世界の思想と宗教の幸福観マップ

関係的・土着 | 土着的世界観(口承)+学術的道徳理論

Ubuntu

Ubuntu(南部アフリカ) | 成立:口承(学術的定式化は1950年〜) | 地域:アフリカ | 規模:×(道徳的語彙。人数で測れない)
1ひとことで言うと

人は他者を通してはじめて人になる(南部アフリカの人間観)——調和のうちに人間性を実現すること

「人は他の人々を通してはじめて人になる」という南部アフリカの考え。幸せは個人の心の中ではなく、他者との関係の中で「人である」という状態が実現していくこと。孤立や分断が最大の妨げ。南アフリカの真実和解委員会が、加害者を赦し関係を回復する枠組みとしてこれを使ったことで世界に知られた。

2そもそもどんな思想?

南部アフリカ(南アフリカ・ジンバブエなど)のバントゥ系の言語に共通する「人間性」を意味する言葉に基づく倫理観。もとは口承の日常語だったが、1990年代のアパルトヘイト撤廃後に国家的な理念となり、真実和解委員会の思想的基盤とされた。現在は哲学の研究対象であると同時に、政治的な利用や商業的な流用への批判も多い。

どれくらいの人が信じているか、学んでいるか

人数では表現できません。ウブントゥは「信者」を持つ宗教ではなく、南部アフリカのバントゥ諸語圏に広がる道徳的な語彙であり、同時に現在進行形の哲学論争だからです。関連する地域の人口は、南アフリカの約6,000万人を中心とする南部アフリカ諸国です。

注意点があります。ウブントゥを人口で測ろうとすること自体が、これを「アフリカ人が信じているもの」という本質主義的な枠に押し込むことになります。学術的な道徳理論としての側面、国家の言説としての側面、商業的な流用の側面を分けて記述すべきだとされます。

3この思想が言う「幸せ」

ウブントゥ(ubuntu。南部アフリカのズールー語やコサ語の言葉で、「人であること・人間性」という意味)は、南部アフリカのバントゥ諸語圏(南アフリカ、ジンバブエ、ボツワナ、レソトなど、バントゥ系の言語を話す地域)に共通する道徳の言葉です。語のつくりは、抽象名詞をつくる接頭辞「ubu-」に「人」を意味する「-ntu」がついたものです。同じ系統の言葉に、ショナ語(ジンバブエの言語)のフヌ(hunhu)、セソト語・セツワナ語(レソトやボツワナの言語)のボト(botho)があります。ズールー語で「あの人はウブントゥを持っている」と言えば、気前がよく、もてなしがよく、友好的で思いやりがある、という褒め言葉になります。よく引かれる定型句は、英語で「人は他の人々を通してはじめて人になる(A person is a person through other persons)」というものです。ただし、広く流通しているズールー語の原文の綴りは、この調査では一次資料で確認できていません。

この考え方で言う善い生とは、個人の心の状態ではありません。他の人々との関係の中で「人である」という地位が実現されつつある状態のことです。メッツ(Thaddeus Metz。南アフリカで研究する哲学者)は2007年の論文で、これを分析哲学の言葉で「調和(harmony)を促進すること」として定式化しました。ここでの調和は二つの要素からなります。一つは共通のアイデンティティ(互いを認め合い、目的を共有し、協働すること)、もう一つは善意(他者の幸いを願い、他者のために行為すること)です。したがって善く生きるとは、分断と悪意を減らし、共有された自己理解と善意の関係の網を厚くしていくことになります。

なぜそう考えるのでしょうか。ウブントゥでは、幸せは達成された状態というより、共同体の中で人格が育っていく過程そのものだからです。孤立した個人の満足は、そもそも「善さ」の候補にならないとされます。ただし注意が必要です。メッツによる定式化は分析哲学の枠組みでの再構成であり、口承として日常の中で生きてきたウブントゥと同じものではありません。ウブントゥの言説は、学術的な道徳理論、法や政治の言説、そして商業的な流用という三つの層に分かれているとされます。

幸せを妨げるもの

幸せを妨げるものは、孤立、共同体からの切断、分断(discord。不和)と悪意、そして他者の人間性を認めないことです。制度のレベルでは、アパルトヘイト(1948年から1994年まで南アフリカで行われた人種隔離政策)による人間関係の網の破壊、強制移住、家族の分断がこれにあたります。

もう一つ、内部からの批判もあります。マトリノとクウィンディングウィ(Bernard Matolino と Wenceslaus Kwindingwi。いずれもアフリカ在住・出身の哲学者)は2013年の論文で、ウブントゥを国家のイデオロギーとして担ぎ出すこと自体が人々の生を妨げる、と論じました。実在しない共同体を前提にしてしまうから、というのがその理由です。

4幸せに近づく道

共同体・対話儀礼・祭祀

何をするのか。日常のレベルでは、歓待(客をもてなすこと)、気前のよさ、丁寧な言葉遣いです。共同体のレベルでは、長老による調停、対話による紛争解決、共同労働と分配です。メッツは、シスル(Walter Sisulu。南アフリカの反アパルトヘイト運動の指導者)に帰されるという「2頭の牛を持っていたら」という寓話を引いています。権利ではなく必要に応じて分ける、という考え方を示す話です。

制度化された例としては、南アフリカ真実和解委員会(TRC。アパルトヘイト後の南アフリカで、加害の証言と赦しによって和解を図った機関)があります。ツツ(Desmond Tutu。南アフリカの大主教で、委員会の議長を務めた人物)は1999年の著書『赦しなくして未来なし(No Future Without Forgiveness)』で、赦しと証言の枠組みを述べています。

幸せはどこで実現するのか。個人の内面ではなく、関係の中です。ただし、それが「共同体」に還元されるのかどうかは、この思想の内部で最大の論争点になっています。

いつ実現するのか。祖先を含む共同体の中で、です。メンキティ(Ifeanyi Menkiti。ナイジェリア出身の哲学者)の型の議論では、死者も共同体の成員として残り、人格は死後にむしろ完成に向かうとされます。ただしウブントゥの文献の主な戦場は、今生きている世代どうしの関係倫理です。北米先住民の文脈で語られる「七世代」型の未来志向の定式は、ウブントゥに固有のものではありません。

5この思想の「幸せ」のかたち——8つの目盛り
幸せの動き
関係のなかで生まれる(関係構成型)
幸せの主語
家族・共同体という関係の場
「私」と世界の境目
関係型——「私」は関係のなかで成り立つと考える
境遇(運)との関係
境遇に左右される(だから制度や関係で支える)
自分で作るか、与えられるか
贈り合い(互酬)のなかで成り立つ
苦しみの位置
関係が崩れたしるし(修復の儀礼や対話で扱う)
いつ実現するか
世代・祖先
幸せの反対
不調和・分断(孤立、分断、他者の人間性の否認)

「私」と世界の境目

「私」は、関係によって構成される人格として考えられます。この思想は関係型(自己が他者との関係の中で成り立つとみる型)に分類されます。「人は他者を通して人になる」という言葉のとおり、人格(パーソンフッド。「人である」という道徳的な地位)は生まれつき与えられる資格ではなく、達成されるものです。だから人格には程度があり、「あの人は人ではない」という言い方が成り立ちます。

ここで大切なのは、主体と客体が溶け合うという話ではないことです。「私」という主体が成り立つ条件そのものが、関係の中にある、という主張です。

境遇(運)と、努力か贈与か

境遇と幸せの関係は「非独立」です。つまり、置かれた境遇から幸せを切り離すことはできません。アパルトヘイトのような歴史的条件が人間関係の網を破壊すると、それが直接に幸せを損なうと考えるからです。

努力か贈与かという軸では「互酬(ごしゅう。互いに与え合うこと)」にあたります。共同体からの贈与と、それに対する個人の応答が、互いに向き合う関係として考えられています。一方的に与えられるのでも、自力だけで獲得するのでもありません。

苦しみの位置

苦しみは、関係が破壊された結果として位置づけられます。真実和解委員会における赦しの実践は、苦しみの記憶を関係の回復へ転じる試みとして制度化されたものでした。つまり苦しみは、消し去る対象というより、証言と赦しを通じて関係を結び直すきっかけとして扱われます。

目盛りの定義は 17のマップ の各「目盛りの定義」を参照。

6現代の幸福研究から見ると

ヘドニア/エウダイモニア、三分類の枠組み

ヘドニア(快と満足としての幸福)かエウダイモニア(人間としての機能の発揮としての幸福)か、という軸で見ると、形式的にはエウダイモニア寄りです。状態ではなく、卓越や実現を問題にするからです。ただしウブントゥの「善さ」は、個人の魂の卓越ではなく関係の質に置かれているため、アリストテレス(古代ギリシャの哲学者)のエウダイモニアとも一致しません。

より根本的な問題があります。ヘドニアとエウダイモニアの二分法は、「幸福の担い手は個人である」という前提に立っています。ウブントゥはまさにその前提を争っているのです。ですから、この軸自体が適用できない、と書くのが誠実だとされます。

快楽説・欲求充足説・客観的リスト説という三分類についても同じです。三分類はいずれも「ある人にとっての善さ(prudential value)」を問うものです。ウブントゥは「人であること」の条件についての議論であり、問いの単位が違います。したがって三分類の枠外です。

前野4因子との相性(やってみよう=△ ありがとう=◎ なんとかなる=△ ありのままに=△)

前野隆司(幸福学の研究者)の4因子との相性です。「ありがとう」因子(つながりと感謝)は◎(非常に相性がよい)です。関係性そのものが幸せの定義だからです。「ありのままに」因子(独立と自分らしさ)は△(部分的に重なる)、「やってみよう」因子(自己実現と成長)も△、「なんとかなる」因子(前向きと楽観)も△です。

ただし大きな留保があります。4因子は個人を幸せの担い手とする枠組みです。ウブントゥはその前提を争っているので、対応づけ自体に留保が必要です。

生きとし生けるものの幸せ(△ 人間が中心)

人間以外の存在への配慮は△〜○(限定的から中程度)です。ウブントゥは人格についての議論であり、第一義的には人間どうしの関係を扱います。ただし、ムローヴ(Munyaradzi Felix Murove。ジンバブエ出身の研究者)のウカマ論(ukama。ショナ語で関係性・親族性を意味し、これを生態系にまで広げる議論)はウブントゥを生態系へ拡張しています。メッツも、関係的な規範を動物へ拡張する議論を展開しています。

研究でどこまで確かめられているか

研究でどこまで確かめられているか。幸福研究としての実証的な証拠は、ほぼ空白です。しかも、ウブントゥを尺度化(質問項目にして測ること)する試み自体が批判の対象になっています。「本質主義的な質問項目を作ってしまう」というのがその批判です。

一方で、関連する研究は存在します。真実和解委員会についての研究(移行期正義や修復的司法の分野)、南アフリカの憲法解釈論などです。関係的ウェルビーイング(relational wellbeing。幸せを個人ではなく関係の中に見る研究の流れ)との親和性も指摘されています。ただしこれらは、ウブントゥそのものの効果を測る研究ではありません。

まとめると、研究の対象は思想そのものというより、それが制度化された真実和解委員会や法解釈であり、世俗化された技法としてのウブントゥは(尺度化への批判もあって)ほとんど研究されていません。

7系譜と発達段階

どこから来て、どこへ流れたか

どこから来たか。南部アフリカのバントゥ系の口承倫理が基層です。書かれた典拠はすべて20世紀後半以降の二次的な定式化である、という点が重要です。ツツの1999年の著書、ラモセ(Mogobe Ramose)の1999年の著書『ウブントゥを通したアフリカ哲学』などがあります。1993年の南アフリカ暫定憲法の後文にある「ubuntu」の文言や、1995年のマクワニャネ事件(S v Makwanyane。死刑の合憲性を争った裁判)における裁判官のウブントゥ論も広く参照されますが、この調査では一次資料の確認に至っていません。

どこへ流れたか。南アフリカ真実和解委員会、憲法解釈、アフリカ哲学における共同体主義論争(メッツ対マトリノ)、経営研修(商業的流用)、そして関係的ウェルビーイング研究へと流れています。

発達段階論から見ると

キーガン(Robert Kegan。成人の心の発達段階を研究した心理学者)の段階論から見るとどうでしょうか。「人は他者を通して人になる」という言葉は、一見すると段階3(周囲に合わせる自己。環境順応型)の記述に見えます。しかしこれは発達のある段階を述べたものではなく、人格が成り立つ条件についての主張です。段階論の前提、すなわち「個人が発達の単位である」という考え方そのものを争っています。

そのため、「器(実践を運営する自己のあり方)」と「目標(目指す自己のあり方)」のどちらについても、段階は指定されていません(マップでは「−」)。段階論を当てはめると、本質主義的な誤読を招きやすいとされます。なお、高い段階ほど良いという読み方はしません。

8現代の言葉に翻訳すると

現代の言葉に翻訳すると、型は【関係を結び直す】です。「人は他者を通して人になる」を設計原理とし、対話・調停・赦しのプロセスを制度化します。真実和解委員会がその原型です。修復的司法(加害者と被害者の関係修復を重んじる司法のあり方)や、関係修復型の紛争解決に直接つながります。

ただし併記すべきことがあります。南アフリカがウブントゥを国家の倫理として掲げながら、同時に外国人排斥が起きたという矛盾です。また、本質主義的な「アフリカ的な和の精神」に還元してはいけません。

9気をつけたいこと

安全装置共同体の相互監視戒律・倫理規範

この思想が実践の危険にどう備えていたか。タグは「共・戒」です。「共」は共同体による支え、「戒」は生活の規律や合意された決まりを意味します。

具体的には、共同体の合意形成(インダバ。話し合いによる合議)、長老と儀礼、互いに与え合う義務(互酬の義務)があります。個人が道を外れたときは、共同体との関係修復(和解の儀礼)で扱います。

一方で、ウブントゥの名による同調圧力や個人の抑圧は、当事者の研究者自身が指摘している危険です。

誤解されやすい点

①「思いやり」「共同体主義」「和の精神」と訳すと、ウブントゥが道徳的な地位(人格)についての主張であることが消えてしまいます。

②「I am because we are(私たちがあるから私がある)」という言葉は、ムビティ(John Mbiti。ケニアの神学者)に由来する定式であって、ウブントゥの定訳ではありません。混同が非常に多い点です。

③ウブントゥは南部アフリカのバントゥ諸語圏の言葉であり、「アフリカの思想思想」一般を代表するものではありません。

④Linux(コンピュータの基本ソフト)の配布版の名前として知られていることが、かえって学術的な理解を妨げています。

⑤記述の作法についてです。「〜の人々は本来〜である」「〜は自然と共生してきた」「近代人が失ったものが〜にはある」という三つの文型は、称賛の形をとった本質主義です。当事者の研究者が最も強く批判している型です。主語を「Aという研究者が、Bという集団のCという実践について、Dと論じている」に置き換えることが勧められます。

学者の間で議論があること

①マトリノとクウィンディングウィの2013年の論文「ウブントゥの終わり(The end of ubuntu)」は、ウブントゥはアパルトヘイト後のエリートが上から作った政治的構築物であり、道徳的にも実践的にも終わっている、という強い懐疑論です。

②メッツは2014年の論文「ウブントゥはまだ始まったばかり(Just the beginning for ubuntu)」でこれに反論しました。

③ロマン化と本質主義の問題。「アフリカ人は本来ウブントゥ的だ」という主張は、経験的に誤りであり、政治的にも危険だとされます。

④ウブントゥと個人の権利の緊張。外国人排斥やジェンダー規範の正当化に使われうる、という指摘です。

⑤メッツの分析的な再構成は「西洋の道具でアフリカ思想を切っている」という方法論上の批判があります。

⑥経営コンサルティング業界による商品化。ムビギとマリー(Mbigi & Maree)の1995年の著作の系譜がその例です。

10現代の私たちへのヒント

こんなときに:人とのつながりが薄れ、自分が誰なのか分からなくなるとき。「人は他者を通して人になる」という考えに触れたい人に。

小さな入口:今日会う人の一人を「自分を人にしてくれている相手」として扱ってみる。対話・和解・赦しのどれかを一つ試す。

この思想が出てくる悩み:「人とのつながりが薄く、自分が誰なのか分からない」「誰かを傷つけたこと、間違ったことが心に残り続ける」

判定が近い思想:アフリカ哲学の共同体主義・アイヌ・北米先住民(Hózhó/Mino-Bimaadiziwin) → 思想の近さマップ

11名言——この思想を代表する言葉
人は、人々を通して人になる。
Umuntu ngumuntu ngabantu.
isiZulu/isiXhosaの定型句。南アフリカ憲法裁判所 S v Makwanyane (1995) para. 308(Mokgoro裁判官)が引用

ubuntuの最も広く知られた定式。人格は生得ではなく他者との関係のなかで実現されるという主張を一文で言う

私の人間性は、あなたの人間性のなかに、解きほぐせないほど結び込まれている。
My humanity is caught up, is inextricably bound up, in yours.
Tutu, D., No Future Without Forgiveness (1999) 第2章

真実和解委員会の議長がubuntuを説明した一文。赦しが個人の美徳ではなく関係の回復である理由を示す

理解は必要だが復讐は要らない。償いは必要だが報復は要らない。ubuntuは必要だが誰かを犠牲にすることは要らない。
a need for understanding but not for vengeance, a need for reparation but not for retaliation, a need for ubuntu but not for victimisation
南アフリカ暫定憲法(1993年、Act 200 of 1993)後文(Postamble)「国民の統一と和解」

ubuntuが法文に初めて書き込まれた箇所。分断と報復を「妨げ」とし、関係の修復を国家の課題に据えた

それは、人が人であるという地位を認める。共同体の成員から無条件の敬意・尊厳・価値・受容を受ける資格をもつ、という地位である。
It recognises a person's status as a human being, entitled to unconditional respect, dignity, value and acceptance from the members of the community.
S v Makwanyane and Another 1995 (3) SA 391 (CC), para. 224(Langa裁判官)

死刑廃止判決でのubuntu論。人格が承認と義務の相互性のなかで成立するという裁判官による定式化

人であるとは、他者の人間性を認めることによって自らの人間性を確かめ、そのうえで他者と人間的な関係を築くことである。
to be a human be-ing is to affirm one's humanity by recognizing the humanity of others and, on that basis, establish humane relations with them
Ramose, M. B., African Philosophy through Ubuntu (1999) 第4章「The ethics of ubuntu」

当事者哲学者による定式。ubuntuを「思いやり」ではなく人間性の相互承認の倫理として述べる一文

12もっと知りたい人へ

主な典拠:口承思想が基層。書かれた典拠はすべて20世紀後半以降の二次的定式化である点が重要。Tutu, D. (1999) No Future Without Forgiveness/Ramose, M. B. (1999) African Philosophy Through Ubuntu/Shutte, A. (2001) Ubuntu: An Ethic for the New South Africa/Bujo, B. (2001) Foundations of an African Ethic/※南アフリカ1993年暫定憲法後文の"ubuntu"の文言、S v Makwanyane (1995) の裁判官によるubuntu論は広く参照されるが本調査では一次資料確認に至らず【要確認】

参考文献:Metz, T. (2007) Toward an African Moral Theory, Journal of Political Philosophy 15(3), DOI 10.1111/j.1467-9760.2007.00280.x/Matolino, B. & Kwindingwi, W. (2013) The end of ubuntu, SAJP 32(2), DOI 10.1080/02580136.2013.817637(両著者ともアフリカ在住・出身の哲学者)/Metz, T. (2014) Just the beginning for ubuntu, SAJP 33(1)/Ramose, M. B. (1999)/Tutu, D. (1999)

13用語解説
ウブントゥ 南部アフリカのバントゥ系の言葉で「人であること・人間性」
人格(パーソンフッド) 「人である」という道徳的な地位。生まれつきではなく達成されるもの
真実和解委員会(TRC) アパルトヘイト後の南アフリカで、加害の証言と赦しによって和解を図った機関
アパルトヘイト 南アフリカの人種隔離政策(1948-1994)
調和(メッツ) 共通のアイデンティティと善意の二つからなる関係の質
バントゥ諸語 南部・中部アフリカに広がる言語のまとまり。ズールー語、コサ語、ショナ語などを含む
フヌ/ボト ショナ語、セソト語・セツワナ語でウブントゥにあたる言葉
メッツ 南アフリカで研究する哲学者。ウブントゥを「調和の促進」として分析的に定式化した
マトリノとクウィンディングウィ アフリカ在住・出身の哲学者。「ウブントゥの終わり」(2013年)で強い懐疑論を提出した
ツツ 南アフリカの大主教。真実和解委員会の議長。『赦しなくして未来なし』(1999年)の著者
シスル 南アフリカの反アパルトヘイト運動の指導者。「2頭の牛」の寓話が帰される
メンキティ ナイジェリア出身の哲学者。共同体が個人に先立つと論じた
ムビティ ケニアの神学者。「I am because we are」の定式で知られるが、ウブントゥの定訳ではない
ムローヴ ジンバブエ出身の研究者。ウカマ論でウブントゥを生態系へ広げた
ウカマ ショナ語で関係性・親族性。生態系にまで広がる
ラモセ 『ウブントゥを通したアフリカ哲学』(1999年)の著者
インダバ 共同体の話し合いによる合意形成
互酬 互いに与え合い、返し合うこと
修復的司法 罰ではなく、加害者と被害者の関係修復を重んじる司法のあり方
移行期正義 独裁や紛争のあとの社会が過去の人権侵害にどう向き合うかを扱う分野
関係的ウェルビーイング 幸せを個人の内面ではなく関係の中に見る研究の流れ
本質主義 ある集団には生まれつき固有の性質があると決めつける考え方
分析哲学 概念を細かく分けて論理的に定式化する哲学の方法
マクワニャネ事件 1995年の南アフリカの裁判。裁判官のウブントゥ論が参照される(一次資料は要確認)
ヘドニア/エウダイモニア 快と満足としての幸福/人間としての機能の発揮としての幸福
キーガンの発達段階 成人の心の発達を段階3(周囲に合わせる自己)、段階4(自分の基準を持つ自己)、段階5(自分の枠組みを相対化できる自己)などで捉える理論

この思想が答える悩み(各思想からの悩み相談30から)

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