ポジティブ心理学1.0
快い感情・没頭・意味・良い関係・達成(PERMA)という測れる要素を、自分の強み(性格の良い面)を使って増やしていけば、幸福(フラーリッシング=開花)は科学的に築ける
幸せは「なんとなく」ではなく、要素に分けて測れる。快い気持ち、夢中になること、意味を感じること、良い人間関係、何かを成し遂げること。そして、それぞれは自分の「強み」(好奇心、親切、ユーモア、感謝など)を使うことで増やせる。「今日あった良いことを三つ書く」「お世話になった人に感謝の手紙を書く」といった小さな習慣で、幸福感が少し上がることが実験で確かめられている。幸せとは、持って生まれたものや境遇で決まりきるのではなく、自分で育てられる「花」のようなもの——というのが、この立場の基本のイメージ。ただし効果は小さく、「幸せは自分次第」と言い切れるほどではないことも、後の研究で分かってきた。
1998年、アメリカ心理学会の会長だったマーティン・セリグマンが「心理学は病気を治すことばかりで、人が幸せになることを研究してこなかった」と呼びかけて始まった研究運動。快い感情、没頭、意味、良い人間関係、達成(頭文字で PERMA)という要素を測り、自分の「強み」を使ってそれらを増やす方法を科学的に調べる。「三つの良いことを書く」「感謝の手紙を書く」といった短い課題(ポジティブ介入)が有名で、学校や企業の研修にも広く取り入れられた。日本で「幸福学」「ウェルビーイング」として紹介される内容の多くは、この流れを源にしている。
どれくらいの人が信じているか、学んでいるか
研究運動なので、信者数というものは存在しません。影響圏の代理指標としては、国際ポジティブ心理学会(IPPA。2007年設立)の会員、VIA-ISの受検者(累計数千万人規模と公表。要確認)、ポジティブ教育を導入した学校、企業研修市場があります。
注意点として、この思想は人数の軸には置けません。書籍・研修市場の規模と研究者数は桁が異なります。
ポジティブ心理学1.0(1998年にセリグマン=マーティン・セリグマン。アメリカの心理学者。当時のアメリカ心理学会会長が提唱した心理学の研究運動。本マップでは2002年の『世界でひとつだけの幸せ』から2011年のPERMAまでを「1.0」として扱います)の中心の言葉は、PERMA(パーマ)です。これはPositive emotion(快い感情)、Engagement(没頭)、Relationships(関係)、Meaning(意味)、Accomplishment(達成)の5要素の頭文字です。目標はフラーリッシング(flourishing。開花・繁栄。人が持てる力を発揮して満ちている状態)です。初期の本『世界でひとつだけの幸せ(Authentic Happiness)』は、快の人生・没頭の人生・意味の人生という三層で幸福を捉えました。ほかにシグネチャー・ストレングス(VIA-ISという診断が測る24の性格の強みのうち、その人に特徴的なもの)、フロー(チクセントミハイ=ミハイ・チクセントミハイ。ハンガリー出身の心理学者が名づけた没頭状態)、学習性楽観(learned optimism。悪い出来事の説明の仕方を変えることで楽観を身につけられるという考え)、ポジティブ介入(三つの良いこと、感謝の手紙など短い課題)、ヘドニア、エウダイモニア、ヘドニック・トレッドミル(快楽順応。良いことがあっても幸福感がすぐ元に戻ってしまうこと)といった言葉があります。
ポジティブ心理学1.0は、心理学が病気の修復に偏ってきたことへの反省から、幸福・強み・美徳を科学的に研究し、増やしていくことを掲げました。セリグマンの初期の定式(2002年)は、幸福を快の人生(ポジティブ感情)、没頭の人生(フローと強みの発揮)、意味の人生(自分より大きなものに仕える)の三層で捉えました。2011年の『フラーリッシュ』では、「幸福(ハピネス)」という語を退けて、ウェルビーイング(心身の良い状態)をPERMAの5要素からなる構成概念とし、目標を「フラーリッシング(開花)」に置き換えました。
核にあるのは三つの前提です。①幸福は測定可能な要素に分解できる。②各要素は本人が意図的に増やせる。③その主な手段は、自分の強みを見つけて使うことです。これはアリストテレス(古代ギリシャの哲学者)の開花モデルを、心理測定と介入研究の言葉に翻訳したものと位置づけられます。関係(R)を含みますが、単位は一貫して個人です。一言でいえば、快い感情・没頭・意味・良い関係・達成という測れる要素を、自分の強みを使って増やしていけば、幸福は科学的に築ける、という考えです。
幸せを妨げるもの
幸せを妨げるものとして、まず心理学の「疾病モデル」への偏りが挙げられます。欠陥の修復にとどまり、強みと幸福を扱ってこなかったという反省です。次に学習性無力感(何をしても無駄だと学習してしまった状態。セリグマンの初期の研究テーマ)、悲観的な説明スタイル(悪い出来事を自分のせい・いつまでも・何にでも当てはまると説明する癖)、快楽順応(ヘドニック・トレッドミル)、そして強みを使わない生活です。
妨げは個人の認知と習慣に置かれています。社会構造は主題になりにくいです。この思想で幸せの反対にあたる言葉は、要素の欠如(ラングイッシング。しおれている状態)と強みの未使用、つまり「剥奪」だと整理できます。
学習・思索制度・政策
実践の中心はポジティブ介入です。「三つの良いこと」(今日あった良いことを三つ書く)、「感謝の訪問」(お世話になった人に感謝の手紙を書いて届ける)、「強みの新しい使い方」、「最良の自己」、「味わい(savoring。良い経験をじっくり味わうこと)」などです。VIA-ISによる強み診断、フロー活動の設計、楽観の学習(ABCDE法。逆境・信念・結果・反論・活性化の頭文字で、悲観的な考えに反論する練習)、PERMA-Profiler(PERMAの5要素を測る質問紙)による測定があります。学校ではペン・レジリエンス・プログラムやポジティブ教育、組織・軍では米陸軍のComprehensive Soldier Fitness(2009年。兵士の心理的強さを高めるプログラム)として実装されました。実践の単位は、個人の課題と測定です。
幸せはどこで実現するのでしょうか。個人の心理状態と行動です。関係(R)を要素に含みますが、測定も介入も個人単位です。制度は実装の場であって、幸福の所在ではありません。
いつ実現するのでしょうか。現世です。ポジティブ感情の現在と、楽観・達成という未来に向かいます。過去は「感謝」「許し」によって扱います。まとめると、測れる要素を、強みを使って意図的に増やす開花・増進モデルです。実践の形は学習・思索と制度・政策に分類されます。
「私」と世界の境目
ポジティブ心理学1.0の自己観は分離型です。測定の単位も介入の対象も個人です。関係は5要素の一つとして、自己の外側に置かれます。
「私」と世界の関係の型で言えば、47項目の「分離型」の現代心理学版です。自律的な個人が、自分の要素を測り、増やしていく、という構図です。
境遇(運)と、努力か贈与か
境遇については「部分的に独立」です。リュボミアスキー、シェルドン、シュケイド(いずれもアメリカの心理学者)の2005年の定式では、「幸福の50%は遺伝的なセットポイント(生まれつきの基準値)、10%が境遇、40%が意図的活動」とされ、境遇の寄与を小さく、意図的活動の余地を大きく見積もりました。ただし、この数字は後に強い批判を受けています。
努力か贈与かについては、努力による獲得です。意図的活動・介入・強みの使用によって幸福を得ます。贈与の次元はほぼ主題になりません。
苦しみの位置
苦しみは、取り除く、あるいは減らすべきものです。ポジティブ感情とネガティブ感情の比率を扱い、苦しみは増進の対象の外に置かれます。1.0は病理の修復ではなく強みの増進を掲げているので、苦しみそのものは主題の外にあります。
目盛りの定義は 17のマップ の各「目盛りの定義」を参照。
ヘドニア/エウダイモニア、三分類の枠組み
現代の幸福研究では、幸せをヘドニア(快と満足としての幸福)とエウダイモニア(人間としての機能の発揮としての幸福)に分けることがあります。ポジティブ心理学1.0は、両方を並べる折衷です。『世界でひとつだけの幸せ』の三層は、ヘドニア(快)とエウダイモニア(没頭・意味)の混成であり、PERMAはその5要素版です。
もう一つの枠組みとして、快楽説(快が善)/欲求充足説(望みが叶うことが善)/客観的リスト説(快や望みとは独立に、良いものの一覧がある)という三分類があります。1.0は、客観的リスト説(PERMAの5要素)に主観説(P=ポジティブ感情、人生満足)を組み込んだ混合です。自己申告で測る点では、主観説の方法論をとっています。
前野4因子との相性(やってみよう=◎ ありがとう=◎ なんとかなる=◎ ありのままに=△)
前野隆司(幸福学の研究者)の4因子との相性は次のとおりです。
やってみよう(自己実現と成長)=◎(とてもよく合う)。強み・達成・成長が中心にあるからです。
ありがとう(つながりと感謝)=◎(とてもよく合う)。感謝介入と関係(R)が対応します。
なんとかなる(前向きと楽観)=◎(とてもよく合う)。学習性楽観そのものです。
ありのままに(独立と自分らしさ)=△(一部合う)。受容は2.0以降の主題であり、1.0では弱いです。
生きとし生けるものの幸せ(△ 人間が中心)
生きとし生けるものへの配慮は△(一部含まれる)です。PERMAの関係(R)は人間関係を指します。動物や自然は主題になりません。自然と触れ合うことの効果は、環境心理学という別の系統で研究されています。
研究でどこまで確かめられているか
研究の裏づけは「非常に多」です。介入研究と尺度が最も豊富ですが、効果量は小〜中です。
①ポジティブ介入のメタ分析(多数の研究を統合した分析)として、シンとリュボミアスキー(2009年。r≈.29)、ボリエルら(2013年。主観的ウェルビーイングでd=0.34、心理的ウェルビーイングでd=0.20)、カーら(2021年。ウェルビーイングでg≈0.39)があります。ただし、ホワイト、アトル、ホルダーの2019年の再分析では、小標本バイアス(参加者の少ない研究ほど大きな効果が出やすい偏り)を補正すると、効果は約0.1に縮小しました。②PERMA-Profiler(バトラーとカーン、2016年)やVIA-ISの大規模データがあります。③学校でのポジティブ教育の効果研究は、効果が小さく、持続性に課題があります。④Comprehensive Soldier Fitnessの評価は、独立した検証が乏しいです。
注意点として、47項目のなかで直接的な実証が最も多い項目ですが、「幸福を増やせる」という中心主張の効果量は小さいです。研究の対象は思想そのものであり、世俗化された技法ではなく、この点は他の思想と異なります。
どこから来て、どこへ流れたか
どこから来たか。アリストテレス(開花・徳)、人間性心理学(マズロー、ロジャーズ)、ディーナー(エド・ディーナー。アメリカの心理学者)の主観的ウェルビーイング研究、チクセントミハイのフロー、セリグマン自身の学習性無力感の研究、認知行動療法(ABCDE法の源)から影響を受けています。
どこへ流れたか。ポジティブ教育、組織のウェルビーイング施策、幸福度政策の一部、日本の「幸福学」に流れました。前野隆司の4因子は主観的ウェルビーイング研究と因子分析(多くの質問項目の背後にある共通の要因を取り出す統計手法)に基づいていますが、ポジティブ心理学1.0と同じ時期・同じ問題意識を共有しています。そしてポジティブ心理学2.0・3.0が、1.0を修正対象として生まれました。
発達段階論から見ると
キーガン(成人の心の発達段階を研究した心理学者)の段階論では、段階3(周囲に合わせる自己)、段階4(自分の基準を持つ自己)、段階5(自分の枠組みを相対化できる自己)と進むと考えます。ポジティブ心理学1.0は、段階4(自己主導型。色で呼ぶ言い方ではオレンジ)の心理学的な定式です。自分の強みを見つけ、目標を立て、要素を測って増やす。自律的で達成志向の自己が前提になっています。
器(実践を運営する自己のあり方)は持ちません。研究運動だからです。ラルー(フレデリック・ラルー。組織の発達段階を論じた著者)のオレンジ(達成型)の幸福観と重なる、というのはこのマップの解釈です。発達段階マップでは、器=なし、目標(目指す自己のあり方)=段階4と記されています。なお、高い段階ほど良いという読みはしません。
型は【伸ばす】です。ポジティブ介入(三つの良いこと・感謝の手紙・強みの使用)、強み診断、フローの設計、楽観の学習が対応します。現代の介入設計の主流そのものであり、翻訳の必要がありません。
注意点があります。効果量は小〜中で、質の高い研究ほど小さくなります。「幸福は自分次第」という前提を強く伝えると、幸福追求のパラドクス(幸福を追い求めるほど幸福から遠ざかる現象)と、自己責任化(幸せでないのは本人の努力不足だとされること)を招きます。
安全装置制度・法・専門職倫理教義上の警告(魔境・慢心・偽の悟り)
タグは「制・警」です。制=制度と規範で支える、警=危険を警告する、という意味です。
具体的には、研究倫理と効果検証(無作為化対照試験・メタ分析)という科学の自己修正が安全装置です。「ポジティブの専制」(ヘルド)や幸福追求のパラドクスへの警告は、内部から出ました。実践(介入)は短く軽いため、身体的な危険は小さいです。しかし自己責任化と、無理な楽観による抑うつの悪化への注意は、後から加えられたものです。
誤解されやすい点
①ポジティブ心理学=ポジティブ思考ではありません。研究運動であり、「前向きに考えれば幸せになる」という主張ではありません。
②「幸福の40%は自分次第」という数字は、原著者自身が後に留保を付け、方法論的に強く批判されています。
③PERMAは検証された理論ではなく、要素のリストです。
④セリグマン自身が2002年の定式(幸福)を2011年に修正(ウェルビーイング)しており、「1.0」の中にも版があります。
⑤介入の効果は小〜中で、質の高い研究ほど小さいです。
⑥本マップの「開花型」の現代版であり、47項目のなかでは少数派の幸福観に属します。
学者の間で議論があること
①「ポジティブの専制」(ヘルド=バーバラ・ヘルド。2004年)。ネガティブなものを不当に扱う偏りがあるという批判です。
②再現性と効果量。ポジティブ介入のメタ分析は小〜中の効果(ボリエルら2013年:d≈0.34)を示しますが、小標本バイアスを補正した再分析(ホワイト、アトル、ホルダー2019年)では大きく縮小しました。
③「50-10-40」の根拠。ブラウンとローラーの2020年の批判があります。
④WEIRD(西洋・高学歴・工業化・豊か・民主的な社会)のサンプルへの偏りと、個人主義への偏りです。
⑤幸福の商品化と、企業・軍での利用。Comprehensive Soldier Fitnessには倫理的批判があります。
⑥PERMAは理論なのか、それとも要素のリストにすぎないのか。
⑦VIAの心理測定的な妥当性。24因子の構造が再現されるかが問われています。
こんなときに:弱点の修正ばかりで疲れているとき。自分の強みを知り、それを使う場面を増やしたい人に。
小さな入口:自分の強み(好奇心・親切・粘り強さなど)を三つ挙げ、明日それを使う場面を一つ作る。ただし「伸ばす」だけが幸せの道ではないことも忘れずに。
判定が近い思想:アリストテレス・プラトン・世俗的人文主義 → 思想の近さマップ
ポジティブ心理学の狙いは、心理学の焦点を、人生の最悪の事柄を修復することだけへの没頭から、良い資質を築くことへも向け変える変化に火をつけることである。
運動の公式の出発点となった特集号の宣言文。「病理の修復」から「強みと幸福の増進」への転換を掲げる。
第二次大戦以来、心理学は主として治すことの科学になった。病気モデルのなかで損傷を修復することに集中し、充実した個人と栄える共同体を顧みなかった。
1.0が「妨げ」とみなしたもの=心理学自身の疾病モデルへの偏り。幸福を扱ってこなかった学問への反省が運動の動機。
善き生とは、自分の特徴的な強みを毎日使って、本物の幸福とたっぷりの充実を生み出すことである。
1.0初期の幸福の定式。快の人生・没頭の人生・意味の人生のうち、強みの発揮による「善き生」を中心に置く。
最良の瞬間はふつう、何か困難で価値あることを成し遂げようとする自発的な努力のなかで、身体か心が限界まで引き伸ばされたときに訪れる。
PERMAのE(没頭)の源であるフロー概念。幸福は受動的な安楽ではなく、挑戦と技能が釣り合う没頭のなかにある。
他者が大事なのだ。
VIA強み分類の共著者ピーターソンが、ポジティブ心理学の知見全体を三語に要約した言葉。PERMAのR(関係)の根拠。
主な典拠:Seligman, M. E. P. & Csikszentmihalyi, M. (2000) Positive psychology: An introduction, American Psychologist 55(1)/Seligman, M. E. P. (2002) Authentic Happiness, Free Press/Peterson, C. & Seligman, M. E. P. (2004) Character Strengths and Virtues, Oxford UP/Seligman, Steen, Park & Peterson (2005) Positive psychology progress: Empirical validation of interventions, American Psychologist 60(5)/Seligman, M. E. P. (2011) Flourish, Free Press/Lyubomirsky, Sheldon & Schkade (2005) Pursuing happiness: The architecture of sustainable change, Review of General Psychology 9(2)
参考文献:Held, B. S. (2004) The negative side of positive psychology, Journal of Humanistic Psychology 44(1)/Bolier, L. et al. (2013) Positive psychology interventions: A meta-analysis of randomized controlled studies, BMC Public Health 13:119/White, C. A., Uttl, B. & Holder, M. D. (2019) Meta-analyses of positive psychology interventions: The effects are much smaller than previously reported, PLOS ONE 14(5)/Carr, A. et al. (2021) Effectiveness of positive psychology interventions: A systematic review and meta-analysis, Journal of Positive Psychology 16(6)/Brown, N. J. L. & Rohrer, J. M. (2020) Easy as (happiness) pie?, Journal of Happiness Studies 21/Butler, J. & Kern, M. L. (2016) The PERMA-Profiler, International Journal of Wellbeing 6(3)/van Zyl, L. E. et al. (2024) The critiques and criticisms of positive psychology: A systematic review, Journal of Positive Psychology 19(2)
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