歩という、とてもゆっくりした歩き方で、歩くことに全身を集中させる。また修行僧は「行脚(あんぎゃ)」といって、師匠を求めてあちこちを歩いて回る。その一歩一歩が道場である。「どこにいても主人になれば、立つ場所がすべて真実(随処作主)」が「場所」について語るのに対して、「歩歩是道場」は、移動する一歩一歩、時間の流れの中の一瞬一瞬について語っている。止まっているときだけでなく、動いているときも、すべてが道場である。お茶の席では、茶室への庭の道を歩む客の心がまえとして、また旅立つ人へのはなむけの言葉として掛けられる。
出典:『維摩経』「直心是道場」から派生した禅語
ウェルビーイング研究とのつながり
歩くことは、それ自体が創造性を高める。座っているときより歩いているときのほうが、創造的なアイデアの産出が平均で六割ほど増えたという実験がある(Oppezzo & Schwartz, 2014)。また、歩きながら身体感覚に注意を向ける「歩行瞑想」は、心理的ストレスの高い人の苦痛を軽減し、生活の質を改善することが臨床試験で示されている(Teut et al., 2013)。「一歩一歩が道場」は、移動の時間を回復と創造の時間に変える実践として、根拠を持っている。
現代の暮らし・仕事への示唆
通勤の道、会議室への廊下、子どもを迎えに行く道。移動の時間を「本番までの無駄な時間」と見なしてスマートフォンで埋めていないか。歩歩是道場は、その一歩一歩を取り戻す。研究でも、歩行瞑想や、移動中に注意を身体感覚に向けることが、ストレスを下げ、気分を改善することが示されている。特別な準備は要らない。次に歩くとき、足の裏が地面に触れる感覚を三歩だけ感じてみる。それで、その三歩は道場になる。本番はどこか別の場所にあるのではなく、今踏み出すこの一歩の下にある。
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