無位真人
いかなる位(くらい)にも属さない、本当の人。地位や肩書き、凡聖の区別を離れた、生身の自己。
出典の物語
臨済がある日、説法の座に上がって言った。「この生身の肉体の上に、何の位(くらい)もない本当の人が一人いる。それはいつも、お前たちの顔の門(目や耳や口)から出たり入ったりしている。まだ確かめていない者は、見よ、見よ」。すると一人の僧が進み出て尋ねた。「位のない本当の人とは、どんな人ですか」。臨済は座から下りてきて、僧の胸ぐらをつかみ、「言え、言え!」と迫った。僧が答えに詰まると、臨済は突き放して言った。「位のない本当の人だと? なんというクソかきべらだ」。そして自分の部屋に帰ってしまった。「位」とは、凡人と聖人、僧と俗人、上と下といった、あらゆる格付けのこと。「真人(しんにん)」は『荘子』から来た言葉で、道を体得した人のこと。臨済は、仏を外に探し回る修行者に向かって、今ここで見たり聞いたりしている、その働きこそが本当の人だ、と指さした。しかし僧が「それは何ですか」と頭で聞き返した瞬間、本当の人はクソかきべらに成り下がってしまった。
出典:『臨済録』上堂
ウェルビーイング研究とのつながり
定年や転職で肩書きを失うと、幸福感が大きく揺れる人と揺れない人がいる。退職後の適応を追った研究では、仕事以外の役割や活動を持っていた人ほど、退職後の幸福感の低下が小さいことが示されている(Wang, 2007)。また、自分を多面的にとらえている人(自己複雑性が高い人)は、一つの領域のストレスが全体に波及しにくい(Linville, 1987)。肩書きの外に「位のない自分」を知っていることは、こうした緩衝材として働く。
現代の暮らし・仕事への示唆
名刺を出せない場所で、自分は何者だろうか。会社の肩書き、学歴、年収、フォロワー数。こうした「位」で自分を測るとき、位が上がれば浮かれ、下がれば沈む。臨済は、そのどれにも属さない人がお前の中で今まさに働いている、と言う。見ている、聞いている、感じている、その働きには位がない。定年退職や転職で「自分が消えた」ように感じる人は多いが、消えたのは位であって人ではない。無位真人を知っている人は、位の変動に揺れにくい。これはアイデンティティの危機に対する、千年以上前からの処方箋である。
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