スーフィズム
自我が神のうちに消え(ファナー)、神によって生き直される(バカー)ときに開かれる境地
イスラム教の中の神秘主義の道。苦しみの根は「自分は独立した存在だ」という自我の錯覚にあると見て、修行の全体をこの錯覚をほどくことに向ける。自我が神の中で消える体験(ファナー)を経るが、それがゴールではなく、その後に神によって生き直され、日常に戻って人に仕える(バカー)ことが完成とされる。
イスラム教の中の神秘主義の道。8世紀の禁欲的な修行者から始まり、詩人ルーミーで知られる。師のもとで神の名を唱え続け、自我が神の中で消える体験を経て、再び日常に戻って人に仕えることを目指す。かつてはイスラム世界の宗教生活の主要な形だったが、近代の改革派からは批判も受けている。教団所属者の推計は難しい。
どれくらいの人が信じているか、学んでいるか
イスラーム世界の全域(西アフリカから東南アジアまで)に広がり、近代以前はイスラーム的な宗教生活の主要な形式でした。教団(タリーカ)所属者の世界推計は、本調査では確認していません。
注意点として、近代の反スーフィズム(サラフィー主義・ワッハーブ主義)により、地域差が大きいです。「イスラーム内の少数派」という位置づけは、歴史的に不正確です。
スーフィズム(イスラム教の中の神秘主義の道。羊毛=スーフの粗衣を着た修行者に由来する名)が幸せを語る中心語は、ファナー(アラビア語で「消滅」。自己の属性が神の現前において消え去ること)と、バカー(「存続」。ファナーの後に神において生き直される状態)です。クルアーン(イスラム教の聖典)55章26-27節の「消え去るもの(ファーニン)/残るもの(ヤブカー)」の対が、この語対そのものの由来です。ジュナイド(9〜10世紀バグダードのスーフィー)の系統の正統的な定式では、バカーが終点です。
ほかの重要語も挙げておきます。ズィクル(想起・唱念。神の名を繰り返し唱えること)。マカーマート(段階。修行者が努力によって獲得し、安定的に保持するもの)。アフワール(状態。神から一方的に与えられ、通り過ぎる一時的なもの)。ワフダト・アルウジュード(存在の一性。イブン・アラビー=13世紀の神秘思想家の学派の考え)です。
この思想において幸せとは、自我が神との間に立てる隔てが取り除かれることです。人間の不幸の根は、自らを独立した存在とみなす自我(ナフス)の錯覚にあります。修行の全体は、この錯覚の解体に向かいます。段階(マカーム)の階梯を努力によって上り、同時に神から一方的に与えられる状態(ハール)を受けとりながら、修行者はついに自我の属性が消える消滅(ファナー)に至ります。
しかしこれは終点ではありません。ファナーの後に神によって生かされる存続(バカー)があり、そこで修行者は日常の世界に戻り、法を守り、他者に仕えます。したがって幸せは世界からの離脱ではなく、自我の中心を失ったうえでの世界への帰還です。研究上の分類では「消去と再贈与モデル」、つまり幸せの主語が一度消えて、神から返される型です。一言でいえば、自我が神のうちに消え(ファナー)、神によって生き直される(バカー)ときに開かれる境地です。
幸せを妨げるもの
幸せを妨げるものは、まずナフス(自我)、特にアンナフス・アルアンマーラ・ビッスー(悪を命じる魂)です。
次にヒジャーブ(覆い・ヴェール)です。罪だけでなく、自己の敬虔さや霊的な達成への自己満足そのものが、最も微細な覆いになります。リヤー(見せかけの信心)。ガフラ(神への忘却)。イスティドラージュ(神からの見かけ上の恩寵が、実は堕落への誘導である場合)。そしてカラーマート(奇跡・超常能力)への執着です。カラーマートは道の副産物にすぎず、そこに留まることが罠になります。
この思想で幸せの反対にあたるものを一言でいえば「自我・執着」、具体的にはナフス(自我)とヒジャーブ(覆い)です。
瞑想・観想共同体・対話身体技法戒律・規範
何をするのか。まずシャイフ/ムルシド(導師)への服従と入門(バイア=誓約)です。「導師なき者は悪魔が導師である」と言われます。ズィクルの定型と回数(日課=ウィルド)。ハルワ(隠遁。しばしば40日間)。断食・寡黙・不眠・少食の四つの禁欲的な基礎。サマー(聴聞・旋回舞踊。教団による)。ムラーカバ(観想)とムハーサバ(日々の自己点検)。聖者廟への参詣。詩と物語の朗誦。そして、五行(信仰告白・礼拝・喜捨・断食・巡礼という五つの義務)とシャリーア(イスラームの法)の遵守は前提であって、免除されません。これがジュナイド派正統の核心です。実践の形としては、瞑想・観想、共同体・対話、身体技法、戒律・規範が柱です。
幸せはどこで実現するのか。超越者においてです。ただし「所在」という問いの立て方自体が解体されます。ファナーにおいては幸せを所有する主体が消えるため、「誰の幸せか」が成立しなくなるのです。バカーにおいて主体が回復されるとき、幸せは神による存在の贈与そのものとして、内面・関係・共同体(タリーカ=教団の同胞)のすべてに及びます。
いつ実現するのか。「今ここ」への徹底的な集中です。イブン・アルワクト(「時の子」。過去と未来に散らず、いまこの瞬間に神とともにあること)がスーフィーの標語です。楽園の報いを目的とすることは、ラービア(ラービア・アダウィーヤ。8世紀の女性神秘家)以来「報酬目当ての信仰」として批判されます。ただし来世と復活は否定されず、前提として保持されます。時間軸としては「今ここ」です。
「私」と世界の境目
「私」は、消滅すべき自我(ファナー)と、神によって返される存在(バカー)の二重構造です。
「ラー・イラーハ・イッラッラー」(信仰告白の言葉。通常は「アッラーのほかに神はなし」)は、スーフィー的な読解では「神のほかに実在するものはない」となります。自己の独立した実在性が否定されるのです。ただし主流のスーフィズムは「人が神になる」とは主張しません。被造物と創造主の区別(ファルク)は、バカーにおいて回復されます。
関係の類型は「融合型」です。ファナーで一度解消し、バカーで区別が回復する、という型です。ファナー(自我の消滅)で主客が消え、バカー(存続)で区別(ファルク)が回復されます。
境遇(運)と、努力か贈与か
境遇との関係では「独立」、つまり境遇に左右されないと整理されます。外的な条件からの徹底的な離脱を、修行として行うからです。
努力か贈与かについては、贈与が最終的に優位です。アフワール(状態)は神から一方的に与えられます。ただし、マカーマート(段階)という努力の階梯と対になっている点が、構造的な特徴です。
苦しみの位置
苦しみは通過点です。スーフィーの修行は、苦行・不眠・断食・自己解体の危機を意図的に含み、一時的な悪化を通過点とします。
修行が向かうのは自我の解体であり、その過程で生じる苦しみは、避けるべきものではなく、通り抜けるべきものとされます。
目盛りの定義は 17のマップ の各「目盛りの定義」を参照。
ヘドニア/エウダイモニア、三分類の枠組み
ヘドニア(快と満足としての幸福)とエウダイモニア(人間としての機能の発揮としての幸福)の二軸は、両方とも明示的に拒否されます。
ヘドニアについては、快の追求はナフスの働きとして、修行の対象です。エウダイモニアについては、徳の完成も「自己の達成」である限り、最終的には覆い(ヒジャーブ)になります。マカーマートの体系はエウダイモニア的に見えますが、アフワールが神からの一方的な贈与であるという対概念によって、努力による自己完成という図式が原理的に破られています。
このマカーム/ハールの対は、キリスト教の「努力と恩寵」の緊張と構造的に類比的で、比較上の有力な対応軸になります。
快楽説/欲求充足説/客観的リスト説の三分類では「枠外」です。「その人にとっての善さ」を問う三分類は、その人が消えることを目指す体系には適用できません。
前野4因子との相性(やってみよう=○ ありがとう=◎ なんとかなる=○ ありのままに=◎)
前野隆司(幸福学の研究者)の4因子との相性です。
・ありがとう(つながりと感謝)=◎(とてもよく合う)。導師と同胞の共同体、神への愛の相互性があります。
・ありのままに(独立と自分らしさ)=◎(とてもよく合う)。ファナー(自我の消滅)に対応します。
・なんとかなる(前向きと楽観)=○(合う)。
・やってみよう(自己実現と成長)=○(合う)。マカーマートの階梯があります。
生きとし生けるものの幸せ(○ 含むが、人間との差はある)
人間以外の存在への配慮は○〜◎と評価されます。ワフダト・アルウジュード(存在の一性)では、万物が神の顕現です。ルーミー(13世紀のペルシア語詩人・神秘家)の詩は、動植物・鉱物を含む全存在の神への回帰を歌います。ただし修行の焦点は、自我の消滅にあります。
研究でどこまで確かめられているか
研究の蓄積は「ほぼ空白」です。
ズィクルの反復的な唱念は、集中的瞑想やマントラ瞑想(短い言葉を繰り返す瞑想)との形式的な類似から、生理指標や不安低減の研究対象になることがあります。教団は、宗教的に高密度な共同体として、ソーシャル・サポート研究の枠に置くことができます。
しかし、距離の明記が他のどの思想よりも強く必要です。①ズィクルの目的はストレス低減ではなく、神の現前への到達です。「リラクセーション技法」への還元は、目的を逆転させます。②ファナーは自己報告が不可能な領域であり、SWB(主観的幸福感)の枠組みでは原理的に測定できません。③スーフィーの修行は、ウェルビーイングの増大を直接の目標としません。心理学の「自己超越的体験」研究との接続可能性はありますが、その研究群が前提とする「体験の脱文脈化」自体が、導師と共同体を不可欠とするスーフィー的な枠組みと衝突します。
どこから来て、どこへ流れたか
どこから来たか。クルアーンとハディース(預言者ムハンマドの言行の伝承)からの内在的な展開、初期の禁欲主義、そして限定的に新プラトン主義(一者からの流出を説く古代末期の哲学)です。
成立の経緯としては、8世紀の禁欲主義運動(ズフド)を前史とし、ハサン・バスリー、ラービア・アダウィーヤ(801年頃没)が挙げられます。9〜10世紀のバグダードで結晶しました(ジュナイド910年没、ビスターミー、ハッラージュ922年処刑)。11世紀に教科書化され、ガザーリー(11〜12世紀の神学者)によって正統派へ統合されました。12〜13世紀に教団(タリーカ)として制度化され、13世紀にイブン・アラビーとルーミーで思想的な頂点に達しました。
どこへ流れたか。ペルシア・トルコ・ウルドゥー文学(ルーミー、ハーフィズ)、教団を通じたイスラームの民衆的な普及、ガザーリーによる法学との統合、そして西洋の「普遍的神秘主義」言説へと流れました。
発達段階論から見ると
キーガン(成人の心の発達段階を研究した心理学者)の段階論で見ると、ファナーからバカーへの二段構造は、段階5(自分の枠組みを相対化できる自己)の「自己を失って世界へ戻る」という記述と類比可能です。
ただし導師への絶対的な服従(段階3=周囲に合わせる自己に相当)を前提とします。またマカーム(努力)とハール(贈与)の対は、「発達は自分で進めるものではない」という主張を含みます。
「器」(実践を運営する自己のあり方)と「目標」(目指す自己のあり方)を分けると、器は段階3、目標は「解」(段階の軸そのものが解消される)と整理されています。なお、高い段階ほど良いという読み方はしないでください。段階は優劣ではなく、自己のあり方の違いを記述するものです。
【取り除く/与えられて応える】という型です。自我の錯覚をほどく修行の後に「日常へ戻って人に仕える」ことを完成とする設計です。自己超越体験を目的化しない介入の原型といえます。
導師と同胞を不可欠とする点で、脱文脈化された「自己超越体験」研究への批判にもなります。一時的な悪化を含む修行であり、ウェルビーイングの直接的な増大を目標としません。
安全装置師の監督・段階的伝授順序・前提条件・資格戒律・倫理規範教義上の警告(魔境・慢心・偽の悟り)
この思想の安全装置のタグは「師・段・戒・警」です。師=師が導く、段=段階を踏んで進む、戒=戒律が土台になる、警=逸脱の危険が警告として記憶されている、という意味です。
具体的には、シャイフ(師)への誓約(バイア)と教団(タリーカ)、段階(マカーマート)を順に進むこと、シャリーアの遵守を土台とすること(ガザーリーの総合)です。恍惚(ハール)と到達(マカーム)を区別し、酔いの発言(シャタハート=恍惚のなかで発せられる逸脱的な言葉)を制御する規範があります。ハッラージュの処刑が、「法を離れた合一の主張」への警告として記憶されています。
誤解されやすい点
①ファナーを仏教の涅槃(ねはん。欲・怒り・無知の火が消えた状態)と同一視しないでください。ファナーは人格的な神との関係のうちで起こる自我の消滅であり、しかもバカーという「神による存続」が続きます。仏教の無我が縁起(すべてが条件によって成り立つこと)の分析から導かれるのに対し、ファナーは愛と現前の圧倒によって起こります。
②同様に、ハシディズム(ユダヤ教の神秘主義的な大衆運動)のビトゥール、キリスト教の神化とも安易に等置しないでください。三者は、(a)自己が最終的に消えるか残るか、(b)被造物と神の存在論的な区別が保持されるか、(c)律法・戒律の位置づけ、の三点で異なります。
③ファナーを終点として提示しないでください。バカーこそが完成であり、そこには世界と共同体への帰還が含まれます。通俗的な紹介で最も頻出する誤りです。
④スーフィズムを「イスラームの中の穏健な部分」として政治的に利用しないでください(Knyshが批判しています)。
⑤マカームとハールを訳し分けてください。訳し分けないと、獲得/贈与という中核の対比が消えます。
学者の間で議論があること
①醒め(サフウ)対陶酔(スクル)。ジュナイド(バグダード派)は、ファナーを経て醒めた状態に戻り、法を守り、共同体に仕えることを完成としました。ビスターミー、ハッラージュらの陶酔的な系譜はシャトフ(恍惚の逸脱語)を発し、社会的な軋轢を生みました。ハッラージュの922年の処刑が、この緊張の最も劇的な帰結です。
②スーフィーと法学者の緊張(サマーの合法性、聖者崇敬、廟参詣)。ガザーリーの『宗教諸学の再興』が、統合の歴史的な転回点です。
③イブン・タイミーヤ(1328年没の法学者)の批判。近代サラフィー主義(初期イスラームへの回帰を唱える潮流)の反スーフィズムの、主要な思想的源泉です。
④ワフダト・アルウジュード(存在の一性)対ワフダト・アッシュフード(証示の一性。シルヒンディー=17世紀インドのスーフィーの立場)。
⑤「スーフィズムはイスラームの外部か」。19世紀のオリエンタリズム(西洋による東洋の表象)は外来要素と説明しましたが、KaramustafaやKnyshを含む現代の学術的な合意は、クルアーンとハディースに内在的に根ざしたイスラーム的な展開とみなしています。
こんなときに:自我のこだわりが苦しく、自分から解放されたいと願うとき。ただし危険も大きい道であることを理解したい人に。
小さな入口:「自分が」という主語を減らした一日を意識的に過ごす。本来の道は師の指導下にあるので、技法ではなく考え方だけに触れる。
この思想が出てくる悩み:「「自分」というものが重くて息苦しい。自分から解放されたい」
判定が近い思想:キリスト教観想的思想・カバラ・ハシディズム・禅 → 思想の近さマップ
地上にあるものはすべて消え去る(ファーニン)。ただ、威厳と尊厳に満ちたあなたの主の御顔だけが存続する(ヤブカー)。
スーフィズムの中心対概念ファナー(消滅)/バカー(存続)の語対そのものを与える節。自我の消滅と神における存続の根拠。
神は彼らを愛し、彼らも神を愛する。
神と人の相互の愛を語る節。スーフィズムが道の原動力を法の遵守だけでなく愛(マハッバ)に置く際の主要な典拠。
我が僕は、義務を超えた行いによって我に近づき続け、ついに我は彼を愛する。我が彼を愛するとき、我は彼が聞く耳となり、彼が見る目となる。
自我の座に神が入り、僕を通して働くというファナー/バカーの主要なハディース的根拠。努力と贈与の相互性を示す。
スーフィズムとは何か。それは、真理(神)があなたをあなた自身に対して死なせ、神によって生かすことである。
ジュナイド派正統の定式。自我の死(ファナー)が終点ではなく、神によって生き直されること(バカー)が完成であると示す。
聞け、この葦笛がどのように嘆きを語るかを。別れの数々を、それは物語っている。
人間の苦を根源からの「別離」として捉え、憧れの痛みそのものを神への道とするスーフィー詩の最も有名な冒頭。
主な典拠:クルアーン55:26-27(fānin/yabqā)、50:16(「我は頸動脈よりも彼に近い」)、2:115、24:35(光の節)、5:54(「彼は彼らを愛し、彼らは彼を愛する」)、7:172(原契約mīthāq)/ハディース・クドスィー「近さのハディース」(僕が任意の行為で我に近づくとき、我は彼が聞く耳となり見る目となる)——fanāʾ/baqāʾの主要なハディース的根拠/al-Qushayrī, al-Risāla al-Qushayriyya(maqāmāt/aḥwālの古典的体系化)/al-Sarrāj, Kitāb al-Lumaʿ/al-Hujwīrī, Kashf al-maḥjūb/al-Ghazālī, Iḥyāʾ ʿulūm al-dīn/Ibn ʿArabī, al-Futūḥāt al-Makkiyya, Fuṣūṣ al-ḥikam/Rūmī, Mathnawī/ʿAṭṭār, Manṭiq al-ṭayr
参考文献:Schimmel, A. (1975) Mystical Dimensions of Islam, Univ. of North Carolina Press(なお1970年代の「神秘主義の普遍性」前提には現在批判あり)/Karamustafa, A. T. (2007) Sufism: The Formative Period, Univ. of California Press/Knysh, A. (2017) Sufism: A New History of Islamic Mysticism, Princeton UP(表象史・研究史批判を含む)/Griffel, F. (2009) Al-Ghazālī's Philosophical Theology, Oxford UP
この思想が答える悩み(各思想からの悩み相談30から)
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