イスラム教
神への帰依(イスラーム=すべてを神にゆだねること)と想起(ズィクル=神を思い出し続けること)によって心が鎮まり、現世と来世の双方で成功する生
人間はもともと神を知るように造られているが、日々の忙しさの中で神を忘れてしまう。幸せとは何かを新たに得ることではなく、この本来の関係に立ち戻ること。だから中心の実践は「神を思い出すこと」で、一日五回の礼拝はそのための仕組み。この世の成功と来世の救いは対立せず、一続きの「実り」として語られる。
7世紀のアラビア半島で預言者ムハンマドが受けた啓示(クルアーン)に基づく一神教。「イスラーム」は「神に自らを委ねること」の意。信仰告白・礼拝・喜捨・断食・巡礼の五つの義務を柱とし、生活全体を律する法(シャリーア)をもつ。信者は約20億人で世界第2位、最も速く増加している。9割弱がスンナ派。
どれくらいの人が信じているか、学んでいるか
信者数は約20億人(2020年、Pew 2025)で、世界人口の25.6%です。世界第2位で、最も速く増加しています。Pewの本文表記は「2 billion」前後で、資料により19億〜20億台の丸めに揺れがあるため、比率25.6%を一次情報として扱うのが安全です。2010年から2020年で3億4,700万人増え、全宗教中で最大の増加です。内訳はスンナ派87〜90%、シーア派10〜13%(2010年基準のPew推計を2020年総数に按分すると、シーア派約2.0〜2.6億人、スンナ派約17.6〜18.2億人)です。
注意点です。Pew自身がスンナ派/シーア派の比率を「粗い推計」と明言し、点推定ではなく幅で公表しています。理由は、国勢調査に宗派欄がある国がほとんどないこと、イラン・イラク・バーレーンなどでは宗派が政治的に鋭敏な情報であること、アラウィー派・イスマーイール派などの分類が研究者間で一致しないことです。
イスラム教(7世紀のアラビア半島で預言者ムハンマドが受けた啓示=クルアーンに基づく一神教。ここでは9割弱を占めるスンナ派主流を扱う)が幸せを語る言葉は、いくつかあります。
サアーダ(幸福)は、クルアーン(イスラム教の聖典)での使用が極めて限定的(11章105-108節)で、中心用語になったのはファルサファ(イスラーム哲学)を通じてギリシャ語エウダイモニア(人間としての機能の発揮としての幸福)の翻訳語として定着した経緯があります。ファラーフ(成功・繁栄。原義は「土地を耕す・裂く」、そこから「実りを得る」)は、クルアーン23章1節にあり、アザーン(礼拝への呼びかけ)の「ハイヤ・アラル・ファラーフ=成功に向かって来たれ」で日に五度唱えられます。サキーナ(神から「下される」心の平静。48章4節)。トゥマアニーナ(安心。13章28節「神の想起によってこそ心は安らぐ」)。タクワー(神意識)。リダー(神の満足と人間の満足の相互性)です。
この思想における幸せ(サアーダ/ファラーフ)は、被造物である人間が、創造主との正しい関係に立ち返ることによって成立します。人間は本来、神を知る性向(フィトラ)をもって創造されています。しかし忘却(ガフラ)によってそこから逸れる存在です。だから幸せとは、何かを新たに獲得することではなく、本来の関係を回復し維持することです。
そのため中心的な実践は神の想起(ズィクル)であり、クルアーンは神の想起によってのみ心が安らぐと述べます。この安らぎは人間の努力の成果であると同時に、神が「下す」賜物(サキーナ)でもあります。幸せは現世と来世を貫く連続的な成功(ファラーフ)として語られ、両者は対立しません。現世の善き生は来世の報いへの準備であると同時に、それ自体が神の恵みとして肯定されます。
研究上の分類では「回復・帰依モデル」、つまりフィトラ(生得の性向)への帰還の型です。監査後の分類では、除去・回復型を主、贈与・応答型(啓示・恩寵への応答)を副としています。一言でいえば、神への帰依(イスラーム=すべてを神にゆだねること)と想起(ズィクル)によって心が鎮まり、現世と来世の双方で成功する生です。
幸せを妨げるもの
根本的な霊的病はガフラ(神への忘却・上の空であること)です。クルアーンが繰り返し警告しています。
シルク(多神・神に何かを並べること)。クフル(語根は「覆う」。神の恩恵を覆い隠すこと、つまり不信)。ニファーク(偽善)。ハワー(気まぐれな欲望)と、アンナフス・アルアンマーラ・ビッスー(悪を命じる魂。12章53節)。ズルム(不正・抑圧。語源は「暗くする」)。
そしてドゥンヤー(現世)への執着です。ドゥンヤーは「より近いもの」の意味で、それ自体は悪ではありません。来世に優先させることが誤りなのです。
この思想で幸せの反対にあたるものを一言でいえば「無知・誤認」、具体的にはガフラ(神への忘却)とシルクです。
儀礼・祭祀戒律・規範共同体・対話
何をするのか。中心は五行(ごぎょう)です。シャハーダ(信仰告白)、サラート(日に五度の礼拝)、ザカート(浄財。語根は「清める・成長する」)、サウム(ラマダーン月の断食)、ハッジ(マッカ巡礼)の五つの義務です。加えてズィクル(神の名の唱念)、ドゥアー(願いの祈り)、クルアーンの朗誦と暗誦、サダカ(自発的な喜捨)、タウバ(悔悛)、サブル(忍耐)、シュクル(感謝)、タワックル(神への信頼)があります。そしてシャリーア(生活全体を律する法)に沿った生活全体です。法学は目的論的に、マカーシド・アッシャリーア(法の目的。宗教・生命・知性・子孫・財産の保護)を定式化しています。実践の形としては、儀礼・祭祀、戒律・規範、共同体・対話が柱です。
幸せはどこで実現するのか。超越者との関係が根源です。同時に共同体(ウンマ)が不可欠です。集団礼拝、断食月の共同体験、巡礼における全世界の信徒との合流は、幸せの社会的な次元を制度化しています。個人の心(カルブ)が変容の座であり、ガザーリー(11〜12世紀の神学者・神秘家)においては心の状態が救済論の中心です。具体的・物質的な生も肯定されます(28章77節「現世の分け前を忘れるな」)。
いつ実現するのか。現世(ドゥンヤー)と来世(アーヒラ)の連続と階層です。クルアーン2章201節「現世においても善きものを、来世においても善きものを」が両者の統合を示します。現世は「畑」で来世が「収穫」という比喩が広く用いられます。来世の優位は明確です(87章17節)。加えて「今ここ」の次元が、礼拝とズィクルによって日に五度以上、生活のリズムとして構造化されています。時間軸としては、現世、来世、今ここが重なっています。
「私」と世界の境目
「私」はアブド(神の僕)です。これが最も基本的な自己規定です。卑下ではなく、他のあらゆるものへの隷属からの解放として理解されます。同時にハリーファ(地上における代理・管理者。2章30節)という、委託された責任の主体でもあります。
フィトラ(生得の性向)により、人間は本来神を知るように造られており、幸せは本性の回復です。原罪の教理をもたない点が、キリスト教との構造的な相違として、幸福観にも波及しています。
魂はナフスの三段階で語られます。アンマーラ(悪を命じる魂)、ラウワーマ(自らを責める魂)、ムトマインナ(安らいだ魂)です。
関係の類型は「関係型」です。アブド(神の僕)とハリーファ(代理人)として神と向き合います。被造物と創造主の区別(タンズィーフ)は絶対です。リダーの相互性が、関係の形です。
境遇(運)と、努力か贈与か
境遇との関係では「部分的に独立」と整理されます。サキーナ(心の平静)は境遇によらず下されます。ただし現世の成功もファラーフの一部であるため、完全な独立ではありません。
努力か贈与かについては、努力(五行・ズィクル)と贈与(サキーナは「下される」)の両輪です。分類上は「努力」に寄せて整理されています。この構造は、キリスト教の恩寵論や、スーフィズム(イスラム神秘主義)のマカーム/ハール(努力で得る段階/神から与えられる状態)と構造的に類比的です。
苦しみの位置
苦しみは試練(バラー)として意味づけられます。サブル(忍耐)が主要な徳のひとつです。
したがって苦は妨げでありながら、同時に信仰の場でもあります。苦しみそのものが目的ではありませんが、そこで忍耐をもって神に向かうことが、信仰を深める機会とされます。
目盛りの定義は 17のマップ の各「目盛りの定義」を参照。
ヘドニア/エウダイモニア、三分類の枠組み
Joshanloo(2013年)が論じるように、イスラーム的な幸福観は、西洋的なSWB(主観的幸福感。快の多寡と生活満足)と根本的に異なります。
ヘドニア(快と満足としての幸福)を全否定しない点が特徴です。楽園の描写は感覚的・身体的な悦楽を含み、現世の正当な享受も奨励されます(禁欲的な独身主義の否定を伝えるハディース=預言者ムハンマドの言行の伝承が複数あります)。しかし快は目的ではなく、神の恵みのしるしとして位置づけられます。
枠組みの限界は、幸せの最終的な規定が「神が満足する(リドワーン)」ことである点にあります。幸せの主語が人間から神へ移動するのです。リダーの相互性は、ヘドニア・エウダイモニア(人間としての機能の発揮としての幸福)のいずれにも還元できません。
快楽説/欲求充足説/客観的リスト説の三分類では、客観的リスト説に近いとされます(信仰・礼拝・共同体・正義・来世の報い)。ただし最終的な善さの基準が神の満足である点で、人間中心のリストを超えています。
前野4因子との相性(やってみよう=○ ありがとう=◎ なんとかなる=○ ありのままに=○)
前野隆司(幸福学の研究者)の4因子との相性です。
・ありがとう(つながりと感謝)=◎(とてもよく合う)。シュクル(感謝)と、ウンマの共同体性があります。
・なんとかなる(前向きと楽観)=○(合う)。タワックル(神への委託)とサキーナがあります。ただし委託であって、楽観ではありません。
・やってみよう(自己実現と成長)=○(合う)。五行の実践があります。
・ありのままに(独立と自分らしさ)=○(合う)。リダー(満足・受容)があります。
生きとし生けるものの幸せ(○ 含むが、人間との差はある)
人間以外の存在への配慮は○と評価されます。クルアーン21章107節は「われはあなたを万世界への慈悲(ラフマタン・リル・アーラミーン)として遣わした」と語ります。動物への慈悲のハディースは多数あります(渇いた犬に水を与えた者が赦された、など)。屠殺法の規定は苦痛の最小化を意図しています。ただし人間はハリーファ(管理者)であり、配慮の中心です。
研究でどこまで確かめられているか
研究の蓄積は「中」です。
Joshanloo(2013年)は、イスラーム的な幸福観が、(a)現世的な快の追求を究極目的としない、(b)苦難に肯定的な意味を与える、(c)幸せを神との関係に定位する、という点で西洋のSWB尺度と構成概念的に乖離することを論じました。そして、既存の幸福尺度をムスリム集団に適用する際の妥当性の問題を提起しました。Abdel-Khalek(2014年)などのアラブ圏の調査は、宗教性と自己報告の幸福・健康との正の関連を示しています。
距離を明記しておきます。①五行は健康増進のための行動介入ではなく、神への義務です。②ムスリムが多数派の社会では、宗教性が社会規範と交絡し(絡み合い)、効果の識別が困難です。③ファラーフが来世を含む以上、現世内の測定可能な指標では、原理的に部分しか捉えられません。
どこから来て、どこへ流れたか
どこから来たか。ユダヤ教・キリスト教の預言者思想と、アラビアの部族倫理です。
成立は610年頃、ヒジャーズ地方(マッカ、次いでマディーナ)です。622年のヒジュラ(ムハンマドのマッカからマディーナへの移住)が暦元です。法学派(マズハブ)の形成は8〜9世紀、神学(カラーム)の確立は10世紀(アシュアリー派・マートゥリーディー派)です。
どこへ流れたか。スーフィズム(C-06)、イスラーム哲学(ファーラービー=10世紀の哲学者によるエウダイモニアの受容が、トマス・アクィナス=13世紀のキリスト教神学者へ逆輸入されました)、イスラーム法学、近代のイスラーム経済学(ファラーフを目的関数として定式化)へと流れました。
発達段階論から見ると
キーガン(成人の心の発達段階を研究した心理学者)の段階論で見ると、アブド(神の僕)という自己規定は、段階3(周囲に合わせる自己)的な帰属に見えます。しかし思想内では「他のあらゆるものへの隷属からの解放」と読まれ、段階4(自分の基準を持つ自己)的な自律の一形態でもあります。
ムウタズィラ派(理性で善悪を判定できるとする神学派)とアシュアリー派(啓示のみによるとする神学派)の論争は、段階4的な自律を認めるかどうかの論争と読めます。
「器」(実践を運営する自己のあり方)と「目標」(目指す自己のあり方)を分けると、器は段階3、目標は段階4と整理されています。なお、高い段階ほど良いという読み方はしないでください。段階は優劣ではなく、自己のあり方の違いを記述するものです。
【関係を結び直す(回復)】という型です。「本来の関係に立ち戻る」ことを幸せとし、一日五回の礼拝で生活のリズムに組み込む設計です。
「忘却(ガフラ)が根本的な病」という診断は、注意の分散を幸せの敵とする現代の議論と接続します。ラマダーンの集団的な断食は、時間を共同体的に構造化する介入の例です。
安全装置共同体の相互監視戒律・倫理規範制度・法・専門職倫理
この思想の安全装置のタグは「共・戒・制」です。共=共同体が個人を支え見守る、戒=戒律・規範が行動の枠を定める、制=制度が逸脱を防ぐ、という意味です。
具体的には、シャリーア(法)と五行という定型的な義務、ウンマ(共同体)と金曜礼拝、ウラマー(学者)による解釈の思想です。極端な禁欲(ラハバーニーヤ=出家的な修道)は明示的に退けられ、中庸(ワサト)が規範です。神秘体験は、法の範囲内でのみ正統とされます。
誤解されやすい点
①「イスラーム=服従(submission)」という訳語の問題。英語のsubmissionは屈従の含意が強く、しかも語根s-l-mがサラーム(平安)と同根であることを隠します。「委ね」「帰依」のほうが原語に近く、ヘブライ語シャロームとの語根的な親近性も見えます。
②ファラーフを「成功」と訳すと、世俗的・業績主義的に響きます。原義が「耕して実を得る」であることを併記すべきです。
③サアーダをイスラームの中心語として無条件に扱わないでください。クルアーン的にはファラーフ/トゥマアニーナ/ハヤート・タイイバ(善き生。16章97節)のほうが基層的です。
④サキーナとシェキナー(ユダヤ教の神の臨在)は同語根ですが、機能が異なります。「同じもの」ではなく「語根を共有する別々の展開」です。
⑤タクワーを「畏れ」に切り詰めないでください。
⑥「イスラームは現世を軽視する」も「現世主義的」も、ともに一面的です。
学者の間で議論があること
①ガザーリー対イブン・ルシュド(12世紀の哲学者。ラテン名アヴェロエス)。『哲学者の矛盾』(1095年)が哲学者の20命題を批判し、3つを不信仰と断じました。幸福論上の核心は、身体的な復活の否定をめぐる対立です(哲学者は来世の至福を、離在知性との合一という非身体的なものと解しました)。ただしGriffel(2009年)は、ガザーリー自身が哲学の方法論と宇宙論の大部分を取り込んでおり、「哲学の破壊者」という通俗像は不正確だと論じています。
②アシュアリー派対ムウタズィラ派(善悪は理性によって認識可能か)。幸せが何であるかを人間理性が独立に判定できるか、という問題に直結します。
③法学者対神秘家。
④スンナ派/シーア派。シーア派ではイマーム(指導者)の導きと殉教の受苦が幸福論に組み込まれ、待望と正義の未実現という時間感覚が異なります。
⑤近代イスラーム経済学における、ファラーフの、効用概念の代替としての定式化。
こんなときに:不安で心が落ち着かず、自分で何もかも支配しようとして疲れているとき。ゆだねる練習をしたい人に。
小さな入口:一日のうち決まった時刻に一度、手を止めて「思い出す」時間(想起の発想)を持つ。心が鎮まるのは支配ではなくゆだねからだと試す。
この思想が出てくる悩み:「先のことが不安で、自分で何もかも管理しようとして疲れる」
判定が近い思想:儒教(原始)・ユダヤ教・仏教(日蓮) → 思想の近さマップ
本当に、神を想起すること(ズィクル)によってこそ、心は安らぐ。
心の安らぎ(トゥマニーナ)の源を神の想起に置く、イスラームの幸福観の基層をなす一節。
信仰者たちは、まことに成功(ファラーフ)した。礼拝において謙虚であり、無益なことから離れ、浄財(ザカート)を行う者たち。
ファラーフ(原義「耕して実りを得る」)を礼拝・節制・分かち合いの実践と結びつける。アザーンで日に五度呼びかけられる語。
男でも女でも、信仰をもって善い行いをする者には、私たちは必ず良き生(ハヤート・タイイバ)を生きさせる。
現世における「良き生」を神が与えると約束する一節。現世と来世を貫く連続的な幸福の理解を示す。
安らいだ魂よ。満ち足り、また喜ばれて、あなたの主のもとへ帰れ。
「安らいだ魂」への呼びかけ。神の満足と人間の満足が相互的であること(リダー)と、幸福が創造主への帰還であることを示す。
富とは財の多さではない。富とは魂の充足である。
現世(ドゥンヤー)への執着を妨げとし、内的充足を富と定義する預言者の言葉。イスラームの逆説的な富の定義。
主な典拠:クルアーン13:28(dhikrと心の安らぎ)、23:1-11(qad aflaḥa l-muʾminūn)、48:4(sakīna)、2:201、16:97(ḥayāt ṭayyiba)、89:27-30(安らいだ魂)、11:105-108(shaqīとsaʿīdの対比)、28:77、5:119/9:72(riḍwān)、87:16-17/ハディース「ジブリールのハディース」(islām/īmān/iḥsānの三層)、「富とは財の多さではなく魂の充足である」/al-Ghazālī, Kīmiyā-yi Saʿādat(『幸福の錬金術』、ペルシア語、12世紀初頭)/同 Iḥyāʾ ʿulūm al-dīn/al-Fārābī, Taḥṣīl al-saʿāda/Ibn Miskawayh, Tahdhīb al-akhlāq/Ibn Rushd, Tahāfut al-tahāfut
参考文献:Joshanloo, M. (2013) A Comparison of Western and Islamic Conceptions of Happiness, Journal of Happiness Studies 14(6): 1857-1874(本テーマに最も直接対応する査読論文)/Griffel, F. (2009) Al-Ghazālī's Philosophical Theology, Oxford UP/Hillenbrand, C. (2013) The Kīmiyā-yi saʿādat of al-Ghazālī: a misunderstood work?, I.B. Tauris/Abdel-Khalek, A. M. (2014) Religiosity, health and happiness, International Journal of Social Psychiatry
この思想が答える悩み(各思想からの悩み相談30から)
イスラム教が登場する悩み5件。押すと、その悩みでのイスラム教の答えに移ります。
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