世界の思想と宗教の幸福観マップ

各思想からの悩み相談30 ・ 自分 21/30

やりたいことが分からない

この悩みの形

「やりたいことを見つけなさい」「夢を持ちなさい」と、学校でも就職活動でも、転職の面接でも繰り返し言われます。見つからないと、自分には中身がない、人より遅れている、と感じてしまう。この悩みの苦しさは、やりたいことがないこと自体より、「ないのはおかしい」という圧力のほうから来ていることが多いようです。

本マップの目盛りで見ると、「やりたいことを見つけて伸ばす」という答えは、幸せの8つの型のうち開花型(持っている力を伸ばして発揮する)に属します。幸せの主語を個人に置き、答えは自分の内側にあらかじめあって、それを掘り出せばよい、という前提です。ところが47の伝統のうち開花型は6つだけです。残りの多数派は、やりたいことは内側から湧いてくるものではなく、与えられた務め、人との関係、目の前の手仕事、偶然のめぐり合わせの中から、後になって分かるものだと見ています。

開花型の答えが届かないのは、あなたが未熟だからではありません。「探せば内側に見つかる」という前提のほうに、多数派の伝統から見ると無理があるのです。探すのをいったんやめたとき、何が残るか。そこから各伝統の言葉を置いていきます。

先に言っておきたいこと

「務めを果たせ」「目の前のことをやれ」という言葉を、害のある環境に留まる理由にしないでください。ギーターの務めも儒教の役割も、人を使い潰す職場で我慢することを意味しません。また「やりたいことがなくてもよい」は、何にも興味がわかず何も楽しめない状態を放置してよい、という意味ではありません。それは構えではなく医療の領域です。もう一つ。「本当の自分を見つける」「天職を発見する」と称する高額なセミナーや講座が、この悩みを標的にしています。伝統の言葉は、見つからないままでも生きていける語彙であって、見つけるための商品ではありません。

各思想からの答え

副産物型——探すのをやめると、後からついてくる

実存主義

サルトル(ジャン=ポール・サルトル。20世紀フランスの哲学者)は「実存は本質に先立つ」と言いました(『実存主義とは何か』1946)。人間にはあらかじめ決まった中身(本質)はなく、まず存在し、選び、行為した後で、その人が何者かが決まる、という意味です。今のあなたに置き直すと、「やりたいこと」という本質が先にあって、それを発見してから動くのではなく、動いて選んだことの積み重ねが、後から「やりたかったこと」になります。順番が逆なのです。

ユング(分析心理学)

ユングは、幸福を目標にすると逃げていくと考え、人生の課題を個性化(自分の認めたくない側面も含めて、自分の全体になっていく過程)に置きました。「やりたいこと」を計画的に設計するのは意識の仕事ですが、人を本当に動かすものは、意識が切り捨ててきた側(影)から来ることがあります。あなたが「くだらない」「役に立たない」と退けてきた関心の中に、手がかりが残っているかもしれません。

ポジティブ心理学2.0

フランクル(ヴィクトール・フランクル。強制収容所を生き延びた精神科医)の系譜に立つこの立場は、意味は発明するものではなく発見するものだ、と言います。自分の内側から作り出すのではなく、状況と他者の側から呼びかけられているものに気づく、という向きです。「何がやりたいか」ではなく「いま、誰から、何を求められているか」と、問いを裏返してみてください。

キュニコス派・ピュロン主義

ピュロン主義(判断を保留する懐疑主義)は、「これは本性上、善いことだ」という信念そのものが動揺の源だと見ます。セクストス・エンペイリコスは、判断を保留した者たちには、影が身体についてくるように、平静が偶然のようにしてついてきた、と書いています(『ピュロン主義哲学の概要』1.29)。平静は狙って得るものではなく、信念を手放した後からついてくるものだ、という逆説です。「やりたいことがあるべきだ」という信念を保留したとき、落ち着きが先に戻ってくることがあります。

贈与・応答型——務めは、自分の外から与えられる

ヒンドゥー(ギーター)

『バガヴァッド・ギーター』2.47に「汝の権利は行為にのみあり、その結果には決してない。行為の結果を動機とするな。かといって無為に執着するな」とあります。この伝統には、やりたいことを探すという発想がありません。あるのはスヴァダルマ(自分の立場に固有の務め)で、それは選ぶものではなく与えられるものです。いま目の前にある仕事を、好きかどうかを脇に置いて、務めとして全力で行う。「やりたいこと」はその後から来ても、来なくてもよい、という構えです。

仏教(浄土)

「やりたいことを見つけなければ」という焦りは、浄土教の語彙では自力のはからい(自分の力で何とかしようとする計らい)にあたります。人は凡夫(ぼんぶ。欲や迷いを断てない弱い存在)のままで救われている、とこの伝統は言います。妙好人(みょうこうにん。市井で念仏とともに生きた信者たち)は、特別な天職ではなく、日々の労働の中で念仏しました。見つからないまま今日の仕事をしている自分を、まず責めないでください。

キリスト教

プロテスタントの伝統では、日常の労働を召命(ベルーフ。神からの呼びかけ)と呼びます。やりたいことを自分で決めるのではなく、置かれた場所で呼ばれている、という受け身の形です。人間は自分の力だけでは本当の幸せに届かない、というこの伝統の人間観は、「自分で自分の人生の答えを出さなければ」という重荷を、いったん降ろさせてくれます。

認識転換型——「やりたいこと」という問いの形を変える

禅

禅には作務(さむ。掃除や畑仕事などの労働を修行とすること)があります。『無門関』第19則では、道とは何かと問う趙州に、南泉が、ふだんの心こそが道だと答えます(平常心是道)。目的を持たずに、皿を洗うことを皿を洗うこととして行う。目的を外したときに初めて動作そのものが立ち上がる、というのが只管(ただひたすら)の構えです。「将来のため」を外して、今日の一つの手仕事を、それ自体として終えてみてください。

道家(老荘)

道家は、作為(わざとらしい計らい)を手放すことを説きます。『荘子』には料理人が無心で牛を解体する話(庖丁解牛)があり、技の熟達が無心のたとえになっています。やりたいことを意識で探すのではなく、手が覚えるまで何かを繰り返した先に無心が来る、という順序です。無為とは何もしないことではなく、介入をやめることです。「これが天職か」と確かめる介入を、しばらくやめてみてください。

ストア派

ストア派には、与えられた配役(プロソーポン)を良く演じる、という実践があります。配役を選ぶことは自分次第ではなく、演じ方だけが自分次第です。エピクテトス(ローマ時代のストア派の哲学者。奴隷の身から自由になった)の分け方で言えば、「やりたいことが見つかるかどうか」は自分次第ではありません。今日の役割をどう果たすかだけが、自分次第です。

関係構成型——やりたいことは、関係の中で見つかる

儒教(原始)

『論語』雍也篇に「之を知る者は之を好む者に如かず、之を好む者は之を楽しむ者に如かず」とあります。知る、好む、楽しむには順番があり、楽しむは最後に来ます。やりたいこと(好む)は、知って、習って、繰り返した後に現れるもので、最初から分かっているものではありません。儒教が実践の第一に置くのは、学び、時に習う、という繰り返しのほうです。

アドラー(個人心理学)

アドラーは、私的な意味は意味ではなく、意味は伝え合いのなかでのみ成り立つ、と述べました(『人生の意味の心理学』1931)。自分一人の内側に閉じて「やりたいこと」を探しても、見つかりにくい構造になっています。この一か月で、誰かの役に立てたと感じた場面を一つ思い出してください。やりたいことは、貢献感のある場所の近くで見つかります。

アイヌ

アイヌの世界観では、暮らしの豊かさは、人とカムイ(熊・火・道具などに宿る神々)との贈り合いの循環の中にあります。役目は自分の内側で決めるものではなく、関係の中で割り当てられ、循環の中で果たすものです。これを引きつけると、「何がしたいか」より「誰と、何を回しているか」を見るほうが、自分の役目が見えやすくなります。

開花型——それでも「伸ばす」が効く人へ

アリストテレス

『ニコマコス倫理学』に「学んでから行うべきことを、われわれは行いながら学ぶ。家を建てることで建築家になるように、正しい行為を行うことで正しい人になるのだ」とあります(第2巻第1章)。やりたいことは、やる前には分かりません。徳は習慣の産物で、行いの繰り返しが性格を作ります。小さく始めて、続いたものが、後から「やりたかったこと」になります。

プラグマティズム

デューイは、幸せを完成した状態ではなく、経験が成長し続ける過程と見ました。「やりたいこと」を固定した目的として探すのではなく、問題にぶつかり、試し、結果で修正する探究の繰り返しの中で、方向が少しずつ定まっていきます。信念は実験として扱えばよく、三つ試して二つ外れても、それは失敗ではなく成長の材料です。

ポジティブ心理学1.0

この立場は、「やりたいこと」より先に強み(好奇心・親切・粘り強さなど、自分の性格の良い面)を特定し、それを使う場面を増やすことを勧めます。強みを使っているときに人は夢中になりやすいからです。ただし、こうした介入の効果は小さく、「幸せは自分次第」と言えるほどではないことも、後の研究で分かっています。入口の一つとして試す程度にしてください。

生命力・身体型——身体が空だと「やりたい」は湧かない

道教

道教は、幸せを心の問題ではなく、気(生命エネルギー)と身体の問題として扱います。気が尽きた状態で「やりたいことが分からない」と感じているなら、それは意欲の問題ではなく消耗の結果かもしれません。睡眠、食事、日光、歩くこと。この伝統は、健康・長寿といった具体的な幸せを最も正面から肯定します。身体が満ちてから心が後からついてくる、という順序を、精神論抜きで試してください。

修験道

修験道は、山に入って身体ごと生まれ変わる(擬死再生)行を中心に置きます。幸せは内面が穏やかになることというより、身体が変わり、その力で周りの人が無事に暮らせることです。頭で考えても何も変わらないとき、この伝統は身体を先に動かします。目的地を決めずに、身体が疲れるまで歩く。本来の行は先達(せんだつ。指導者)のもとで行うものですが、考えることをやめて歩くという構えだけは、今日から借りられます。

今日からできる三つのこと

試すなら、この中から一つ。伝統の実践(瞑想・行・祈り)の代わりではなく、考え方に触れるための小さな入口です。

  1. 今日の仕事か家事を一つ選び、「将来のため」「好きかどうか」を外して、その動作そのものとして終える(禅)
  2. この一か月で「誰かの役に立てた」と感じた場面を一つ書く。やりたいことは、その近くにある(アドラー(個人心理学))
  3. 「やりたいことがあるべきだ」という前提を、一週間だけ保留する。保留したとき、何が楽になるかを見る(キュニコス派・ピュロン主義)

こういうときは専門家へ

やりたいことが分からないだけでなく、以前は楽しめていたことが何も楽しめない、眠れない、食べられない、朝起きられない、消えてしまいたいと感じる。これらが二週間以上続くなら、構えの問題ではなく医療の対象です。精神保健福祉センター(各都道府県・政令市)、心療内科・精神科に相談してください。働くこと全般に悩む15〜49歳は、地域若者サポートステーション(サポステ)が無料で相談を受けています。家から出られない状態が続くなら、ひきこもり地域支援センター。消えてしまいたい気持ちが強いときは、いのちの電話、#いのちSOS、よりそいホットライン(0120-279-338)につないでください。

つらさが強いとき・「消えてしまいたい」と感じるときは、どうかひとりで抱えないでください。まもろうよ こころ(電話・SNSの相談窓口一覧)/よりそいホットライン 0120-279-338(24時間・通話無料)。
ひとことやりたいことは、見つけるものではなく、後から分かるものでいい。

この悩みを含む30の悩みは、PDFでも読めます:各思想からの悩み相談30(PDF)

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はぴテックの二枚の地図 発達段階×ウェルビーイング統合マップ → この幸福観マップの姉妹版。あちらは「縦に5段階を貫く翻訳辞書」で、同じ言葉が段階ごとに別の意味で聞こえる(875行×5段階)。