世界の思想と宗教の幸福観マップ

西洋近現代 | 思想(近現代哲学)

現代の徳倫理学

現代の徳倫理学 | 成立:1950年〜 | 地域:ヨーロッパ | 規模:×(思想)
1ひとことで言うと

徳(勇気・正直・思いやりなど)を発揮することそのものが幸福の一部をなす、人間としてよく生きること(アリストテレスの現代的な復興)

アリストテレスの考えを20世紀に復活させた立場。「正直であれ」「勇気をもて」といった徳は、幸せになるための手段ではなく、徳を発揮していること自体が、すでによく生きていることの一部だと考える。規則やマニュアルではなく、人格と、それを育てる共同体を重視する。

2そもそもどんな思想?

1958年のアンスコムの論文をきっかけに、20世紀後半の英語圏でアリストテレスの徳の思想を復活させた倫理学の潮流。フット・マッキンタイア・ハーストハウスが代表。規則より人格、「何をすべきか」より「どんな人であるべきか」を問う。ポジティブ心理学の「強み」研究にも語彙を提供した。

どれくらいの人が信じているか、学んでいるか

思想なので、信者数というものは存在しません。影響圏の代理指標として、VIA-IS(ピーターソンとセリグマン)が徳倫理学の語彙を心理測定に持ち込み、ポジティブ心理学の中核概念となったことが挙げられます。

ポジティブ心理学を経由して、実務(教育・組織開発)に広く浸透しています。ただし、哲学的な徳倫理学とポジティブ心理学の「徳」概念には乖離がある、という指摘(クリスチャンソン 2010年)があります。

3この思想が言う「幸せ」

現代の徳倫理学(とくりんりがく。「何をすべきか」より「どんな人であるべきか」を問う倫理学。1958年のアンスコムの論文をきっかけに、20世紀後半の英語圏でアリストテレス〔古代ギリシャの哲学者〕の徳の思想を復活させた潮流)の中心にある言葉は、エウダイモニア(eudaimonia。ギリシャ語。慣例訳はhappiness〔幸福〕またはflourishing〔開花・繁栄〕)です。

スタンフォード哲学百科事典(SEP。オンラインの哲学事典)は、エウダイモニアが「主観的な満足ではなく、道徳化された/価値を含んだ概念」であることを強調しています。自分の生がエウダイモーン(エウダイモニアの状態にある)かどうかについて、人は間違いうる。この点が、快や満足との決定的な違いです。

ほかの言葉として、アレテー(aretē。徳。人間としての卓越性)、フロネーシス(phronēsis。実践知。具体的な状況で何が正しいかを見きわめる知恵)があります。マッキンタイア(アラスデア・マッキンタイア。1929年生まれ。スコットランド出身の哲学者)の用語として、実践(practice。チェスや医療のように、内在的な善をもつ協同的な営み)、内在的善(internal goods。その営みに参加することでしか得られない善)、人生の物語的統一(narrative unity of a human life)、思想(tradition)があります。

徳倫理学において、善き生とはエウダイモニア=人間としてよく生きることです。それは快でも欲求充足でもなく、人間に固有の卓越性(徳)を十全に発揮して生きることです。決定的なのは、徳が幸福への手段なのではなく、徳の発揮が幸福を部分的に構成する、という関係にあります。SEPの定式では、「徳に従って生きることはエウダイモニアにとって必要」であり、「徳ある活動が少なくとも部分的に構成的」です。したがって「徳を積めば幸せになれる」という道具的な因果主張ではなく、「徳を発揮していることが、すでによく生きていることの一部である」という構成的な主張が中核をなします。

一言でいえば、徳(勇気・正直・思いやりなど)を発揮することそのものが幸福の一部をなす、人間としてよく生きること、という立場です。アリストテレスの現代的な復興といえます。

幸せを妨げるもの

アンスコム(G.E.M.アンスコム。1919〜2001年。イギリスの哲学者)は、「義務」「道徳的に正しい」といった概念が、それを支えていた律法的な神観(神が法を与えるという世界観)を失った後も生き残っている点を批判しました。法を与える神がいなくなったのに、「〜すべし」という法の語彙だけが残っている、というのです。

そのうえで徳倫理学は、近代の規則中心の倫理学(義務論〔カントのように義務を中心とする立場〕と功利主義)が、性格・道徳教育・実践知・人間関係・「いかに生きるべきか」という問いを扱えないことを批判します。

この思想で幸福の反対にあたるのは「剥奪(はくだつ)」、すなわち悪徳と規則主義です。

4幸せに近づく道

共同体・対話学習・思索

実践は、徳の習慣化と実践知の涵養(かんよう。ゆっくりと養い育てること)、そして有徳者(徳をそなえた人)を手本とする道徳教育です。マッキンタイアはこれを、「実践(practice)」への参加と、共同体の思想への帰属によって説明します。個人の修養であると同時に、共同体的なものです。実践形態のタグは、共同体・対話と学習・思索です。

幸せはどこにあるのでしょうか。個人の性格(character)と、それを育む共同体・関係性の中です。マッキンタイアでは、共同体と思想の比重が特に大きくなります。

いつ実現するのでしょうか。人生全体(a whole life)においてです。アリストテレス以来の人生全体主義(幸福は一時の状態ではなく、人生全体について言えるものだとする考え)を受け継いでいます。マッキンタイアは「人生の物語的統一」を、明示的な評価単位としています。時間軸のタグは「現世」です。

モデルとしては、構成的卓越モデル(徳は幸福の手段ではなく構成要素)です。

5この思想の「幸せ」のかたち——8つの目盛り
幸せの動き
持っている力を伸ばして発揮する(開花型)
幸せの主語
一人ひとりの心と生き方
「私」と世界の境目
関係型——「私」は関係のなかで成り立つと考える
境遇(運)との関係
境遇に左右される(だから制度や関係で支える)
自分で作るか、与えられるか
努力と贈与の両輪
苦しみの位置
取り除くべき妨げ
いつ実現するか
現世
幸せの反対
剥奪(悪徳、規則主義)

「私」と世界の境目

徳倫理学の「私」は、徳と習慣によって形成され、共同体と思想のうちに位置づけられた自己です。マッキンタイアは「私はどの物語の一部であるかを知ることによってのみ、何をなすべきかを知る」という趣旨で、物語的自己(自分の人生を一つの物語として捉える自己観)を主張しました。そして近代的な脱文脈的自己(emotivist self。情動主義的自己。どんな共同体や思想からも切り離され、好みだけで選択する自己)を批判します。

関係類型でいえば、関係型です。共同体と思想のうちに位置づけられた物語的自己(マッキンタイア)が単位です。ただし、主体と客体(世界)が溶け合うことは語りません。

境遇(運)と、努力か贈与か

境遇との関係は「非独立」です。アリストテレスの外的善論(友人・富・健康などの外的な善も幸福に必要だとする考え)を継承しています。ハーストハウス(ロザリンド・ハーストハウス。イギリス出身、ニュージーランドで活動した哲学者)は、エウダイモニアが人間の能力と社会性についての経験的な事実に部分的に依存すると論じています。

努力か贈与か、という問いには、努力(習慣化)と共同体による形成の両輪、と答えます。徳は自分で繰り返し実践して身につけるものですが、同時にそれを育てる共同体がなければ身につきません。

苦しみの位置

徳倫理学にとって、苦は妨げです。外的な善が欠けることは、よく生きることを損ないます。ただし、徳の発揮は苦の中でも可能です。この点で、幸福が完全に境遇に還元されるわけではありません。困難な状況でも勇気や正直さを発揮することはでき、それがよく生きることの一部をなす、という考えです。

目盛りの定義は 17のマップ の各「目盛りの定義」を参照。

6現代の幸福研究から見ると

ヘドニア/エウダイモニア、三分類の枠組み

ヘドニア(快と満足としての幸福)/エウダイモニア(人間としての機能の発揮としての幸福)の軸では、エウダイモニア極の中核です。エウダイモニアという言葉の原典的な継承者であり、現代の幸福研究が使う「エウダイモニア」という語は、この思想から来ています。

快楽説(快が善)/欲求充足説(望みが満たされることが善)/客観的リスト説(本人の感じ方によらず良いものの一覧がある)の三分類では、客観的リスト説の代表です。徳という、本人の感じ方によらない客観的な善のリストがあるからです。

前野4因子との相性(やってみよう=◎ ありがとう=◎ なんとかなる=△ ありのままに=○)

前野隆司(幸福学の研究者)の四因子との相性は次のとおりです。やってみよう(自己実現と成長)=◎。徳の発揮に対応します。ありがとう(つながりと感謝)=◎。共同体と実践への参加に対応します。ありのままに(独立と自分らしさ)=○。なんとかなる(前向きと楽観)=△。

四因子のうち三つが◎か○で、四因子との相性は比較的良い思想です。ただし徳倫理学の「幸福」は自己申告で測れない客観的な概念なので、心理尺度としての四因子と完全には重なりません。

生きとし生けるものの幸せ(○ 含むが、人間との差はある)

○です。ハーストハウスは徳倫理学を動物倫理に適用しました。フット(フィリッパ・フット。1920〜2010年。イギリスの哲学者)の『Natural Goodness(自然的善)』(2001年)は、植物・動物の「良さ」と人間の徳を連続的に扱っています。人間以外の存在は配慮の範囲に入りますが、功利主義(E-01)のように「感じうる者すべて」を計算に入れる中核的な原理とまではなっていません。

研究でどこまで確かめられているか

研究の裏づけは「多」です。ただし測定妥当性が、両側から批判されています。

VIA-IS(Values in Action Inventory of Strengths。ピーターソンとセリグマンによる、徳を24の強みとして測る心理テスト)が、徳倫理学の語彙を心理測定に持ち込み、ポジティブ心理学の中核概念となりました。

【哲学側からの批判】クリスチャンソン(クリスティアン・クリスチャンソン)の研究(2010年、Review of General Psychology)は、ポジティブ心理学が「アリストテレス的」を自称しつつ、徳の統一性(諸徳は一体であるという考え)・実践知・客観的善の規範性といった要素を落としている、と批判しました。

【心理学内部からの批判】カシュダン、ビスワス=ディーナー、キングの研究(2008年)は、ヘドニア/エウダイモニアの二分法が実証的に弁別できない(測定上区別がつかない)と主張しました。

両批判は方向が正反対です。前者は「哲学を取りこぼしている」、後者は「区別しすぎ」と言っています。しかし並べると、「心理学的なeudaimoniaは哲学的なeudaimoniaの測定になっていない」という結論が、両側から支えられることになります。

研究の対象は、思想そのものではなく、ポジティブ心理学に翻訳された「徳」や「強み」の概念です。

7系譜と発達段階

どこから来て、どこへ流れたか

徳倫理学が受け継いだものは、アリストテレス、トマス・アクィナス(13世紀のキリスト教神学者。アリストテレスの思想をキリスト教に統合した)、そしてアンスコム(1958年)です。

流れていった先は、ポジティブ心理学(人間の強みや幸福を研究する心理学)のVIA-IS(後述)、応用倫理(動物倫理・医療倫理)、コミュニタリアニズム(共同体主義。個人より共同体の価値を重んじる政治思想。マッキンタイア経由)、ケイパビリティ・アプローチ(E-07。ヌスバウム〔マーサ・ヌスバウム。アメリカの哲学者〕)です。

発達段階論から見ると

徳の習慣化と、共同体の思想への帰属(マッキンタイア)は、キーガン(ロバート・キーガン。成人の心の発達段階を研究した心理学者)の段階3(周囲に合わせる自己)から段階4(自分の基準を持つ自己)にあたります。「人生の物語的統一」は、段階4の自己著述(self-authoring。自分で自分の物語を書く自己)と重なります。

段階5(自分の枠組みを相対化できる自己)的な自己相対化は、主題化されません。

発達段階マップでは、器(実践を運営する自己のあり方)=3、目標(目指す自己のあり方)=4です。なお、高い段階ほど良いという読み方はしません。

8現代の言葉に翻訳すると

【伸ばす(徳)】型です。徳の発揮が幸福を部分的に構成する、という構成的関係の設計です。

VIA-IS(強み診断)はこの語彙を心理測定化しましたが、哲学側からは徳の統一性・実践知・客観的規範性が落ちているという批判(クリスチャンソン 2010年)があります。「徳を積めば幸せになれる」という道具的な因果ではないことを明示しておきます。

9気をつけたいこと

安全装置共同体の相互監視戒律・倫理規範

安全装置のタグは「共戒」(共同体と規範による安全装置)です。徳は共同体の実践と思想の中で習慣化されるため、共同体と思想が安全装置になります。中庸(ちゅうよう。過剰と不足の間の適切な状態。アリストテレスの徳の基準)の基準もこれにあたります。

個人の瞑想的な実践を持たないため、それに伴う危険もありません。

誤解されやすい点

①eudaimonia≠happiness≠幸福です。SEPが明記するように、エウダイモニアは「道徳化された、価値を含んだ概念」であり、人は自分がエウダイモーンであるかについて間違いうるのです。主観的幸福度のような自己申告では測れません。「幸福」より「開花」「よく生きること」が実質に近い訳です。

②flourishingの訳「繁栄」は、経済的繁栄と混同されやすいので注意が必要です。

③徳倫理学=思想回帰・保守思想という誤解があります。ハーストハウスもフットも、規範的には近代的です(動物倫理、中絶論など現代的な問題に適用しています)。マッキンタイアの伝統主義は、徳倫理学全体を代表するものではありません。

学者の間で議論があること

①徳倫理学の「自己中心性」批判です。徳が行為者自身の開花に資するがゆえに推奨されるなら、それは洗練された利己主義ではないか、という批判です。

②「適用の困難」批判です。具体的な行為指針を与えない、という批判に対し、ハーストハウスはv-rules(徳規則。「正直であれ」「不正であることをするな」のように、徳や悪徳の名を使った規則)によって行為指針を与えうる、と応答しました。

③自然主義論争です。フットの『Natural Goodness』は、人間の徳についての評価を、植物や動物の「良さ」の評価と連続的な「自然的規範性」として基礎づけようとします。これが自然主義的誤謬(「〜である」から「〜すべし」を導く誤り)を犯していないかが論争点です。

④マッキンタイアの伝統主義が相対主義(正しさは立場によって変わるとする考え)に陥らないか、という問題です。

⑤状況主義(situationism。人の行動は性格より状況で決まるという心理学からの批判)の実験(ミルグラム〔スタンレー・ミルグラム〕の実験、善きサマリア人実験)が、安定した性格特性の存在という前提を脅かす、という論争です。

10現代の私たちへのヒント

こんなときに:スキルや成果ばかり求められて、人格が置き去りになっている気がするとき。「よい人であること」を幸せに戻したい人に。

小さな入口:誰かに見られていなくても発揮した徳(正直・思いやり・勇気)を一つ思い出す。それ自体が幸せの一部だと確認する。

判定が近い思想:アリストテレス・世俗的人文主義・ポジティブ心理学1.0 → 思想の近さマップ

11名言——この思想を代表する言葉
人間にとっての善とは、徳にかなった魂の活動である。
τὸ ἀνθρώπινον ἀγαθὸν ψυχῆς ἐνέργεια γίνεται κατ' ἀρετήν
Aristotle, Nicomachean Ethics 第1巻第7章 1098a16–17

現代徳倫理学が復興した原点。徳は幸福への手段ではなく、徳の発揮そのものがよく生きることを構成する。

現在われわれが道徳哲学をやることは実りがない。それは少なくとも、十分な心理学の哲学を手にするまでは脇に置かれるべきだ。
it is not profitable for us at present to do moral philosophy; that should be laid aside at any rate until we have an adequate philosophy of psychology
Anscombe, "Modern Moral Philosophy", Philosophy 33 (1958) 冒頭の第一テーゼ

現代徳倫理学の起点となった批判。「義務」「べき」中心の近代倫理学は神なき律法の残骸だとして、性格と繁栄への回帰を促した。

ある行為が正しいのは、有徳な人がその状況で、その人らしく行うであろう行為である場合、そしてその場合に限る。
An action is right iff it is what a virtuous agent would characteristically (i.e. acting in character) do in the circumstances.
Hursthouse, On Virtue Ethics (1999) 第1章

規則や結果計算ではなく「有徳な人ならどうするか」を範とする、現代徳倫理学の代表的な実践の定式。

勇気・節制・知恵などの徳は、その持ち主と他者の双方に益をもたらす。
Some virtues, such as courage, temperance, and wisdom, benefit both their possessors and others
Foot, "Virtues and Vices" (1978), Virtues and Vices and Other Essays 所収 p.3

徳は自己犠牲ではなく、人間がよく生きるために必要な性質だという自然主義的徳倫理の主張。

人間にとっての善き生とは、人間にとっての善き生を探し求めることに費やされる生である。
The good life for man is the life spent in seeking for the good life for man
MacIntyre, After Virtue (1981; 2nd ed. 1985) 第15章

善き生は完成した答えではなく、物語と伝統のなかで問い続ける営みだという、マッキンタイアの逆説的な定式。

12もっと知りたい人へ

主な典拠:Anscombe, G.E.M. (1958) Modern Moral Philosophy, Philosophy 33: 1-19/MacIntyre, A. (1985) After Virtue, 2nd ed., Duckworth(初版1981)/Foot, P. (2001) Natural Goodness, Clarendon Press/Hursthouse, R. (1999) On Virtue Ethics, Oxford UP/Aristotle, Nicomachean Ethics I.7(機能論証)

参考文献:Virtue Ethics, Stanford Encyclopedia of Philosophy/Anscombe (1958)/Foot (2001)/Hursthouse (1999)/MacIntyre (1985)

13用語解説
徳倫理学 「何をすべきか」より「どんな人であるべきか」を問う倫理学
アンスコム G.E.M.アンスコム(1919〜2001年)。1958年の論文「現代道徳哲学」で徳倫理学の復活を促した英国の哲学者
実践(マッキンタイア) チェスや医療のように、内在的な善をもつ協同的な営み
物語的自己 自分の人生を一つの物語として捉える自己観
状況主義 人の行動は性格より状況で決まる、という心理学からの批判
VIA-IS 徳を24の強みとして測る心理テスト。ポジティブ心理学で広く使われる。ピーターソンとセリグマンが開発
エウダイモニア 人間としてよく生きること。慣例訳は幸福または開花。主観的な満足ではなく、価値を含んだ概念
アレテー 徳。人間としての卓越性
フロネーシス 実践知。具体的な状況で何が正しいかを見きわめる知恵
フラーリッシング 開花・繁栄。エウダイモニアの英訳の一つ。「繁栄」は経済的繁栄と混同されやすい
内在的善 その営みに参加することでしか得られない善。マッキンタイアの用語
思想 実践と徳を支える共同体の歴史的な文脈。マッキンタイアが重視した
情動主義的自己 どんな共同体や思想からも切り離され、好みだけで選択する近代的な自己。マッキンタイアの批判対象
マッキンタイア アラスデア・マッキンタイア(1929年生まれ)。『美徳なき時代』(1981年)で物語的自己と思想を論じた哲学者
フット フィリッパ・フット(1920〜2010年)。『Natural Goodness』(2001年)で徳を自然的規範性として基礎づけたイギリスの哲学者
ハーストハウス ロザリンド・ハーストハウス。『On Virtue Ethics』(1999年)を書き、v-rulesを提案した哲学者
アリストテレス 古代ギリシャの哲学者。『ニコマコス倫理学』で徳とエウダイモニアを論じ、徳倫理学の源流となった
トマス・アクィナス 13世紀のキリスト教神学者。アリストテレスの思想をキリスト教に統合した
義務論 カントのように義務を中心とする倫理学の立場。徳倫理学の批判対象の一つ
v-rules 徳規則。「正直であれ」のように徳や悪徳の名を使った行為指針。ハーストハウスの提案
自然主義的誤謬 「〜である」という事実から「〜すべし」という規範を導く誤り
中庸 過剰と不足の間の適切な状態。アリストテレスの徳の基準
外的善 友人・富・健康などの外的な善。アリストテレスは幸福にこれらも必要だとした
人生全体主義 幸福は一時の状態ではなく、人生全体について言えるものだとする考え
ポジティブ心理学 人間の強みや幸福を研究する心理学の潮流。セリグマンらが提唱
クリスチャンソン クリスティアン・クリスチャンソン。ポジティブ心理学の「徳」が哲学的な徳を取りこぼしていると批判した研究者(2010年)
自己著述 自分で自分の物語を書く自己。キーガンの段階4に対応する。原語はself-authoring
コミュニタリアニズム 共同体主義。個人より共同体の価値を重んじる政治思想
律法的な神観 神が法を与えるという世界観。アンスコムは「義務」の概念がこれを失った後も生き残っていると批判した

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