プラグマティズム
幸福とは完成した状態ではなく、経験が絶えず成長し続ける過程(成長そのもの)である
幸せを「到達すべき完成した状態」とは考えない。問題にぶつかり、知恵を使ってそれを乗り越え、その経験がまた次の経験を豊かにする——その終わりのない「成長」の過程そのものが善い生だ、とする。だから最大の実践は教育であり、民主主義とは政治制度である前に「一緒に成長する暮らし方」だと考えた。
19世紀末〜20世紀前半のアメリカで生まれた哲学。パース・ジェイムズ・デューイが代表。考えの正しさをその実際の結果で検証し、固定した究極目的を認めず、経験の「成長」そのものを善とした。デューイの教育論は探究学習やプロジェクト学習として現在の教育に広く影響している。
どれくらいの人が信じているか、学んでいるか
思想なので、信者数というものは存在しません。影響圏として、探究型学習、プロジェクト型学習、OECDの「エージェンシー(Student Agency)」概念など、教育制度への浸透が挙げられます。人数ではなく、教育制度への浸透度で記述すべき思想です。
プラグマティズム(19世紀末〜20世紀前半のアメリカで生まれた哲学。考えの正しさをその実際の結果で検証する。代表はパース〔チャールズ・サンダース・パース。1839〜1914年〕、W.ジェイムズ〔ウィリアム・ジェイムズ。1842〜1910年〕、デューイ〔ジョン・デューイ。1859〜1952年〕)の中心にある言葉は、成長(growth)です。これはデューイの中心概念で、目標に向かう手段ではなく、経験が自らを豊かにし、さらなる成長の能力を高めていく過程そのものを指します。
関連する言葉がいくつかあります。経験(experience。主観的な心の状態ではなく、有機体〔生きもの〕と環境との相互作用)、習慣(habit。反復的な動作ではなく、社会的に形成され、衝動を方向づける性向)、見通された目的(ends-in-view。固定した究極目的ではなく、探究の過程で暫定的に立てられ、絶えず修正される目的)、完結的経験(consummatory experience。一つのまとまりとして充実して終わる経験)、改善主義(meliorism。世界は必然的に良くも悪くもならないが、努力で改善できるという立場)です。
プラグマティズムは、幸福を「達成されるべき固定した終着点」として定義することを拒みます。デューイにとって、伝統的な倫理学が探し求めてきた不変の究極目的は、探究を停止させる独断です。彼はこれを「固定した道徳的目標と原理を、実験的探究の方法で置き換える」という綱領で乗り越えようとしました。
したがって善き生とは、問題状況に直面し、知性を用いてそれを再構成し、その結果としてさらに豊かな経験と、さらに問題を解決する能力とが開かれていく——その連続的な過程、すなわち成長です。幸福は成長の外にある報酬ではなく、成長する経験のうちに内在する質です。
ジェイムズはこれを個人の側から捉えました。生きる価値は前もって証明されるものではなく、生きようとする意志と行為によって、事後的に作り出されうる、というのです。
一言でいえば、幸福とは完成した状態ではなく、経験が絶えず成長し続ける過程(成長そのもの)である、という立場です。
幸せを妨げるもの
批判対象は五つあります。①固定した究極目的を求める伝統的倫理学。②快楽主義・功利主義(E-01)の快の計算です。デューイは「そうした価値の見積もりは、快と苦を同質の単位に分解することを要求する」が、これは人間の経験を単純化しすぎると批判しました。③手段と目的の二元論、理論と実践の二元論。④硬直した習慣と、批判的な検討を経ていない制度。⑤民主主義の欠如です。デューイにとって民主主義は、政治制度である以前に「共同生活の様式」です。
この思想で幸福の反対にあたるのは「不自由・作為」、すなわち固定した目的と硬直した習慣です。
制度・政策学習・思索共同体・対話
教育が最大の実践体系です。『民主主義と教育』(1916年)は、教育を「経験の絶えざる再構成」と定義し、成長の能力を高めることを教育の目的としました。加えて、探究の五段階(問題状況→問題の設定→仮説→推論→検証)を道徳的な熟慮にも適用する「劇的リハーサル」(頭の中でさまざまな行為の結果を演じてみること)があります。ジェイムズにおいては、習慣形成の心理学と、証拠が不十分な場面での「信じる意志」の行使です。
特徴は、実践が個人の修行ではなく、教育制度と民主的な公共的探究の形をとる点です。実践形態のタグは、制度・政策、学習・思索、共同体・対話の三つにまたがります。
幸せはどこにあるのでしょうか。関係性と社会制度、そして経験のプロセスの中です。デューイは有機体と環境の相互作用を単位とするため、幸福を個人の内面に閉じ込めません。民主的な共同生活の質が、個人の成長の条件になります。ジェイムズは、より個人の内面に重心を置きます。
いつ実現するのでしょうか。未来志向で、プロセス的です。「終わりのない成長」であり、完結点を持ちません。現在の経験の質は、それが将来どのような経験を可能にするかによって評価されます(教育的な経験と非教育的な経験の区別)。時間軸のタグは「現世」です。
モデルとしては、成長・再構成モデル(終着点なきフラーリッシング〔開花〕)です。
「私」と世界の境目
プラグマティズムの「私」は、社会的に構成され、習慣によって形成され、行為の中で変化し続ける自己です。デューイは実体的な自我を否定し、自己を習慣の組織体として捉えます。習慣は「行為者の意識の下で作動」し、「もともとの根拠が忘れられた後も存続する」ものです。
これはミード(ジョージ・ハーバート・ミード。アメリカの社会心理学者)の社会的自我論と連続しています。実存主義(E-04)の投企する自己とも、功利主義(E-01)の快の容器とも異なる、第三の自己観です。
関係類型でいえば関係型です。有機体と環境の相互作用(transaction〔トランザクション〕)が単位であり、自己は習慣の組織体として社会的に構成されます。
境遇(運)と、努力か贈与か
境遇との関係は「非独立」です。環境との相互作用が単位である以上、環境条件に本質的に依存するからです。だからこそ、教育制度と民主主義が中心になります。
努力か贈与か、という問いには、制度と教育による条件整備+個人の探究、と答えます。いずれか一方ではありません。マップ上の分類は「制度」ですが、制度が条件を整え、その中で個人が探究する、という両方の要素があります。
苦しみの位置
プラグマティズムにとって、問題状況(problematic situation。何かがうまくいかず、どうすべきか分からない状況)は、成長の起点です。除去の対象ではなく、探究のきっかけです。困難にぶつかることは、知性を働かせて経験を再構成する機会であり、それを乗り越えることで次の経験が豊かになります。苦を「探究が始まる場所」と位置づけるのが特徴です。
目盛りの定義は 17のマップ の各「目盛りの定義」を参照。
ヘドニア/エウダイモニア、三分類の枠組み
ヘドニア(快と満足としての幸福)/エウダイモニア(人間としての機能の発揮としての幸福)の軸では、エウダイモニア寄りです。ただし、目的論なしのエウダイモニズムです。快の計算を明示的に退ける一方で、アリストテレス(古代ギリシャの哲学者)的な「人間の本性の完成」という固定したテロス(telos。目的・終着点)も退けます。「終着点なきフラーリッシング」という独自の位置です。
快楽説(快が善)/欲求充足説(望みが満たされることが善)/客観的リスト説(本人の感じ方によらず良いものの一覧がある)の三分類では、客観的リスト説にあたります。成長を客観的な善とするからです。ただし「終着点なき客観的リスト説」という変則形です。見通された目的(ends-in-view)は欲求に近いものですが、固定されません。
前野4因子との相性(やってみよう=◎ ありがとう=◎ なんとかなる=○ ありのままに=△)
前野隆司(幸福学の研究者)の四因子との相性は次のとおりです。やってみよう(自己実現と成長)=◎。成長と探究に対応します。ありがとう(つながりと感謝)=◎。民主主義=共同生活の様式という考えに対応します。なんとかなる(前向きと楽観)=○。改善主義(meliorism)に対応します。ありのままに(独立と自分らしさ)=△。
四因子のうち三つが◎か○で、現代思想の中では四因子との相性が良い部類に入ります。
生きとし生けるものの幸せ(△ 人間が中心)
△(限定的)です。デューイの民主主義と成長は、人間の共同生活を主題としています。ただし、有機体と環境の相互作用という枠組みは、後の環境プラグマティズム(環境倫理にプラグマティズムを応用する立場)へと拡張されました。人間以外の存在への配慮は、思想の中核ではないものの、枠組みとして開かれている、といえます。
研究でどこまで確かめられているか
研究の裏づけは「中」です。間接的な理論的親縁性が主です。
①自己決定理論(SDT)。ライアンとデシの研究(2000年、American Psychologist)です。有機体が環境との相互作用を通じて統合へ向かう、という有機体論的な前提は、デューイの成長概念と構造的に近いものです。
②リフ(キャロル・リフ。アメリカの心理学者)の心理的ウェルビーイングの「個人的成長」「環境統制力」の次元です。
③経験サンプリング法(日常生活の中で随時、その時の経験を記録してもらう調査法)とフロー理論(チクセントミハイ〔ミハイ・チクセントミハイ〕による、活動に没頭している状態の研究)です。デューイの「一つの経験」概念との類縁性が指摘されています。
④教育研究です。探究型学習、プロジェクト型学習、OECDのエージェンシー概念があります。
研究の対象は思想そのものではなく、それと構造的に似た心理学理論や、教育制度への浸透です。直接の実証研究は主ではありません。
どこから来て、どこへ流れたか
プラグマティズムが受け継いだものは、ダーウィン(チャールズ・ダーウィン。進化論)、ヘーゲル(ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル。19世紀ドイツの哲学者。デューイの初期に影響)、エマソン(ラルフ・ワルド・エマソン。19世紀アメリカの思想家)です。
流れていった先は、進歩主義教育・探究学習・OECD(経済協力開発機構)のエージェンシー(Student Agency。生徒が自ら学びに関わる主体性)概念、ローティ(リチャード・ローティ。20世紀アメリカの哲学者)のネオ・プラグマティズム、ハーバーマス(ユルゲン・ハーバーマス。ドイツの哲学者)の熟議民主主義(話し合いによる民主主義)、そして自己決定理論の有機体論的前提です。
発達段階論から見ると
「固定した究極目的の否定」と「終わりなき成長」は、段階論の発達観そのものと親和的です。デューイの成長概念は、キーガン(ロバート・キーガン。成人の心の発達段階を研究した心理学者)的な発達の原型と読めます。民主主義を共同生活の様式とする点は、ラルー(フレデリック・ラルー。『ティール組織』の著者)のグリーン(多元型。平等と包摂を重んじる段階)からティール(進化型。目的に導かれる自律的な段階)にあたります。
ただし「何に向かっての成長か」を欠くという批判は、段階論にも当てはまります。
発達段階マップでは、器(実践を運営する自己のあり方)=4(自分の基準を持つ自己)、目標(目指す自己のあり方)=4.5です。なお、高い段階ほど良いという読み方はしません。
【伸ばす(成長)/制度で供給する】型です。幸福を完成状態ではなく、「問題→探究→再構成」の連続的な成長として設計します。教育と民主的な公共的探究が実践の場です。
「終着点なき成長」という構えは、固定した幸福目標を立てない介入設計の根拠になります。自己決定理論や探究型学習と接続します。
安全装置共同体の相互監視制度・法・専門職倫理
安全装置のタグは「共制」(共同体と制度による安全装置)です。民主主義的な共同体における探究の公開性と修正可能性、そして教育制度が安全装置です。信念は実験として扱われ、結果によって修正されます。この可謬主義(かびゅうしゅぎ。どんな信念も誤りうると認め、修正に開かれている立場)が安全装置になっています。
個人の内面的な実践は主題ではないため、それに伴う危険もありません。
誤解されやすい点
①pragmatism=「実用主義」「実利主義」という訳は誤解を招きます。日本語の「実用主義」は「役に立てば何でもよい」という場当たり的な態度を連想させます。しかしプラグマティズムは探究の方法論であり、帰結による検証を重んじる科学哲学的な立場です。「プラグマティズム」とカタカナで表記するのが標準です。
②experienceは「主観の内的体験」ではなく、有機体と環境の相互作用という関係概念です。
③growthは自己啓発的な「自己成長」と混同されやすいのですが、個人の能力向上ではなく、経験の意味の増大と、さらなる経験への開かれです。
④habitは「癖」ではなく、社会的に形成された行動の性向です。アリストテレスのヘクシス(hexis。習慣によって身についた状態)に近いのですが、より社会的で可塑的(変えられる)です。
⑤「真理は有用性である」という粗い定式は誤りです。
⑥「プラグマティズムは幸福論を持たない」という誤解があります。デューイの成長論は、快楽説にも欲求充足説にも還元されない、善き生の理論です。
学者の間で議論があること
①パース対ジェイムズです。パースはジェイムズの「真理=有用性」という定式を拒み、自説を「プラグマティシズム」と改称しました。
②「成長はそれ自体が唯一の道徳的目的か」という問題です。デューイの成長概念は「何に向かっての成長か」を欠くという批判があります(「悪党への成長も成長か」問題)。ただしスタンフォード哲学百科事典(SEP。オンラインの哲学事典)のデューイの項は、「この項目は成長をデューイの唯一の道徳的目的とはしていない」と明示し、デューイはむしろ固定した究極目的そのものを退けたと解釈しています。
③相対主義(正しさは立場によって変わるとする考え)に陥るという批判です。
④ローティによるネオ・プラグマティズム的な読解と、パットナム(ヒラリー・パットナム。アメリカの哲学者)による批判の対立です。
こんなときに:「完成した幸せ」に到達できないことに落胆しているとき。幸せを到達点ではなく成長の過程として捉えたい人に。
小さな入口:今日、少しだけ経験が広がったことを一つ書く。到達ではなく成長が続いていること自体を幸せの定義にしてみる。
判定が近い思想:アドラー(個人心理学)・ポジティブ心理学3.0・世俗的人文主義 → 思想の近さマップ
成長は、さらなる成長以外の何ものにも相対的ではない。それゆえ教育は、さらなる教育以外の何ものにも従属しない。
成長の外に目的を置かないというプラグマティズムの幸福観の核。完成した状態ではなく成長し続ける過程が善き生。
人生は生きるに値すると信じよ。そうすればその信念が、その事実を作り出す助けとなる。
厭世への応答。生の価値は前もって証明されるものではなく、生きようとする意志と行為によって事後的に作られる。
教育とは、経験の意味を増し、その後の経験の進路を方向づける能力を高めるような、経験の再構成ないし再組織である。
プラグマティズム最大の実践体系である教育の定義。個人の修行ではなく、経験を絶えず作り直すことが道。
民主主義は統治形態である以上に、まず第一に共同生活の様式であり、共に伝え合われる経験の様式である。
善き生は一人では成長しない。他者と経験を交換し合う共同生活そのものを、デューイは民主主義と呼んだ。
悪い人とは、どれほど善良であったにせよ、いま悪くなりつつある人である。善い人とは、どれほど不徳であったにせよ、いま善くなろうと動いている人である。
「成長そのものが唯一の道徳的目的」という同章の主張の逆説的言い換え。到達点ではなく向きが人を評価する。
主な典拠:Dewey, Democracy and Education (1916)/Reconstruction in Philosophy (1920)/Human Nature and Conduct (1922)(習慣・衝動・知性の三部構成)/Ethics (Tuftsとの共著、1908/1932)/James, The Will to Believe and Other Essays (1897)(「Is Life Worth Living?」を収録)/What Makes a Life Significant?(Talks to Teachers, 1899所収。「Is Life Worth Living?」とは別論文で混同されやすい)/The Varieties of Religious Experience (1902)(第4-5講「健全な精神」、第6-7講「病める魂」)/Pragmatism (1907)
参考文献:Dewey's Moral Philosophy, Stanford Encyclopedia of Philosophy/William James, SEP/※Pappas, G. F. (2008) John Dewey's Ethics: Democracy as Experience(本調査未確認)
この思想が答える悩み(各思想からの悩み相談30から)
プラグマティズムが登場する悩み6件。押すと、その悩みでのプラグマティズムの答えに移ります。
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