仏教(日蓮)
法華経を身をもって受け持ち(南無妙法蓮華経と唱える唱題)、苦難をむしろ正しい道の証しとして、この世界そのものを仏の国土に変えていく(立正安国=正しい教えで国を安らかにする)なかで生き抜く
この世は苦しみに満ちているが、正しい教え(法華経)を信じて「南無妙法蓮華経」と唱えれば、この苦しみの世界そのものが仏の世界に変わる。幸せは別の世界(浄土)に行くことではなく、今いるこの場所と社会を、正しい教えによって安らかな国に変えていくこと。だから信仰は一人で完結せず、仲間と力を合わせ、社会に働きかける。迫害や困難に遭うのは、正しい道を歩んでいる証拠だと受け止める。「困難が来たら安楽と思え」という日蓮の言葉は、苦しみを避けるのではなく、苦しみを通して自分の信仰を本物にしていく姿勢を表している。
鎌倉時代の僧・日蓮(1222-1282)が、『法華経』こそ末法(仏の教えが力を失う時代)の唯一の正しい教えだとして開いた仏教の流れ。「南無妙法蓮華経」という題目を唱え、正しい教えを広めることで個人も国も安らかになる(立正安国)と説いた。幕府を批判して流罪になるなど、迫害を「正しい教えの証し」として引き受けたことで知られる。伝統的な日蓮宗のほか、20世紀に生まれた創価学会・立正佼成会などの在家(出家しない信者中心の)教団もこの系統に属し、日本の宗教のなかで大きな勢力をもつ。
どれくらいの人が信じているか、学んでいるか
規模は「多」です。文化庁の『宗教年鑑』によると、日蓮系の伝統宗派(日蓮宗など)は教団の申告で数百万人です。これに在家教団を加えると1,000万人を超えます。創価学会は公称827万世帯、ほかに立正佼成会・霊友会などがあります。海外の SGI 会員は公称で数百万人です。ただし各教団の申告値と計上方法は要確認とされています。
注意点として、伝統宗派の檀家(だんか。寺に所属する家)の申告と、在家教団の世帯・会員の申告は、数え方が異なるため合算できません。また創価学会は世帯数で公表しており、人数に換算できません。したがって「1,000万人超」はあくまで目安です。
日蓮(にちれん。1222〜1282年。鎌倉時代の僧)の教えが言う幸せの中心にあるのは、娑婆即寂光土(しゃばそくじゃっこうど。苦しみに満ちたこの世界=娑婆が、そのまま仏の清らかな国土=寂光土である、という考え)です。浄土(じょうど。仏の住む清らかな国土)を来世や別の世界に求めません。この苦の世界そのものが、法華経(ほけきょう。大乗仏教の代表的な経典)を信じ受け持つことによって仏の国土になる、という現世主義です。日蓮は、末法(まっぽう。釈迦の死後、時代が下って仏の教えが力を失うとされる時代)において唯一有効な正しい教えとして法華経を選び取りました。
個人の救いは、題目(だいもく。「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」という言葉。法華経に帰依するという意味)を唱えること、つまり唱題(しょうだい)によって、久遠の仏(くおんのほとけ。法華経が説く、はるか昔に悟りを開いた永遠の仏)と一体になることです。これは即身成仏(そくしんじょうぶつ。この身のままで仏になること)と呼ばれます。信仰の対象は、日蓮が図に表した曼荼羅本尊(まんだらほんぞん。題目を中心に諸仏や諸尊の名を書き記した図。信仰の中心に据える対象)です。
しかし救いは個人にとどまりません。立正安国(りっしょうあんこく。正しい教えを立てることで国土と社会が安らかになる、という日蓮の主張)という社会的な次元に直結します。個人の信仰、教団の団結、国土の安穏が一つの構造をなしており、幸せの主語は「私」であると同時に「国土」でもあります。天台宗(てんだいしゅう。中国で成立し日本に伝わった仏教の宗派。法華経を中心に据える)から受け継いだ一念三千(いちねんさんぜん。一瞬の心に全世界が具わっているという教理)や、煩悩即菩提・生死即涅槃(ぼんのうそくぼだい・しょうじそくねはん。迷いがそのまま悟りであり、生き死にの世界がそのまま安らぎである、という考え)も、この世界をそのまま仏の世界と見る背景になっています。
苦難の位置づけも独特です。苦難は、法華経の行者(ぎょうじゃ。法華経を身をもって実践する人)であることの証しとされます。日蓮は「難来るを以て安楽と意得べきなり」(困難が来たら、それを安楽と心得なさい)と書きました。幸せは苦難を取り除くことではなく、苦難を通して法を身で読むこと、つまり色読(しきどく。経典の言葉を頭で理解するだけでなく、自分の身に起こる出来事として体験すること)にあります。正しい教えゆえに受ける迫害は難(なん。法難)と呼ばれます。教えを広めることは広宣流布(こうせんるふ)と言います。
20世紀に生まれた在家教団(ざいけきょうだん。出家しない信者を中心とする教団。創価学会・立正佼成会・霊友会など)では、現世利益(げんぜりやく。この世で受ける具体的な恵み)、人間革命、宿命転換(しゅくめいてんかん。自分の宿命を信仰によって変えること)という言葉で、個人の生活の変革と社会への働きかけがより直接に強調されます。この資料は日蓮自身の思想を中心に置き、在家教団は近代的な展開として扱っています。
幸せを妨げるもの
幸せを妨げるものとして、まず謗法(ほうぼう。正しい教えをそしること)が挙げられます。次に末法の濁世(じょくせ。教えが力を失った時代の、濁った世の中)です。さらに三障四魔(さんしょうしま。修行を妨げる三つの障害と四つの魔)、そして退転(たいてん。信仰から退くこと)があります。
特徴的なのは、妨げの置き場所です。妨げは、心の内側の煩悩(ぼんのう。心を悩ませる欲や怒りなどの働き)よりも、「正しい教えを持たないこと」と、それを持つ者への迫害に置かれます。また、社会の側の妨げである国土の混乱も、個人の妨げと切れ目なくつながっていると考えます。
この思想で幸せの反対にあたるのは、罪・背きの類型で、具体的には謗法(正しい教えへの背き)と退転です。
儀礼・祭祀共同体・対話制度・政策
実践の中心は唱題です。「南無妙法蓮華経」と唱えます。あわせて勤行(ごんぎょう。日課として経典を読む務め)を行い、法華経の方便品(ほうべんぼん)と如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)という二つの章を読誦します。曼荼羅本尊を信じることも実践の柱です。
布教には二つの方法があります。折伏(しゃくぶく。相手の誤りを指摘し、論破して正しい教えに導く方法)と、摂受(しょうじゅ。穏やかに導く方法)です。さらに講(こう。信者の集まり)や信徒組織をつくり、団結することが重視されます。近代の在家教団では、座談会、社会活動、政治参加も実践に含まれます。つまり実践は、個人の唱題と組織の活動という両面をもっています。実践の形としては、儀礼・祭祀、共同体・対話、制度・政策の三つの型にまたがります。
幸せはどこで実現するのでしょうか。個人の信仰と、国土・社会(立正安国)の両方です。僧と在家の信者からなる教団と、講という共同体が、その場になります。個人の内面に閉じることはなく、必ず社会へ向かいます。この点で、この思想の型は「現世変革・関係構成モデル」と整理されています。個人の信仰と国土の安穏は切り離せず、この世界を仏の国土へ変えていく、という型です。
いつ実現するのでしょうか。中心は現世です。娑婆即寂光土と現世利益がその表れです。ただし背景には、久遠実成(くおんじつじょう。釈迦は実ははるか昔に悟っていた永遠の仏である、という法華経の教え)という永遠の次元があります。死後の成仏も語られます。時間軸としては、現世と永遠の二つにまたがります。
「私」と世界の境目
「私」と世界の関係は、関係型に分類されます。個人の成仏は、教団・国土・社会の変革と不可分です。久遠の仏との一体を語りますが、主体と客体の区別がなくなるとは語りません。信じる主体としての個人は保たれます。
自己は「法華経の行者」という役割によって定められます。つまり「私は何者か」という問いに、法華経を身をもって実践する者だ、と答える形です。自己が溶けてなくなるのではなく、教えと国土と仲間との関係の中に位置づけられた自己です。
境遇(運)と、努力か贈与か
境遇については、「運に働きかける」型です。現世の境遇、たとえば病・貧しさ・争い・国土の混乱は、動かせない前提ではなく、題目と正しい教えによって転換される対象と考えます。日蓮の言葉では立正安国、近代の在家教団の言葉では宿命転換です。境遇に左右されることを認めたうえで、境遇そのものを動かそうとするのです。
努力か贈与かについては、両輪です。唱題という自分の実践と、久遠の仏・本尊の功徳(くどく。信仰の対象から与えられる力や恵み)という与えられる力の両方が働きます。近代の在家教団では、実践や活動といった努力の比重が大きくなります。
苦しみの位置
苦しみは、通過点であり証しです。「難来るを以て安楽と意得べきなり」という言葉は、日蓮の講義を弟子がまとめたとされる『御義口伝(おんぎくでん)』にあります。迫害や苦難は、法華経の行者であることの証明です。そして苦難を通して、法を身で読む(色読する)のです。
したがって苦難は取り除くべき対象ではなく、成仏の資糧(しりょう。糧となるもの)とされます。苦しみを避けるのではなく、苦しみを通して自分の信仰を本物にしていく姿勢です。
目盛りの定義は 17のマップ の各「目盛りの定義」を参照。
ヘドニア/エウダイモニア、三分類の枠組み
ヘドニア(快と満足としての幸福)とエウダイモニア(人間としての機能の発揮としての幸福)という枠組みで見ると、この思想はエウダイモニア寄りです。法華経の行者としての生を全うすること、が幸せの中心だからです。ただし近代の在家教団が強調する現世利益の次元は、生活条件や快の側面を含んでいます。
快楽説(快が幸福だとする考え)/欲求充足説(望みが叶うことが幸福だとする考え)/客観的リスト説(本人の感じ方によらず、幸福を構成する善いものの一覧があるとする考え)という三つの枠組みで見ると、混合型です。正しい教え・国土の安穏・団結という客観的なリストと、唱題の歓喜という主観的な側面が、どちらも幸せの中身になっています。
前野4因子との相性(やってみよう=◎ ありがとう=○ なんとかなる=○ ありのままに=△)
前野隆司(まえのたかし。幸福学を研究する日本の研究者)の4因子との相性は次のとおりです。
「やってみよう」(自己実現と成長)は◎、とてもよく合います。折伏、広宣流布、宿命転換という能動性があるからです。
「なんとかなる」(前向きと楽観)は○、合います。題目による転換の確信があります。ただし楽観というより確信に近いものです。
「ありがとう」(つながりと感謝)は○、合います。本尊や師への報恩(ほうおん。恩に報いること)と、同志の団結があります。
「ありのままに」(独立と自分らしさ)は△、あまり合いません。現状をそのまま受け入れるよりも、変革を求める思想だからです。
生きとし生けるものの幸せ(○ 含むが、人間との差はある)
人間以外の存在への配慮は、○(一定の根拠がある)と評価されます。天台の教理である一念三千と草木成仏(そうもくじょうぶつ。草や木も仏になれるという考え)を受け継いでおり、国土(依報。えほう。生きものを取り巻く環境)と衆生(正報。しょうほう。生きもの自身)は不二(ふに。二つに分けられない)とされます。
しかし立正安国の焦点は人間の社会と国土にあります。動物や植物の幸せそのものが主題として取り上げられることはありません。
研究でどこまで確かめられているか
研究による裏づけは「少」です。宗教社会学の研究は一定数ありますが、幸福研究としての実証はほぼありません。
具体的には、第一に、創価学会員を対象にした社会学的研究があります。ホワイトという研究者の『創価学会と大衆社会』(1970年)や、ウィルソンとドベラーレという研究者による英国 SGI の研究『唱える時(A Time to Chant)』(1994年)です。これらは帰属・改宗・生活満足を扱っていますが、幸福尺度を中心にしたものではありません。第二に、唱題の心理的効果に関する研究は散発的です。マントラ(繰り返し唱える聖なる言葉)の反復と注意・情動の研究はありますが、別の系統です。第三に、日本の宗教参加と幸福の一般的な研究に日蓮系も含まれますが、分けて分析されていません。
つまり、いずれも日蓮の幸福観そのものの検証ではない、という距離があります。
どこから来て、どこへ流れたか
影響を受けたものとして、法華経、天台教学(一念三千・草木成仏)、末法思想、密教(みっきょう。儀礼や図像を重んじる仏教の一系統。曼荼羅本尊の形式に影響)が挙げられます。
影響を与えたものとしては、近代の日蓮主義(田中智学。たなかちがく。1880年代から日蓮の教えを国家と結びつけて説いた思想家)、詩人・童話作家の宮沢賢治、20世紀の在家教団(創価学会・立正佼成会・霊友会)と SGI(創価学会インタナショナル。創価学会の国際組織)の国際展開、そして日本の宗教と政治の関係(公明党)があります。
発達段階論から見ると
キーガン(成人の心の発達段階を研究した心理学者)の段階論で見ると、器(実践を運営する自己のあり方)は段階3、目標(目指す自己のあり方)は段階4と整理されています。
器は、教団・講・在家組織という、段階3(周囲に合わせる自己。環境順応型)の強い共同体構造です。目標は久遠の仏との一体であり、これは段階5(自分の枠組みを相対化できる自己)的です。しかし実践の力点は「正法を立てて国土を変える」という、段階4(自分の基準を持つ自己)的な主体的行動にあります。近代の在家教団では、段階3の器(組織への帰属)と段階4の目標(自己変革・宿命転換)の組み合わせが前面に出ます。これは資料作成者の解釈であることが明記されています。
なお、段階が高いほど良い、という読み方はしません。それぞれの段階には固有の役割があります。
現代の言葉に翻訳すると、【関係を結び直す/伸ばす】型です。個人の変革と社会の変革を、一つの実践として設計する発想です。
現代の翻訳先としては、集団への帰属と目的意識を通じた幸福(同志・団結)、社会的行動(アドボカシー。社会に向けて主張し働きかける活動)を幸福の要素とする介入、そして困難を「証し」として意味づける語り直し、が考えられます。
ただし注意があります。組織への強い帰属は幸福を高めますが、離脱コスト(組織を離れるときの負担)と閉鎖性を生みます。安全装置として、離脱の自由が必要です。
安全装置共同体の相互監視戒律・倫理規範教義上の警告(魔境・慢心・偽の悟り)制度・法・専門職倫理
この思想の安全装置には、共・戒・警・制の四つのタグがつけられています。共は共同体、戒は規律、警は警告や監視、制は制度を指します。
具体的には、講と教団という組織(共)、勤行の定型(戒)、謗法への戒め(戒)があります。一方で、折伏の攻撃性と教団の閉鎖性が社会との摩擦を生んだ歴史があります。そのため近代の在家教団では、法令遵守と外部からの監視(警・制)が安全装置として加わりました。現代の論点は、離脱の自由をどう確保するかです。
誤解されやすい点
誤解されやすい点は次のとおりです。
①「日蓮=過激・国家主義」という像には、近代の日蓮主義の投影が含まれています。日蓮自身は為政者を諫めた側の人です。
②創価学会は日蓮宗ではありません。別の教団であり、1991年に日蓮正宗から破門されています。
③現世利益が中心だという理解は、在家教団の強調によるものです。日蓮自身は法難と色読を中心に置いています。
④題目は「唱えれば願いが叶う」呪文ではありません。
⑤娑婆即寂光土は「この世が楽園だ」という意味ではありません。苦の世界を、法によって読み替える視点です。
⑥折伏を「攻撃的な勧誘」とだけ理解するのは適切ではありません。日蓮においては、末法の時代に教えを守り伝えるための方法でした。
学者の間で議論があること
学者の間で議論があることは次のとおりです。
①日蓮の国家観です。「日本の柱」という自己規定を、国家主義と読むか、国家への批判と読むか、が争われています。
②本仏論(ほんぶつろん。根本の仏は誰かという議論)です。日蓮を根本の仏とする日蓮本仏論と、釈尊(しゃくそん。釈迦)を根本の仏とする釈尊本仏論があり、宗派対立の原因になっています。
③在家教団(創価学会など)と伝統的な日蓮宗の関係です。創価学会は1991年に日蓮正宗(にちれんしょうしゅう。日蓮系の伝統宗派の一つ)から破門されました。
④折伏の攻撃性をどう評価するかです。
⑤現世利益の位置づけです。日蓮自身の中心は法難と色読であり、現世利益の強調は近代的な展開だとする見方があります。
⑥近代の日蓮主義(田中智学、石原莞爾。いしわらかんじ。陸軍軍人)と戦前の国家主義との関係です。
こんなときに:この世を良くしたいのに、内面の修行だけでは足りないと感じるとき。信じることと社会に働きかけることを一つにしたい人に。
小さな入口:自分の信じる価値を一つ言葉にし、それを今日、目に見える行動一つに変える。祈りと行動を分けない。
この思想が出てくる悩み:「自分が整っても、職場や社会が変わらなければ幸せになれない気がする」
判定が近い思想:儒教(原始)・ユダヤ教・キリスト教 → 思想の近さマップ
汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰えんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。
正しい教えに帰依すればこの世界そのものが仏国土になるという「立正安国」の宣言。幸福の主語が個人と国土の両方であることを示す。
難来るを以て安楽と意得可きなり。
苦難を除去対象ではなく法華経の行者である証しとして受けとめる姿勢。苦を通して法を身で読む(色読)という日蓮の幸福観の核心。
苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなえゐさせ給へ。これあに自受法楽にあらずや。
苦も楽もそのまま抱えて題目を唱えることが、仏が自ら法を楽しむ「自受法楽」だと説く。唱題という実践と現世の幸福を直結させる一節。
我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ、等とちかいし願やぶるべからず。
個人の救いを国土と社会の安穏に結びつける自己規定。信仰が一人で完結せず必ず社会へ向かうという日蓮の関係的な幸福観を表す。
法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかず、みず、冬の秋とかへれる事を。
夫を亡くした女性信徒への手紙。苦難の季節は必ず転じるという確信を自然の必然に重ね、「なんとかなる」を信の側から支える一行。
主な典拠:日蓮『立正安国論』(1260)/『開目抄』(1272)/『観心本尊抄』(1273)/『佐渡御書』/『四条金吾殿御返事』/『法華経』方便品・如来寿量品/『御義口伝』(「難来るを以て安楽と意得べきなり」。日蓮の講義録とされるが真偽論争あり)
参考文献:佐藤弘夫『日蓮——われ日本の柱とならむ』ミネルヴァ書房、2003/末木文美士『日蓮入門』ちくま新書、2000/Stone, J. I. (1999) Original Enlightenment and the Transformation of Medieval Japanese Buddhism, University of Hawai'i Press/Habito, R. L. F. & Stone, J. I. (eds.) (1999) Revisiting Nichiren, Japanese Journal of Religious Studies 26(3-4)/Métraux, D. A. (1988) The History and Theology of Soka Gakkai, Edwin Mellen/McLaughlin, L. (2019) Soka Gakkai's Human Revolution, University of Hawai'i Press/島田裕巳『創価学会』新潮新書、2004
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