アフリカ哲学の共同体主義
共同体の中で徳ある人格を達成し(人格は生まれつきではなく共同体との関係のなかで獲得される)、関係の網を正しく保つこと
アフリカの哲学者たちによる現在進行形の議論。人格は生まれつき与えられるものではなく、共同体の中で徳ある振る舞いを重ねることで達成されるもの、と考える。良い生とは、平和・正義・尊厳といった、誰にとっても不可欠なものが共同体に行き渡り、自分がその実現に貢献している状態。
ガーナ・ナイジェリア・ケニア・ジンバブエなどの大学で1970年代以降に展開されている、アフリカの伝統的な人格観・共同体観をめぐる哲学的な議論。「共同体が個人に先立つ」という立場と「個人の自律も認めるべきだ」という立場の論争が続く。「思想の知恵」ではなく、現在進行形の学術領域として扱う必要がある。
どれくらいの人が信じているか、学んでいるか
人数では表現できません。現在進行形の学術的な研究領域であり、ガーナ・ナイジェリア・ケニア・ジンバブエ・南アフリカなどの大学で論争が続いています。
注意点があります。「アフリカ哲学」を単数形で語ることは、数千の異なる民族・言語・思想思想を一括する抽象化になります。どの研究者の、どの言語圏の議論なのかを必ず特定すべきです。
アフリカ哲学の共同体主義は、ガーナ、ナイジェリア、ケニア、ジンバブエ、南アフリカなどの大学で、1970年代以降に展開されてきた哲学的な議論です。大切なのは、これが「思想の知恵」ではなく、現在も活発に論争が続く生きた研究領域だという点です。担い手は、西アフリカではアカン(Akan。ガーナの民族集団)の人格論を研究するジェチェ(Kwame Gyekye。ガーナの哲学者)やウィレドゥ(Kwasi Wiredu。ガーナの哲学者)、東アフリカではムビティ(John Mbiti。ケニアの神学者)、南部アフリカではメッツ、ラモセ、マトリノ、ジンバブエではウカマ論のムローヴ(Munyaradzi Felix Murove)などです。
中心となる言葉を二つ挙げます。一つはウカマ(ukama。ショナ語で関係性・つながり・親族関係)です。ムローヴはこれを人間関係から生態系へと拡張しました。もう一つはアカンの人格論です。ジェチェがスタンフォード哲学百科事典(SEP。オンラインの哲学事典)の「アフリカ倫理」の項で述べた核心は次の四つです。①アフリカ倫理では性格(character)が基本であり、決定的な要素である。②人格は生まれつきではなく、倫理的な振る舞いを通じて獲得される。アカンでは「彼は人ではない」と言うことで、生物学的な人間と道徳的な人格を区別する。③アフリカの道徳は啓示宗教(神の啓示に基づく宗教)ではなく、人間の福祉に基礎を置く。④共通善は個々人の好みの集計ではなく、平和・正義・尊厳といった万人に不可欠な基礎的な財を指す。なお、アカン語のオクラ・スンスム・スバン(魂や性格を表す語)の綴りは、この調査では一次資料の確認に至っていません。
では、善い生とは何でしょうか。共同体の成員として義務を果たしつつ、習慣的な行為(habitual action)によって良い性格を形成し、それによって「人格」という道徳的地位を実際に獲得していく生です。この倫理は、権利ではなく義務を、個人の自律ではなく相互扶助・互酬性・共通善への配慮を軸に置きます。共通善は各人の欲求を足し合わせたものではなく、平和・正義・尊厳のように誰にとっても不可欠な財です。したがって幸せは、これらの財が共同体に行き渡り、かつ自分がその実現に寄与している状態と切り離せません。性格は改善できるとされるので、この意味での幸せは生涯にわたる形成の過程であり、完了した状態ではありません。
幸せを妨げるもの
幸せを妨げるものは、義務の不履行、共同体からの切断、性格の欠陥、そして共通善を損なう不正義です。性格の欠陥は矯正できるものとされています。
構造的な妨げとしては、植民地支配による共同体の解体、都市化と労働移動、経済的な不平等が挙げられます。この思想では、構造的な不正義そのものが幸せの妨げとして明示的に主題化されています。
共同体・対話儀礼・祭祀
何をするのか。徳を習慣にすること、長老から教育を受けること、諺(proverb)による道徳教育、相互扶助(労働の交換など)、儀礼、祖先への供犠(そなえもの)、そして対話による紛争解決です。人格は「達成されるもの」なので、徳ある振る舞いを積み重ねることが道になります。
幸せはどこで実現するのか。関係と共同体の中です。ただし、ここがまさに論争点です。メンキティ(Ifeanyi Menkiti。ナイジェリア出身の哲学者)は共同体が個人に存在論的に(存在のあり方として)先立つと考えますが、ジェチェは個人の自律にも独立の価値を認めます。どこまでを共同体に委ねるかで、二人の立場は割れています。
いつ実現するのか。生きている者、死者(祖先)、まだ生まれていない者を含む共同体の中で、です。ムビティの時間論(過去に厚く未来に薄い時間意識、という説)は有名ですが、後続の研究者から強い批判を受けています。
「私」と世界の境目
「私」は、関係的な人格として考えられます。この思想は関係型(自己が他者との関係の中で成り立つとみる型)です。人格(パーソンフッド)は達成されるものです。メンキティは1984年の論文で、共同体が個人に存在論的に先行し、人格は共同体的な過程を通じて獲得されると論じました。
一方でジェチェは、共同体性を認めつつも、個人の自律・権利・反省する能力に独立の価値を認めます。「私」と共同体の境目をどこに引くかは、この思想の内部で答えが一つに決まっていません。
境遇(運)と、努力か贈与か
境遇と幸せの関係は「非独立」です。共同体の状態と社会的な条件に、幸せは全面的に依存すると考えるからです。植民地支配や不平等が幸せを損なうと明示的に語られるのはそのためです。
努力か贈与かという軸では「互酬(互いに与え合うこと)」にあたります。共同体による形成と、個人による習慣化の両輪です。共同体が人を形づくり、人は徳を習慣にすることで共同体に応えます。
苦しみの位置
苦しみは、共通善が不在であることの徴(しるし)として位置づけられます。植民地支配や不平等といった構造的な不正義が、幸せの妨げとして明示的に主題化されます。つまり苦しみは個人の心の問題ではなく、共同体に平和・正義・尊厳が行き渡っていないことの表れとして読まれます。
目盛りの定義は 17のマップ の各「目盛りの定義」を参照。
ヘドニア/エウダイモニア、三分類の枠組み
ヘドニア(快と満足としての幸福)とエウダイモニア(人間としての機能の発揮としての幸福)の軸では、エウダイモニア寄りです。ただしアリストテレスのエウダイモニアが個人の魂の卓越に定位するのに対し、こちらは共同体における義務の履行と性格に定位します。ジェチェが強調する「性格中心」という点は、徳倫理(性格の良さを中心に置く倫理学)との比較を可能にします。しかし「幸福(happiness)」を訳語に選ぶと、この思想が主題にしていない心の状態を勝手に中心に据えてしまうことになります。
快楽説・欲求充足説・客観的リスト説の三分類では、客観的リスト説(本人の感じ方によらず良いものの一覧があるとする説)に近いです。平和・正義・尊厳という共通善がそのリストにあたります。ただし、評価の単位が個人ではなく共同体である点で変則的です。
前野4因子との相性(やってみよう=○ ありがとう=◎ なんとかなる=△ ありのままに=△)
前野隆司(幸福学の研究者)の4因子との相性です。「ありがとう」因子(つながりと感謝)は◎(非常に相性がよい)です。共同体と相互扶助が中心だからです。「やってみよう」因子(自己実現と成長)は○(相性がよい)です。性格を習慣によって形成していく、という点が重なります。「ありのままに」因子(独立と自分らしさ)は△(部分的に重なる)、「なんとかなる」因子(前向きと楽観)も△です。
生きとし生けるものの幸せ(△ 人間が中心)
人間以外の存在への配慮は△(限定的)です。ウカマ(ショナ語)は、人間関係から生態系や祖先へと広がる関係性を含みます。しかし古典的な共同体主義(メンキティ、ジェチェ)の中心は人間の人格と共同体であり、人間以外を主題にすることは周辺的です。監査の結果、評価は○から△に下げられました。
研究でどこまで確かめられているか
幸福研究としての実証的な蓄積は、ほぼありません。研究の対象はこの思想そのものではなく、周辺の分野で展開されています。
具体的には、道徳心理学における文化間比較、アフリカにおける生命倫理(臓器提供や研究倫理でのコミュニティ同意)、環境倫理(ウカマを基盤とする生態系倫理)、移行期正義の研究です。いずれも「この考え方が幸福度を高めるか」を測る研究ではありません。世俗化された技法として切り出されているわけでもなく、主に哲学・倫理学・法学の議論として続いている領域です。
どこから来て、どこへ流れたか
どこから来たか。各民族の口承(諺・説話・儀礼)が基層です。書かれた典拠は20世紀以降の学術的な定式化です。ムビティの1969年の著書『アフリカの宗教と哲学(African Religions and Philosophy)』は最も影響力の大きい一冊ですが、本質主義的だという批判とセットで扱う必要があります。西洋哲学も、対抗の相手として、また道具として、影響を与えています。
どこへ流れたか。アフリカの生命倫理(臓器提供や研究倫理におけるコミュニティ同意、つまり個人だけでなく共同体の同意を求める考え方)、環境倫理(ウカマを基盤とする生態系倫理)、移行期正義の研究、そしてウブントゥの言説へと流れています。
発達段階論から見ると
キーガン(Robert Kegan。成人の心の発達段階を研究した心理学者)の段階論から見るとどうでしょうか。メンキティ(共同体が個人に先立つ)とジェチェ(個人の自律も認める)の論争は、段階3(周囲に合わせる自己)と段階4(自分の基準を持つ自己)のどちらを優先するかという論争と、表面的には重なって見えます。しかし当事者は、これを発達段階ではなく存在論(何がどのように存在するかについての問い)の問題として論じています。段階論を投影することは避けるべきだとされます。
そのため、「器(実践を運営する自己のあり方)」と「目標(目指す自己のあり方)」はいずれも指定されていません(マップでは「−」)。なお、高い段階ほど良いという読み方はしません。
現代の言葉に翻訳すると、型は【関係を結び直す/伸ばす(人格)】です。人格を「達成されるもの」として設計します。徳ある振る舞いの習慣化と共同体への貢献によって「人になる」という設計です。
もう一つの含意があります。共通善(平和・正義・尊厳)を、個々人の好みの合計と区別するという発想です。これは、従業員満足度の集計と組織の共通善を区別する根拠になります。
安全装置共同体の相互監視戒律・倫理規範
タグは「共・戒」です。「共」は共同体による支え、「戒」は生活の規律や合意された決まりを意味します。
具体的には、共同体の承認と人格の段階的な獲得、儀礼と長老です。共同体主義が個人の権利を圧迫する危険については、ジェチェの「穏健な共同体主義」として、内部から修正が行われました。
誤解されやすい点
①「共同体主義」を、西洋のコミュニタリアニズム(サンデルやマッキンタイアなど、個人より共同体を重んじる西洋の政治哲学の立場)と同一視しないでください。争点も文脈も異なります。
②ウカマを「絆」と訳すと、親族の構造と生態系にまたがる広がりが消えてしまいます。
③ムビティの「私たちがあるから私がある。私たちがあるがゆえに、私がある(I am because we are, and since we are, therefore I am)」を「アフリカ思想の要約」として引くのは避けるべきです。これは一人の神学者の定式であり、しかも批判の対象でもあります。
④著者の立ち位置を明記すべきです。この調査で当事者ないし当該地域出身の研究者として確認できたのは、ジェチェ(ガーナ)、メンキティ(ナイジェリア)、マトリノ・クウィンディングウィ・ムローヴ(ジンバブエ/南部アフリカ)、ウィレドゥ(ガーナ)です。メッツは外部(または隣接)の研究者です。
学者の間で議論があること
①最大の論争軸は、メンキティ(1984年)の急進的な共同体主義と、ジェチェの穏健な共同体主義の対立です。メンキティは共同体が個人に存在論的に先行するとし、ジェチェは共同体性を認めつつ、個人の自律・権利・反省能力に独立の価値を認めます。
②ムビティ批判です。ムビティの時間論と、「アフリカ宗教」を一括で論じる手法には、ウィレドゥやジェチェら後続世代から本質主義・一般化の批判があります。ムビティを引くときは必ずこの批判とセットにすべきだとされます。
③「アフリカ哲学」というカテゴリー自体の争いです。民族哲学(エスノフィロソフィ。口承の集合的な世界観を「哲学」と呼ぶことへの批判的な呼称)への批判が、ウントンジ(Paulin Hountondji。ベナンの哲学者)らから出ています。
④ムローヴの2004年のウカマ論文は『マンカインド・クォータリー(Mankind Quarterly)』45巻2号に掲載されましたが、同誌は人種主義的な出版史をもつ媒体として学術界で強く批判されています。ムローヴ自身が編者を務めた2009年のアンソロジー版を優先すべきだとされます。
こんなときに:個人の達成ばかり求められて、共同体の中での役割が見えないとき。人格は関係の中で育つと考えたい人に。
小さな入口:自分の「人格」を、生まれつきではなく共同体との関係の中で達成していくものとして捉え直し、今日果たす役割を一つ選ぶ。
判定が近い思想:Ubuntu・アイヌ・北米先住民(Hózhó/Mino-Bimaadiziwin) → 思想の近さマップ
人が天から降りてくるとき、その人は人間の町(社会)に降り立つ。
人は最初から共同体の成員として生まれるという、アフリカ共同体主義の出発点を言う諺
私はある、私たちがあるから。私たちがあるがゆえに、私はある。
最も流通した定式だが、一神学者の要約であり後続世代の批判対象でもある。引く際はその点を併記する
アフリカの人々にとって、共同体という現実は、個人の生の来歴という現実に先立つ。
急進的共同体主義の核心。人格は共同体的過程を通じて獲得されるという主張の前提
人には助けが要る。
人の福祉が他者に依存することを認める諺。相互扶助を権利ではなく義務として置く倫理の根
その人を育てよ。その人がやがてあなたを育てるのだから。
ukama(関係性)を支える互酬の教え。世話は一方向の善行ではなく世代をまたぐ返礼として語られる
主な典拠:口承(諺・説話・儀礼)が基層。書かれた典拠は20世紀以降の学術的定式化。Mbiti, J. S. (1969) African Religions and Philosophy, Heinemann は最も影響力の大きい一冊だが上記の批判とセットで扱うこと
参考文献:Gyekye, K., African Ethics, Stanford Encyclopedia of Philosophy(ガーナの哲学者による当事者地域研究者の記述)/Menkiti, I. A. (1984) Person and Community in African Traditional Thought, in Wright (ed.) African Philosophy: An Introduction, 3rd ed., University Press of America, 171-181/Gyekye, K. An Essay on African Philosophical Thought: The Akan Conceptual Scheme(1995改訂版, Temple UP)/Gyekye, K. (1997) Tradition and Modernity, Oxford UP/Murove, M. F. (ed.) (2009) African Ethics: An Anthology of Comparative and Applied Ethics, Univ. of KwaZulu-Natal Press/Wiredu, K. (1992) Moral Foundations of an African Culture
この思想が答える悩み(各思想からの悩み相談30から)
アフリカ哲学の共同体主義が登場する悩み3件。押すと、その悩みでのアフリカ哲学の共同体主義の答えに移ります。
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