各思想からの悩み相談30 ・ 人間関係 14/30
人に嫌われるのが怖くて、言いたいことが言えない
この悩みの形
会議で意見があるのに言えない。頼まれると断れない。メッセージの返事を急がないと、と焦る。帰り道に「あのとき、ああ言えばよかった」を何度も再生する。「嫌われたくない」という思いは誰にでもあります。けれどそれが、言いたいことを一つも言えないほど強くなると、相手との関係を守るために、自分との関係を壊すことになります。
世の中の答えは二つです。「自己主張の練習をしなさい」と、「嫌われる勇気を持ちなさい」。前者は幸せの8つの型でいえば開花型(力を伸ばして発揮する型)の答えで、後者はアドラーの名を借りたベストセラーの題名ですが、アドラー自身は「嫌われてよい」とは言っていません。マップの目盛りで見ると、この悩みは二つの軸の交点にあります。一つは「幸せの主語」です。関係構成型の伝統は、人は関係の中で人になると言いますが、それは「他人の評価の中で人になる」という意味ではありません。もう一つは「境遇との関係」です。境遇に左右されない型の伝統は、他人の反応を「自分次第でないもの」に分類します。嫌われるかどうかは境遇です。言うかどうかは自分です。
この区別を軸に、47の伝統の言葉を型ごとに並べます。
先に言っておきたいこと
三つの線を引いておきます。第一に、「言いたいことを言う」と「相手を傷つける」は別のものです。キュニコス派のパレーシアもアリストテレスの勇気も、徳のための言葉であって、攻撃のための言葉ではありません。第二に、職場や家庭で、力関係や威圧によって「言えない」状態に置かれているなら、それはあなたの構えの問題ではなく、ハラスメントという制度の問題です。伝統の言葉で自分を鍛えるより先に、相談窓口に行ってください。第三に、人前で話す、食べる、電話するといった場面で強い不安や動悸が起こり、避け続けているなら、それは社交不安症という医療の対象かもしれません。構えで乗り越えようとしないでください。
各思想からの答え
認識転換型——嫌われることは、自分次第ではない
ストア派
ストア派(古代ギリシャ・ローマの哲学)のエピクテトス(奴隷の身から自由になった哲学者)は『提要』5で「人を動揺させるのは物事そのものではなく、物事についての判断である」と言いました。ここから言えるのは、あなたを縛っているのは「嫌われる」という出来事ではなく、「嫌われたら終わりだ」という判断です。ストア派は、他人の評価を善でも悪でもない「無記(むき)」に分類します。どうでもいいという意味ではなく、幸せに差を作らないという意味です。自分次第なのは、言葉を選び、言うかどうかを決めることだけです。
禅
『臨済録』示衆に「何も外に求めることのない人こそ貴い人である。ただ、わざとらしいことをするな。ただ、あたりまえでいよ」とあります。臨済(9世紀中国の禅僧)は、外に向かって求める心(求心)こそが病だと言い、それが止んだ状態を無事(ぶじ)と呼びました。これを引きつけると、「好かれたい」という求心が止んだとき、言葉は自然に出る、ということになります。わざとらしく主張することでも、わざとらしく黙ることでもなく、あたりまえに言う。禅は技法ではなく、求める心の有無を問います。
道家(老荘)
道家(どうか。『老子』『荘子』の思想)は、名声と評判への執着を、幸せを妨げる作為の一つに数えます。『荘子』は、至上の楽しみとは楽しみを追わないことであり、最高の誉れとは誉れがないことだ、という逆説を語ります。今のあなたに置き直すと、「嫌われない」という評判を守ろうとすること自体が、作為(わざとらしさ)だと分かります。無為(むい)は何も言わないことではなく、「どう思われるか」の計算をやめて、流れのままに言うことです。計算を一つ減らすたびに、言葉は軽くなります。
関係構成型——嫌うかどうかは、相手の課題
アドラー(個人心理学)
アドラー(オーストリアの精神科医。1870〜1937年)は、人は劣等感を持つが、それが「誰かの役に立ちたい」へ向かうとき勇気を持てる、と考えました。岸見一郎の再構成による「課題の分離」では、あなたが何を言うかはあなたの課題で、それをどう受け取るかは相手の課題です。相手が嫌うかどうかを先回りして引き受けることは、他人の課題に踏み込むことになります。ただし、課題の分離は冷淡さではありません。アドラーが目指したのは、共同体への貢献であって、嫌われることではありません。
儒教(原始)
『論語』学而第一の冒頭に「人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや(人に認められなくても腹を立てない、それが君子ではないか)」とあります。原始儒教(孔子・孟子の思想)は、他人の評価に依存することを、幸せの妨げの一つに数えます。同時に、人は役割の中で徳を実践するものだとも言います。あなたの場面で言えば、言うべきことを言うのは、役割(同僚、部下、友人)の務めの一部だ、ということになります。認められるかどうかは天に任せ、務めとして言う。その二層が、儒教の構えです。
Ubuntu
ウブントゥ(南部アフリカの「人であること」をめぐる考え)では、人格は関係の中で達成されるものとされます。ただしそれは、相手に合わせて自分を消すことではありません。南アフリカ真実和解委員会は、加害の証言と赦しという、きわめて言いにくい言葉を言う場として設計されました。本当のことを言うことは関係を壊す行為ではなく、関係を人間的なものにする行為だ、ということになります。嫌われないために黙る関係は、ウブントゥの言葉では、まだ人と人の関係になっていません。
マオリ
マオリ(ニュージーランドの先住民)の言葉ファナウンガタンガは「絆」と訳されがちですが、マオリ語辞書は「親族上の権利と義務を通じて発展する関係」と定義しています。関係は温かさだけでなく、互いに負う義務でできています。ここから言えるのは、言いたいことを言わないのは、相手に対する義務を一つ果たしていないことかもしれません。会合の冒頭で自分の山と川と祖先を述べる自己紹介(ペペハ)は、自分がどこに立つ者かを先に言う作法です。立つ場所を言える人は、意見も言えます。
除去・回復型——好かれたい、という火を見る
仏教(上座部)
上座部仏教(じょうざぶぶっきょう。パーリ語の経典を用いる仏教)は、苦の正体を渇愛(かつあい。止まらない「もっと欲しい」「これは嫌だ」の衝動)に見ます。「好かれたい」は欲愛、「嫌われたくない」は「これは嫌だ」の形をとった同じ火です。今のあなたに置き直すと、言えない瞬間に、「今、嫌われることを避けようとしているな」と気づくだけでいい、ということになります。火を消そうとしなくてかまいません。渇愛を見ているあいだは、渇愛に燃料を足していません。その隙間に、言葉が出ることがあります。
神道
神道の中心の徳は、清明心(せいめいしん。清き明き心。隠しごとのない素直な心)です。『古事記』でスサノヲは、疑われたとき「我が心清く明し」と言って身の潔白を示しました。言いたいことを飲み込み続けることは、心に隠しごとを溜めること、つまりくもりを溜めることだと分かります。神道は、それを反省で直すのではなく、祓(はら)って流します。言えなかった日の夜に、水で顔を洗う。溜めたものを一つ流す。明き心で次の日に立つ、という繰り返しです。
副産物型——嫌われないことを目標にしない
キュニコス派・ピュロン主義
キュニコス派(犬儒派。古代ギリシャの、慣習を無視して生きた哲学者たち)の鍵語の一つがパレーシア(忌憚なき言論。相手が誰でも本当のことを言うこと)です。彼らは、評判や恥といった慣習が作った虚妄(テューフォス)に頼ることが人を不自由にすると考えました。ピュロン主義(判断を保留する懐疑派)は、「嫌われるのは本性上悪いことだ」という信念そのものを保留します。あなたの場面で言えば、「嫌われる=悪」という判断を一度保留してみることになります。保留したとき、平静が影のようについてくる、とこの学派は言います。
ニーチェ
ニーチェ(19世紀ドイツの哲学者)は、安楽と満足だけを求める人間像を「最後の人間」と呼んで退け、幸せを「抵抗が克服されつつある感覚」と言い換えました。言いたいことを言うときの心臓の鼓動は、避けるべき不快ではなく、抵抗を乗り越えている感覚そのものだ、ということになります。ただし、ニーチェには安全装置がありません。この言葉は、言う勇気を一回分借りるためのもので、相手を傷つける言葉を正当化するためのものではありません。
実存主義
実存主義(サルトルやカミュらの哲学)は、自由からの逃避を自己欺瞞(自分に嘘をつくこと)と呼びました。ハイデガーの言う「世人(ひと)」、つまり誰でもない平均的な生き方に埋没することも、同じ逃避です。ここから言えるのは、「みんながそう言うから」「場の空気だから」と自分の言葉を引っ込めることは、自分の自由を他人に預けることだ、と分かります。言った結果を引き受けるのは、自分の名前でです。不安は消えませんが、実存主義では不安は自由のしるしです。
贈与・応答型——評価の前に、すでに受け取っている
カバラ・ハシディズム
ハシディズム(18世紀の東欧で広まったユダヤ教の信仰復興運動)の創始者バアル・シェム・トヴに帰される教え『ツァヴァアト・ハリヴァシュ』第2節に、「人に讃えられようと蔑まれようと、すべてが同じであるように」という平静(ヒシュタヴート)の教えがあります。これは無関心ではなく、神を常に前に置くとき、人の評価が相対化される、という意味です。今のあなたに置き直すと、あなたの価値を決めているのは、目の前の相手の表情ではない、という構えになります。信じるかどうかの前に、「評価の外に立つ場所がある」という設計だけでも借りられます。
仏教(浄土)
浄土教(法然と親鸞が開いた仏教の流れ)では、人は欲や怒りを断てない凡夫(ぼんぶ)のままで救われ、その救いは善悪や能力や他人の評価に左右されません。親鸞は、自力の計らい(自分で何とかしようとすること)こそが最大の妨げだと見ました。「嫌われないように立ち回る」ことは、自力の計らいの一種です。すでに受け取っているものがあるなら、嫌われても失われないものがある。「ありがたい」が先にあると、言葉は守りではなく、お礼として出てきます。
開花型——言えることは、徳の一つ
アリストテレス
アリストテレス(紀元前4世紀のギリシャの哲学者)は、徳は生まれつきでも暗記でもなく、習慣の産物だと言いました。正しい行為を繰り返すことで正しい人になる、と。彼の挙げる徳の一つが、過剰(無謀)と不足(臆病)の間にある勇気です。あなたの場面で言えば、「言える人」は性格ではなく、小さく言う行為を繰り返した人だ、ということになります。昼食の希望を言う。会議で一言だけ補足する。繰り返すうちに、快と苦の感じ方そのものが作り替えられていく、というのがこの伝統の見立てです。
現代の徳倫理学
現代の徳倫理学(20世紀後半にアリストテレスの徳の思想を復活させた立場)は、徳は幸せの手段ではなく、徳を発揮していること自体が、すでによく生きていることの一部だと考えます。哲学者フットは、勇気や正直などの徳は、その持ち主と他者の双方に益をもたらすと論じました。正直に言うことは、相手のためでも自分のためでもなく、両方のためです。嫌われるかもしれない一言を言った瞬間、結果がどうであれ、あなたはすでに正直という徳を発揮しています。それはよく生きていることの一部です。
今日からできる三つのこと
試すなら、この中から一つ。伝統の実践(瞑想・行・祈り)の代わりではなく、考え方に触れるための小さな入口です。
- いちばん小さな場面で一つだけ「私はこう思う」を言う。昼食の店、会議の時間、映画の感想(アリストテレス)
- 頼まれたとき、即答せずに「少し考えてから返事します」と言う。断るための時間を、まず手に入れる(アドラー(個人心理学))
- 夜に、今日の気がかりを「自分次第のこと」と「相手次第のこと」に分ける。後者は紙に書いて閉じる(ストア派)
こういうときは専門家へ
人前で話す・食べる・電話するといった場面で、動悸、震え、赤面、吐き気などが起こり、その場面を避け続けている状態が半年以上続くなら、社交不安症(社交不安障害)の可能性があります。精神科・心療内科で相談してください。認知行動療法など、効果が確かめられた治療があります。相談先が分からなければ、精神保健福祉センターが窓口になります。職場で威圧や無視によって発言できない状態なら、社内のハラスメント相談窓口、都道府県労働局の総合労働相談コーナー、労働基準監督署に相談できます。言えないことが積み重なって、眠れない、消えてしまいたいと思うときは、よりそいホットライン(0120-279-338)、いのちの電話、#いのちSOS(0120-061-338)に電話してください。
この悩みを含む30の悩みは、PDFでも読めます:各思想からの悩み相談30(PDF)
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