世界の思想と宗教の幸福観マップ

各思想からの悩み相談30 ・ お金・将来 29/30

結婚すべきか、一人で生きるべきか

この悩みの形

この問いの重さは、「べき」という言葉にあります。結婚すれば幸せになれるのか、一人のほうが自由なのか、どちらを選んでも後悔しそうで、周りの声と自分の声の区別がつかなくなる。世の中には二つの標準的な答えがあります。「結婚して家族を持つのが人並みの幸せ」という古い標準と、「自立した個人として自己実現するのが幸せ」という新しい標準です。意外に思われるかもしれませんが、本マップではこの二つは同じ型です。どちらも幸せの主語を「個人」に置き、持っている力を伸ばして発揮する開花型の問いの立て方をしています。結婚は自己実現の手段か、障害か——そう問う限り、答えは出ません。

本マップの「私と世界の境目」という目盛りを使うと、別の見え方になります。47の伝統には、自己は関係の中で初めて成り立つと見る「関係型」と、自己を世界から区別された個体と見る「分離型」があり、どちらも正統な幸福観です。関係型の伝統は多いのですが、関係型は「結婚せよ」とは言っていません。関係は結婚だけではないからです。分離型の伝統も「一人で生きよ」とは言っていません。分離型の多くが、友愛を幸せの最大の条件にしています。つまり問いは「結婚か独身か」ではなく、「あなたはどんな関係の網の中で人になるのか」「その網を、結婚という一本で結ぶのか、別の形で結ぶのか」です。両方の語彙を、優劣をつけずに並べます。

先に言っておきたいこと

関係型の伝統を「だから結婚しろ」の圧力に、分離型の伝統を「一人のほうが高尚だ」の優越感に使わないでください。本マップはどちらにも優劣をつけません。また、この問いが、今のパートナーからの暴力やモラハラ、経済的な従属、親の強い圧力によって歪められているなら、それは「結婚すべきか」の問いではなく、安全と自由の問題です。伝統の語彙は、選べる状態にある人が選ぶためのものであって、選べない状態に耐えるためのものではありません。

各思想からの答え

関係構成型——人は関係の中で人になる。ただし結婚だけが関係ではない

儒教(原始)

儒教では、人は父子・君臣・夫婦・長幼・朋友という五つの関係(五倫)の中で役割を担い、その役割の中で徳を修めるところに充実があると考えます。夫婦は五つのうちの一つであって、全部ではありません。孟子が挙げた君子の三つの楽しみも、家族が無事であること、自分に恥じるところがないこと、人を教え育てることで、結婚そのものは含まれていません。ここから言えるのは、結婚は「修養の場」の一つであり、師友や仕事や親との関係もまた同じ場だということです。役割は檻ではなく、自分の輪郭を作る場所です。

アドラー(個人心理学)

アドラーは人生の課題を仕事・交友・愛の三つに分け、「私たちは友情のなかで、他者の目で見、他者の耳で聞き、他者の心で感じることを学ぶ」と書きました(『人生の意味の心理学』第12章)。幸福は、共同体の役に立っているという感覚(共同体感覚)に後からついてくるもので、愛の課題はその一部です。これを引きつけると、結婚するかどうかより、「他者の目で見る」訓練をどの関係で積むかが問いだのです。それは友情でも仕事でも積めます。結婚は、その訓練が最も逃げ場なく続く場だ、とは言えるかもしれません。

シク教

シク教の開祖グル・ナーナクは、出家して世を捨てる道を明確に退け、家庭を持ち、正直に働き、得たものを分かち合いながら神を想起する「家住者の道」を説きました。幸せは隠者にも、快楽を追う人にも与えられない、と言います。家庭生活を道そのものとした伝統です。今のあなたに置き直すと、「結婚して働いて分かち合う」という平凡な形を、修行として最も高く置いた伝統がある、ということです。もし結婚を選ぶなら、それは妥協ではなく、一つの道です。

Ubuntu

南部アフリカのウブントゥ(「人であること」)では、人は他の人々を通して初めて人になる、とされます。人格は生まれつきではなく、他者との関係の中で達成される地位です。妨げは孤立と、他者の人間性を認めないことです。問いは「誰と一緒に人になるか」になります。結婚は、その網を一本の太い糸で結ぶやり方です。別の結び方もあります。大事なのは、あなたを「人」として扱う関係が一本でもあるかどうかで、その糸の名前ではありません。

除去・回復型と分離型——一人で足りる、という正統な答え

エピクロス派

エピクロス『主要教説』27に「知恵が生涯全体の至福のために備えるもののうち、はるかに最大のものは友愛の獲得である」とあります。エピクロスの学園「庭園」は女性や奴隷も含む友愛の共同体で、幸せは苦痛と動揺のない安定した状態、必要なのは食事・休息・安全と友でした。あなたの場面で言えば、「一人で生きる」は「孤独に生きる」ではないのです。結婚という形を取らずに、友愛を軸に生活を設計した伝統が、二千年以上前からあります。一人を選ぶなら、友愛の時間を予定に入れてください。

仏教(上座部)

上座部仏教は、出家者が修行し、在家(家庭で暮らす信者)がそれを支える二層構造です。出家は独身の道、在家は五戒を守って家庭で功徳を積む道で、どちらも正統です。結婚しない生き方を、最も古くから制度として用意した伝統の一つです。「一人で生きる」ことには二千五百年の先例があり、それは人生の失敗でも例外でもない、ということです。ただし出家者には僧団という共同体がありました。一人の道にも、網は要ります。

キュニコス派・ピュロン主義

キュニコス派は、名誉・富・評判といった慣習(ノモス)が作った要求を「煙」と呼び、そこから自由であることを幸せとしました。ピュロン主義は「これが正しい」という信念そのものを保留すると、平静が影のように後からついてくると考えます。ここから言えるのは、「結婚すべき」も「自立した人は一人で生きるべき」も、どちらも慣習が作った「べき」だのです。その「べき」の出所を一つずつ問い、判断を保留してみてください。保留したあとに残っている望みが、あなたのものです。

キリスト教観想的伝統

砂漠に隠遁した修道者から始まるこの伝統は、独居や共住の修道生活を、神へ向かう変容の道として位置づけました。独身の道を聖なるものとした伝統です。ただし砂漠の師父アントニオスは、私たちの命も死も隣人とともにある、と言い、独居の修道者にも霊的な父や共同体が不可欠でした。今のあなたに置き直すと、一人で生きる人ほど「隣人」が要る、ということです。独りの道を最も徹底した人たちが、独りでは危ないと言い続けました。

贈与・応答型——結婚も独身も「与えられた道」として

キリスト教

キリスト教では、幸せは自分の力で獲得する完成ではなく、神との交わりの中で恩寵(無償の贈り物)として与えられるものです。プロテスタントは日常の労働を召命(神からの呼びかけ)として捉え、教会の伝統は結婚も独身も、それぞれを神から与えられた道として位置づけてきました。「どちらが正しいか」ではなく「自分に与えられている道はどちらか」と問いを変えることです。獲得ではなく、受け取る。問いの向きが変わると、焦りの質が変わります。

仏教(浄土)

浄土教の幸せは、自力で正しい形を達成することではなく、凡夫(欲や怒りを断てない普通の人)のままで阿弥陀仏の本願に救われていると知る安心です。親鸞は妻帯し、出家でも在家でもない生き方を貫き、浄土真宗の僧侶は以来、結婚を認めています。あなたの場面で言えば、結婚してもしなくても、あなたは凡夫のままであり、凡夫のままで救いの対象だのです。「正しい形」を選んでから救われるのではありません。どの形でも、まず安心が先です。

ユダヤ教

ユダヤ教の幸せ(シャローム。全体性・充足)は、神との契約の中で、家庭・食卓・土地・生業という具体的な場に現れます。現世の祝福には長寿と子孫が含まれ、週に一度の安息日は家族と共同体が止まる日です。結婚を感情ではなく「契約」として見る語彙を持つ伝統です。結婚を「気持ちが続くか」で考えるのではなく、「約束の網を一緒に守れるか」で考えることです。感情は変わりますが、約束は守る対象です。

認識転換型——「べき」を外して、自分次第のものを見る

ストア派

ストア派は、自分次第のもの(判断と行動)と、そうでないもの(相手の気持ち、出会い、時機)を分けます。そして、与えられた配役(プロソーポン)を良く演じることを実践としました。結婚するかどうかは、相手がいるという自分次第でない条件を含みます。ここから言えるのは、「選ぶ」部分と「与えられる」部分を分け、どちらの配役が来ても良く演じる、と決めておくことです。選べない部分で悩む時間を、選べる部分に回してください。

道家(老荘)

道家は、作為(わざとらしい計らい)を手放し、ものごとがひとりでにそうなる働きに従うことを説きます。「結婚しなければ」と追うほど逃げる、という構造を道家は最初から知っています。今のあなたに置き直すと、婚活や「決めなければ」という力みに気づいたら、いったん手を止めてみることです。無為は何もしないことではなく、介入をやめることです。止めたときに、勝手に進む部分が見えてきます。

ヒンドゥー(ヴェーダーンタ)

『ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド』2.4.5に「夫が愛しいのは夫のためではなく、アートマンのためである。……一切が愛しいのは一切のためではなく、アートマンのためなのだ」とあります。家を離れて遊行に出ようとする夫ヤージュニャヴァルキヤと妻マイトレーイーの対話です。ヒンドゥーの人生観では、学生期・家住期・林住期・遊行期という四つの段階があり、結婚は人生の一段階であって永久の身分ではありません。「一生の問い」を「この十年の問い」に縮めてみることです。段階は変わります。

副産物型——どちらを選んでも不安は残る

実存主義

サルトルは「人間は自由であるよう宣告されている」と言いました(『実存主義とは何か』)。「みんなが結婚するから」「自立した人は結婚しないものだから」と、選択を世間や属性に預けることを、実存主義は自己欺瞞(自由から逃げるために自分に嘘をつくこと)と呼びます。ボーヴォワールは、自由は他者の自由によって媒介されると強調しました。あなたの場面で言えば、どちらを選んでも不安は消えない、不安は自由の裏返しだ、と知ったうえで、自分の名前で選ぶことです。選んだあとに、意味がついてきます。

制度・集計型——「選べる」かどうかは制度の問題

ケイパビリティ・アプローチ

この伝統が問うのは「結婚するかしないかを、実際に選べる自由があるか」です。住居や経済的安定やケアが結婚に紐づいている社会では、「選んだ」ように見えて選んでいないことがあります。「どうせ無理だから」と望みの水準を下げてしまう適応的選好も、ここでは剥奪の徴候です。ヌスバウムの中心的ケイパビリティには「連帯」、つまり他者と共に、他者に向かって生きられることが含まれます。あなたの「べき」の中に、制度が押しつけている部分がないかを見ることです。それは個人の悩みではなく、社会の設計の問題です。

今日からできる三つのこと

試すなら、この中から一つ。伝統の実践(瞑想・行・祈り)の代わりではなく、考え方に触れるための小さな入口です。

  1. 「結婚すべき理由」と「一人でいるべき理由」を書き出し、それぞれの項目の出所に「慣習」「不安」「自分」のどれかを書き添える。「自分」が付いた項目だけを残す(キュニコス派・ピュロン主義)
  2. 今ある関係の網を一本太くする。友人と食事をする、親に電話する。結婚の有無に関係なく、網は今日から編める(Ubuntu)
  3. 問いを「一生」から「この十年」に縮める。十年後に見直してよい、と決めてから考える(ヒンドゥー(ヴェーダーンタ))

こういうときは専門家へ

今のパートナーや交際相手から、殴られる、怒鳴られる、お金や行動を管理される、別れを切り出すと脅される——これは構えの問題ではなく、DVの可能性があります。DV相談ナビ(#8008)、各地の配偶者暴力相談支援センター、警察の相談窓口(#9110)に連絡してください。離婚や婚約の法律問題は法テラスが無料で案内します。経済的な理由で結婚や別れを「選べない」ときは、市区町村の生活困窮者自立支援の窓口に。性的指向や性自認に関わる悩みは、よりそいホットライン(0120-279-338)にセクシュアルマイノリティ専門のラインがあります。結婚相談所などの高額な契約で困ったら消費者ホットライン(188)へ。考えても考えても決められず、眠れない、食べられない状態が続くなら、精神保健福祉センターや心療内科に相談してください。

つらさが強いとき・「消えてしまいたい」と感じるときは、どうかひとりで抱えないでください。まもろうよ こころ(電話・SNSの相談窓口一覧)/よりそいホットライン 0120-279-338(24時間・通話無料)。
ひとことどちらを選んでも、人は関係の中で人になります。形は一つではありません。

この悩みを含む30の悩みは、PDFでも読めます:各思想からの悩み相談30(PDF)

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はぴテックの二枚の地図 発達段階×ウェルビーイング統合マップ → この幸福観マップの姉妹版。あちらは「縦に5段階を貫く翻訳辞書」で、同じ言葉が段階ごとに別の意味で聞こえる(875行×5段階)。