幸せの禅語百選

第2章 手放す ・ 24 / 100

将心来 与汝安

しんをもちきたれ なんじがためにやすんぜん

「その不安な心を持ってきなさい。安らかにしてあげよう」。探しても見つからない心、そこにこそ安心がある。

出典の物語

達磨(だるま)が少林寺で壁に向かって坐っていたとき、慧可(えか)という僧が訪ねてきた。雪の中に立ち尽くして入門を願ったが、達磨は振り向かない。慧可は自分の左腕を切り落として決意を示したと伝えられる。達磨はようやく「何を求めるのか」と問うた。慧可は言った。「私の心は不安でたまりません。どうか安らかにしてください」。達磨は言った。「その不安な心を、ここへ持ってきなさい。安らかにしてあげよう」。慧可はしばらく探してから答えた。「心を探しましたが、どうしても見つかりません」。達磨は言った。「あなたの心は、もう安らかにしてあげた」。これが、達磨の後を継いだ慧可の悟りの場面である。不安な「心」を、つかめる物のように探しに行くと、どこにも見つからない。不安は確かにあるのに、不安を抱えている「心」という固まりは、どこにもない。見つからないと知ったとき、安心はもう成り立っていた。

将心来、与汝安(心を持ち来たれ、汝が為に安んぜん)── 覓心了不可得(心を探しても見つかりません)(『無門関』第四十一則)

出典:『無門関』第四十一則「達磨安心」/『景徳伝灯録』巻三

ウェルビーイング研究とのつながり

不安や嫌な考えを「消そう」と努力すると、かえってその考えが増えるという逆説は、「シロクマのことを考えないでください」という有名な実験で示された(Wegner et al., 1987)。これを受けて、不安を排除するのではなく、あるがままに観察し受け入れる方法(アクセプタンス)が、不安や抑うつに効果を持つことが確認されている(Hayes et al., 2006)。「不安な心を持ってきなさい」という達磨の対応は、不安と戦わずに観察させる、アクセプタンスの原型と言える。

現代の暮らし・仕事への示唆

「不安をなくしたい」と思って不安と格闘すると、不安はかえって大きくなる。達磨は不安を消そうとしない。「その不安を持ってきてごらん」と言う。すると不安は、追いかけると逃げる影のように、つかまえどころがない。これは不安を軽視する話ではない。不安は本物だが、「不安な私」という固まりは幻だと見抜く話である。眠れない夜、「不安はどこにあるのか、胸か、頭か、どんな形か」と探してみる。すると不思議に、固まりがほどけることがある。探しても見つからない。それが答えだった。

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