ポジティブ心理学2.0
苦しみを避けるのではなく意味へ変え、明るさと暗さの両方を抱えて生きるとき(悲劇的楽観)、幸せは浅い快から「成熟した幸せ」へ深まる
明るい気持ちを増やすだけの幸せは浅い。悲しみや不安や死への恐れといった暗い面を否定せず、それらと向き合い、そこに意味を見いだしたときに、深くて静かな「成熟した幸せ」が生まれる。苦しみは幸せの敵ではなく、幸せを深める素材。大切なのは幸せを追いかけることではなく、自分より大きなもの(家族、仕事、社会、信念)のために意味のある行動をとることで、幸せはその後からついてくる。フランクルの「悲劇的楽観」——避けられない苦しみのなかでも、それでも意味はある、と信じる態度——が中心にある。
ポジティブ心理学が「明るい面」ばかりを強調しすぎたという反省から、2010年代に起こった修正の動き。カナダの心理学者ポール・ウォンが「ポジティブ心理学2.0」と名づけ、イギリスのティム・ロマスらは「第二波」と呼んだ。苦しみや悲しみ、死や無意味さといった人生の暗い側面を避けるのではなく、それらに向き合い意味を見いだすことで、浅い快さとは違う「成熟した幸せ」に至ると考える。ナチスの強制収容所を生き延びた精神科医フランクルの「それでも人生にイエスと言う」という思想を、現代の心理学に持ち込んだものと言える。
どれくらいの人が信じているか、学んでいるか
研究運動なので、信者数というものは存在しません。影響圏の代理指標としては、International Network on Personal Meaning(ウォンが主宰する意味研究の国際ネットワーク)、意味研究・心的外傷後成長研究の論文数、学術誌Frontiers in Psychologyの実存的ポジティブ心理学特集があります(規模の指標は要確認)。
注意点として、この思想は人数の軸には置けません。1.0に比べ、実務・教育への実装は限定的です。
ポジティブ心理学2.0(ポジティブ心理学の内部から起こった修正運動。2011年にウォン=ポール・ウォン。カナダの心理学者が名づけました)の中心の言葉は、成熟した幸せ(mature happiness。苦を含んで成り立つ静かな幸せ)です。関連する言葉として、第二波ポジティブ心理学(second wave positive psychology。ロマス=ティム・ロマス。イギリスの心理学者とイヴツァンらが2016年に提唱)、実存的ポジティブ心理学(existential positive psychology。ウォンが2019〜2021年に定式化)、悲劇的楽観(tragic optimism。フランクル=ヴィクトール・フランクル。ナチスの強制収容所を生き延びた精神科医の言葉。避けられない苦のなかでも意味を見いだす態度)、弁証法(陰陽のように明と暗が互いを含み合うこと)、PURE(Purpose目的・Understanding理解・Responsible action責任ある行動・Enjoyment享受の頭文字)、苦を通しての開花(flourishing through suffering)、自己超越(self-transcendence)、心的外傷後成長(PTG。つらい体験のあとに成長が起こること)があります。
ポジティブ心理学2.0は、1.0が「ポジティブ」を過度に強調し、苦・喪失・死・不安といった人生の暗い側面を扱い損ねたと批判しました。そして幸福を、明と暗の弁証法として捉え直しました。ウォンは幸福の内容を「成熟した幸せ」に置きます。快の高揚ではなく、苦を受け入れたうえで残る静かな充足です。その中心に意味を据えます。意味は、自分より大きなものに仕える自己超越によって得られます。苦しみは避けるべき妨げではなく、意味を深める素材です。これはフランクルの態度価値(避けられない苦しみに対してどんな態度をとるかに価値があるという考え)に基づいています。
実存的ポジティブ心理学は、死・孤独・自由・無意味という実存的所与(じつぞんてきしょよ。人間なら誰もが直面する根本的な条件)に向き合うことを幸福の条件とし、「苦を通しての開花」を掲げます。したがって幸福は、目標として直接追うものではありません。意味への責任ある行動と受容の副産物として訪れます。構造的には、実存主義とニーチェの副産物型を心理学の言葉で再定式化したものです。47項目のなかでは、西洋近現代の哲学が仏教的な苦の理解に歩み寄った地点にあたります。一言でいえば、苦しみを避けるのではなく意味へ変え、明るさと暗さの両方を抱えて生きるとき、幸せは浅い快から「成熟した幸せ」へ深まる、という考えです。
幸せを妨げるもの
幸せを妨げるものとして、まず無意味(実存的空虚。生きる意味を感じられない空っぽの状態)があります。次に、苦の回避と否認です。ネガティブなものを認めない「ポジティブの専制」がこれにあたります。さらに、実存的な不安からの逃避、そして自己中心性(自己超越の欠如)が挙げられます。
注目すべき点は、1.0が妨げとした「ネガティブ感情」そのものは妨げではない、ということです。妨げとされるのは、それを否認することです。この思想で幸せの反対にあたる言葉は、実存的空虚と苦の否認、つまり「無意味」だと整理できます。
学習・思索瞑想・観想
実践の中心は、意味療法と意味中心の介入です。ウォンの統合的意味療法(integrative meaning therapy)がその代表です。次に、苦の受容と再解釈(意味づけ)があります。実存的所与(死・自由・孤独・無意味)への直面、悲劇的楽観の態度、自己超越的な奉仕、感謝と受容の統合、受容の技法としてのマインドフルネス(今この瞬間の経験に評価を加えずに注意を向けること)、心的外傷後成長を促す語り直し(つらい体験を新しい物語として語り直すこと)も含まれます。1.0のポジティブ介入も否定せず、暗い側面と統合して用います。
幸せはどこで実現するのでしょうか。個人の態度と、意味の構築のなかです。自己超越によって他者や世界へ開かれますが、単位はなお個人の実存です。
いつ実現するのでしょうか。現世です。過去の苦の意味づけ(心的外傷後成長)、現在の受容、未来の目的(purpose)を統合します。まとめると、幸福を直接追わず、苦を含む意味への責任ある行動の副産物として受け取る、意味・副産物モデルです。実践の形は学習・思索と瞑想・観想に分類されます。
「私」と世界の境目
ポジティブ心理学2.0の自己観は、分離型ですが、自己超越を含みます。単位は個人の実存です。しかし、自己超越によって自己より大きなものへ開かれることが、幸福の条件とされます。
「私」と世界の関係の型で言えば、分離型(自己超越を含む)です。関係的な要素は強いのですが、関係が自己の成立条件だとまでは言いません。個人が、自分より大きなもの(人・価値・使命)に向かって自分の枠を超えていく、という構図です。
境遇(運)と、努力か贈与か
境遇については「独立」です。問われるのは境遇そのものではなく、境遇の引き受け方です。これはフランクルの態度価値の考えです。ただし、苦難の存在を前提にする点で、境遇を無視するのではなく引き受ける、という姿勢です。
努力か贈与かについては、努力です。態度の選択と、意味への責任ある行動によって幸福に近づきます。贈与の次元は、「意味は発見されるものであって、発明されるものではない」(フランクル)という形で弱く残っています。
苦しみの位置
苦しみは、幸せに欠かせないものです。「苦を通しての開花」という言葉のとおり、苦は成熟した幸せの素材であり、意味を深める条件です。心的外傷後成長(PTG)の研究が、その実証的な根拠として参照されます。
目盛りの定義は 17のマップ の各「目盛りの定義」を参照。
ヘドニア/エウダイモニア、三分類の枠組み
現代の幸福研究では、幸せをヘドニア(快と満足としての幸福)とエウダイモニア(人間としての機能の発揮としての幸福)に分けることがあります。ポジティブ心理学2.0はエウダイモニア寄りですが、「機能の発揮」というより「意味と受容」です。ヘドニア(快)は浅い幸福として相対化されます。成熟した幸せは、どちらにも収まらない第三のものに近いです。
もう一つの枠組みとして、快楽説(快が善)/欲求充足説(望みが叶うことが善)/客観的リスト説(快や望みとは独立に、良いものの一覧がある)という三分類があります。2.0は、主観説(成熟した幸せの感覚)と客観的リスト(意味・目的・責任)の混合です。「苦を含む」点で、1.0のリストとは内容が異なります。
前野4因子との相性(やってみよう=◎ ありがとう=○ なんとかなる=○ ありのままに=◎)
前野隆司(幸福学の研究者)の4因子との相性は次のとおりです。
ありのままに(独立と自分らしさ)=◎(とてもよく合う)。苦の受容と明暗の統合が中心だからです。
やってみよう(自己実現と成長)=◎(とてもよく合う)。意味への責任ある行動が対応します。
なんとかなる(前向きと楽観)=○(合う)。悲劇的楽観がありますが、これは楽観というより希望に近いものです。
ありがとう(つながりと感謝)=○(合う)。自己超越と奉仕が対応します。
生きとし生けるものの幸せ(△ 人間が中心)
生きとし生けるものへの配慮は△(一部含まれる)です。自己超越は「自分より大きなもの」へ開かれますが、その内容は主に人間の共同体・価値・宇宙的な意味です。動植物の福祉は主題になりません。
研究でどこまで確かめられているか
研究の裏づけは「中」程度です。意味・心的外傷後成長・受容の研究が接点ですが、2.0固有の検証は少ないです。
①意味の研究として、MLQ(意味における人生質問紙。ステガーら2006年)による意味と幸福・健康の関連は頑健です。意味の存在は主観的ウェルビーイングとr≈.4〜.5(中程度の正の相関)を示します。②心的外傷後成長の研究は多いのですが、自己報告による成長が実際の変化を反映しているかは疑問視されています(フレイジャーら2009年)。③受容ベースの介入(ACT)の効果研究は多く、2.0の主張と整合しますが、2.0そのものの検証ではありません。④成熟した幸せ尺度(MHS-R)の妥当性研究は少数です。
注意点として、2.0固有の介入の無作為化比較試験(参加者をくじ引きで振り分けて比較する実験)は少ないです。研究の多くは、2.0が参照する周辺概念についてのものです。
どこから来て、どこへ流れたか
どこから来たか。フランクル(意味・態度価値・悲劇的楽観。1946年の『夜と霧』が前史)、実存主義(死・自由・孤独・無意味を人間の根本条件と見る哲学)、ニーチェ(苦と成長)、仏教(苦の受容、陰陽の弁証法)、心的外傷後成長の研究(テデスキとカルフーン。1996年と2004年)、ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー。受容を軸にした心理療法)から影響を受けています。意味の尺度MLQ(ステガーら、2006年)も背景にあります。
どこへ流れたか。意味中心の介入研究、ポジティブ心理学3.0(多元性の準備)、レジリエンス(逆境から立ち直る力)研究の再定式化へ流れました。
発達段階論から見ると
キーガン(成人の心の発達段階を研究した心理学者)の段階論では、段階3(周囲に合わせる自己)、段階4(自分の基準を持つ自己)、段階5(自分の枠組みを相対化できる自己)と進むと考えます。ポジティブ心理学2.0は、段階5(自己変容型)への移行を心理学の言葉で描いています。自己の限界(死・無意味)を認め、自己超越によって矛盾を保持する、という構造です。
ただし単位はなお個人であり、キーガンの段階5の「複数のシステムを行き来する」構造とは異なります。器(実践を運営する自己のあり方)は持ちません。以上はこのマップの解釈です。発達段階マップでは、器=なし、目標(目指す自己のあり方)=段階5と記されています。なお、高い段階ほど良いという読みはしません。
型は【見方を変える/副産物として待つ】です。苦を除去せず意味づける介入(意味中心療法、心的外傷後成長を促す語り直し)、実存的所与への直面、自己超越的な奉仕が対応します。幸福を目標から外す介入の、心理学版です。
注意点があります。「苦は成長をもたらす」を一般化すると、二次的な傷つき(成長できない自分を責めるなど)を生みます。心的外傷後成長は、一部の人に、一部の条件で起きるものです。
安全装置師の監督・段階的伝授教義上の警告(魔境・慢心・偽の悟り)
タグは「師・警」です。師=訓練された指導者のもとで行う、警=危険を警告する、という意味です。
具体的には、意味療法と臨床の枠組み(治療者)が安全装置です。また「苦は成長をもたらす」の一般化への警告(心的外傷後成長への批判)があります。実存的所与への直面は臨床的な支えを前提としており、自己啓発的な適用には留保があります。
誤解されやすい点
①2.0は「ネガティブを肯定する」立場ではなく、明暗の両方を統合する立場です。
②「苦は成長をもたらす」を一般化してはいけません。心的外傷後成長は一部の人に、一部の条件で起きます。
③意味療法(ロゴセラピー)と2.0は同一ではありません。
④2.0の弁証法は東洋思想(陰陽・仏教)を参照しますが、それらの思想の枠組みそのものではありません。
⑤本マップでは実存主義・ニーチェ・ユングと同じ「副産物型」に置きますが、心理学として介入可能性を残す点で、それらとは異なります。
学者の間で議論があること
①2.0は1.0の修正なのか、別の運動なのか。セリグマンの側は、PERMAにすでに含まれていると主張しています。
②「苦を通しての開花」の実証。心的外傷後成長は自己報告のバイアスが大きく、実際の成長なのか、知覚された成長にすぎないのかが争われています(フレイジャーら2009年)。
③フランクルの意味論と心理測定の接続は妥当か。
④弁証法(陰陽)の借用は、文化的に妥当か。
⑤ウォンの実存的ポジティブ心理学と、ロマスらの第二波との間の強調点の違い。前者は実存、後者は弁証法を重んじます。
こんなときに:つらい出来事を「ポジティブに考えよう」と言われて、かえって苦しいとき。苦しみと意味を切り離さずに扱いたい人に。
小さな入口:今の苦しさを消そうとせず、「この経験は自分に何を大切にさせているか」と一度だけ問う。幸せは苦を否定した先ではなく、苦を含んだ先にある。
この思想が出てくる悩み:「何のために生きているのか分からない。空しい」「つらい経験を「前向きに考えよう」と言われるほど苦しい」
判定が近い思想:ユング(分析心理学)・キュニコス派・ピュロン主義・ニーチェ → 思想の近さマップ
ポジティブ心理学2.0の特徴は、バランスがとれ、相互作用的で、意味を中心に据え、文化横断的な視点にある。
「2.0」の命名論文。明るさの増進だけでなく、負の側面との相互作用と意味を中心に据えて善き生を捉え直す宣言。
この分野は、開花の弁証法的な性質——すなわち、肯定的経験と否定的経験の複雑で動的な相互作用を含むこと——について、より繊細な理解を育てつつある。
「第二波」の定義。幸福は正から負を引いた残りではなく、明と暗が互いを含み合う弁証法として捉えられる。
人からすべてを奪うことはできても、ただ一つ奪えないものがある。与えられた状況のなかで自分の態度を選び、自分の道を選ぶという、人間の最後の自由である。
2.0が受け継ぐ「態度価値」の原点。境遇そのものではなく、境遇の引き受け方に幸福の条件を置く。
悲劇に直面してなお、苦しみを人間的な達成へ、罪を自己変革の機会へ、人生のはかなさを責任ある行動への促しへと変えうる可能性を見て楽観的であること。
2.0の中心語「悲劇的楽観」の原典。苦を避けるのではなく意味へ変える、「苦を通しての開花」の元になる定式。
成功は幸福と同じく追い求めることができない。それは後からついてくるものであり、自分より大きな大義に身を捧げたときの意図せぬ副作用としてしか訪れない。
幸福を直接追わず、自己超越的な献身の副産物として受け取る「副産物型」の定式。2.0の構造をフランクルが先取りしている。
主な典拠:Wong, P. T. P. (2011) Positive psychology 2.0: Towards a balanced interactive model of the good life, Canadian Psychology 52(2)/Ivtzan, I., Lomas, T., Hefferon, K. & Worth, P. (2016) Second Wave Positive Psychology: Embracing the Dark Side of Life, Routledge/Lomas, T. & Ivtzan, I. (2016) Second wave positive psychology: Exploring the positive–negative dialectics of wellbeing, Journal of Happiness Studies 17(4)/Wong, P. T. P. (2020) Existential positive psychology and integrative meaning therapy, International Review of Psychiatry 32(7-8)/Frankl, V. E. (1946) Man's Search for Meaning(前史)
参考文献:Tedeschi, R. G. & Calhoun, L. G. (2004) Posttraumatic growth: Conceptual foundations and empirical evidence, Psychological Inquiry 15(1)/Steger, M. F. et al. (2006) The Meaning in Life Questionnaire, Journal of Counseling Psychology 53(1)/Frazier, P. et al. (2009) Does self-reported posttraumatic growth reflect genuine positive change?, Psychological Science 20(7)/Kashdan, T. B. & Biswas-Diener, R. (2014) The Upside of Your Dark Side, Hudson Street Press/Wong, P. T. P. & Bowers, V. (2018) Mature happiness and global wellbeing in difficult times(Mature Happiness Scale)
この思想が答える悩み(各思想からの悩み相談30から)
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