世界の思想と宗教の幸福観マップ

各思想からの悩み相談30 ・ 家族 10/30

親の介護がつらい。逃げたいと思う自分が嫌だ

この悩みの形

この悩みは二重になっています。介護がつらい、という一枚目の苦しさの上に、「逃げたいと思う自分が嫌だ」という二枚目の苦しさが乗っています。そして多くの場合、二枚目のほうが重い。一枚目は身体の疲れですが、二枚目は自分への裁きだからです。本マップの目盛りでいえば、この二枚目を作っているのは、幸せの主語を「関係」に置き、親子の務めを重く見る語彙——日本では儒教の「孝」の語彙——が、安全装置を外した形で一人の人に乗っているからです。関係構成型の伝統は、人は関係のなかで人になると言います。それは本当ですが、同じ伝統は、関係の網が一本の糸に痩せたときのことも知っています。儒教の孝は五倫(父子・君臣・夫婦・長幼・朋友)という相互の義務の網の中にあり、ウブントゥの人格は共同体の合議と互酬の中にあり、マオリの家族は拡大された親族の単位です。一人で親を抱える構造は、どの関係型の伝統も想定していません。だから「逃げたい」は、あなたの人格の欠陥ではなく、網が一本になっているという構造の信号です。

現代の標準的な答えは、「介護保険を使いましょう」という制度の言葉と、「親孝行だと思って」という道徳の言葉に分かれていて、両者がつながっていません。この文章では、まず「受け取ってよい」という贈与型の語彙を置き、次に関係型の限界を伝統の内側から確かめ、そのうえで身体と制度の話をします。

先に言っておきたいこと

「孝」「務め」「態度を選ぶ自由」という語彙は、介護する人を一人で抱えさせる方向に、最も誤用されやすい言葉です。儒教の孝は相互の義務の網の中にあり、ギーターは極端な苦行を退け、フランクルの態度価値は臨床の支えを前提にしています。これらを「もっと耐える理由」に使うなら、それは伝統の安全装置を外した読み方です。もう一つ。介護の苦しさの中には、介護うつ、睡眠不足、親の認知症による暴言や暴力など、構えでは扱えないものが含まれます。気が尽きた状態で下す判断は、判断ではなく消耗の結果です。施設を考えるか、兄弟に頼むかという判断ですら、眠れてからでないと下せません。「逃げたい」が「手を上げてしまいそう」「消えてしまいたい」に変わっているなら、それは次の節の段階です。

各思想からの答え

贈与・応答型——休むことは、義務である

ユダヤ教

ユダヤ教の安息日(シャバット)は、週に一度、労働をやめて時間を聖別する日です。それは「休んでもいい日」ではなく「休まなければならない日」であり、神との契約の一部です。また、ツェダカー(分かち合い)は「慈善」ではなく、語根が「正義」であって、義務としての再分配です。あなたの場面で言えば、介護を休むことに許可を求めなくてよい、ということです。この伝統では、休まないことのほうが契約違反です。そして助けを受け取ることは、施しを受けることではなく、正義の実現です。ショートステイやデイサービスを使うことに罪悪感を持つ必要は、この語彙にはありません。

キリスト教

キリスト教の隣人愛の掟には、「自分のように」という条件が付いています。自分を損なうことを、この伝統は愛とは呼びません。また幸せは、自力で獲得する徳の完成ではなく、恩寵(神からの無償の贈り物)として与えられるものです。これを引きつけると、「親に十分なことをできていない」という自責は、自分の行いで自分を正しくしようとする構えであり、この伝統が最も警戒する構えです。あなたがどれだけできたかに関係なく、先に与えられているものがある。その順序を、介護の毎日の中で一度思い出してください。

仏教(浄土)

浄土教(阿弥陀仏の本願を信じ、念仏を称える仏教の流れ。日本では法然と親鸞)は、人は凡夫(ぼんぶ。欲や怒りを断てない普通の人)であり、そのままで救われていると説きます。親鸞は、自分の善を頼む心を最大の妨げと見ました。今のあなたに置き直すと、「逃げたいと思わない自分になりたい」という願いも、自力のはからいです。逃げたいと思いながら、今日も親のところへ行っている。その凡夫のままの姿が、浄土教にとっては救いの正面です。念仏は、良い息子・良い娘になるための行ではなく、すでに受け取っているものへのお礼です。「ありがたい」が先で、努力はその後についてきます。

ヒンドゥー(ギーター)

『バガヴァッド・ギーター』(戦場で迷う王子アルジュナに神クリシュナが説いた教え)は、「汝の権利は行為にのみあり、その結果には決してない」(2.47)と言います。舞台は、逃げられない戦場です。親が元気になるか、感謝してくれるか、兄弟が分かってくれるかは、あなたの権利の外にあります。あなたにあるのは、今日の務めを果たすことだけです。ただしギーターは、食事や睡眠についても中道を説き、極端な苦行を退けています。結果を手放して務めを果たすことと、自分をすり減らすことは、同じではありません。

関係構成型——網を一本にしない

儒教(原始)

原始儒教(孔子・孟子・荀子の初期の儒教)の孝は、親を大切にすることですが、それは五倫という相互の義務の網の中に置かれています。礼(冠婚葬祭から日常の作法までの型)が感情と行為を枠づけ、やりすぎは足りないのと同じだという中庸の考えが、行きすぎを戒めます。あなたの場面で言えば、孝を一人で、無限に、形なしに果たすことを、儒教は求めていません。孟子は、親が健在で兄弟に事故のないことを君子の楽しみの一つに数えました。親の無事は「楽」であって、一人で達成する「任務」ではありません。兄弟がいるなら、兄弟も網の一部です。網を一本にしないことが、孝の形です。

アフリカ哲学の共同体主義

アフリカ哲学の共同体主義(ガーナやナイジェリアなどの大学で1970年代以降に展開されてきた人格論)では、人格は生まれつきではなく共同体との関係の中で達成されるもので、倫理の軸は権利ではなく義務、個人の自律ではなく相互扶助です。アカン(ガーナの民族集団)の格言に「人には助けが要る」があります(ジェチェがスタンフォード哲学百科事典「アフリカ倫理」で引用)。助けを求めることは義務の放棄ではなく、義務の網の中に自分を置き直すことです。「人には助けが要る」は、親についてだけでなく、介護するあなたについても言われています。

マオリ

マオリ(ニュージーランドの先住民)のファーナウは「家族」ではなく、拡大された親族・共同体の単位です。テ・ファレ・タパ・ファー(四つの壁をもつ家)では、家族は四本の柱の一本であり、他の三本——身体・心・霊性——と均衡してはじめて家が立ちます。ここから言えるのは、介護は家族の柱を揺らしますが、あなた自身の身体の柱、心の柱、自分を超えるものとの関係の柱が折れれば、家全体が倒れます。親を支えるためにも、あなたの残りの三本を先に支える、という順序です。

アドラー(個人心理学)

アドラー(フロイトと決別して個人心理学を創始した医師)の枠組みを岸見一郎が再構成した「課題の分離」でいえば、親の病の経過、親の機嫌、兄弟の態度は、あなたの課題ではありません。あなたの課題は、自分にできる範囲を決め、その範囲で貢献することです。今のあなたに置き直すと、「逃げたい」という思いは、他人の課題まで背負ったときに出る当然の信号です。ただし課題の分離は、冷淡さや撤退ではありません。範囲を決めることと、見捨てることは別です。

除去・回復型——足すのをやめる

仏教(上座部)

上座部仏教(パーリ語の経典を用い、スリランカや東南アジアに広まった仏教)の『慈経』には「母が命をかけて一人子を守るように、生きとし生けるものすべてに対して、限りない慈しみの心を育てよ」(『スッタニパータ』Sn 149偈)とあります。慈しみの対象は「生きとし生けるものすべて」で、そこにはあなた自身も含まれます。「親にもっとしてあげなければ」という思いも、「こんな自分は嫌だ」という思いも、本マップの語彙では渇愛(かつあい。止まらない「こうあってほしい」)と嫌悪の火です。火を見ているあいだは、燃料を足さずに済みます。慈しみを、まず自分に向けるところから始めてください。

神道

神道(日本固有の神々への信仰と祭祀の伝統)では、死や病に伴う穢れは内面的な罪ではなく、付着した状態としての不浄で、反省ではなく祓と禊(みそぎ。水で洗い清める儀礼)によって流します。あなたの場面で言えば、「逃げたいと思った」という一日を、裁かずに流す儀礼を持つのです。介護から帰って手を洗う、風呂に入る。それを「くもりを流す」つもりで行う。罪悪感を伴わずに再出発できることが、この伝統が介護する人に渡せる、いちばん実用的なものです。

副産物型——影を見る

ユング(分析心理学)

ユング(スイスの精神科医。分析心理学の創始者)は、自分の認めたくない側面を影と呼び、影を否認することが一面性を生むと考えました。「逃げたい自分」はあなたの影ですが、影は切り捨てるものではなく、全体の一部です。逃げたい自分を認めない人ほど、ある日まとめて折れます。影を認めた人は、「ここまでは引き受ける、ここからは頼む」という線を引けます。線を引くことは、ユングのいう個性化(影を含めた全体になること)の、介護における形です。

ポジティブ心理学2.0

ポジティブ心理学2.0(苦しみを避けず意味に変える、ポジティブ心理学の内部からの修正運動)の中心にあるフランクル(強制収容所を生き延びた精神科医)の態度価値は、変えられない苦しみに対してどんな態度をとるかに価値がある、という考えです。「人からすべてを奪うことができても、ただ一つ奪えないものがある。与えられた状況のなかで自分の態度を選ぶという、人間の最後の自由である」(フランクル『夜と霧』第1部)。ここから言えるのは、親の病は変えられませんが、それに対する態度は選べます。ただし、この伝統自身が「苦は成長をもたらす」の一般化を戒めています。介護を「成長の機会」と急いで言い換える必要はありません。

制度・集計型——苦の総量を、あなたの分も含めて数える

功利主義

功利主義(行いや制度の正しさを「幸福をどれだけ増やすか」で判断する倫理・政治思想)は、快や苦を感じうる者すべての苦の総量を減らすことを善とし、各人を一人として数え、誰も一人以上には数えない、という原則を持ちます。今のあなたに置き直すと、介護の苦の総量を数えるとき、親の苦だけでなく、あなたの苦も同じ重さで数える、ということです。あなたが倒れれば、総量は増えます。施設やサービスを使うことで総量が減るなら、それはこの型にとって最も正統な実践です。

ケイパビリティ・アプローチ

ケイパビリティ・アプローチ(経済学者センと哲学者ヌスバウムの理論)は、善き生を「実際に選べる生き方の幅」で測り、長く剥奪された人は望みを下げてしまう(適応的選好)と指摘します。「自分がやるしかない」と思い込んでいるとき、それは選択ではなく、幅が狭すぎて他が見えなくなっている状態かもしれません。介護保険のサービス、レスパイト(介護者が休むための一時的な代替ケア)、介護休業、兄弟との分担。幅を広げるのは、本人の忍耐ではなく、制度と周囲の仕事です。

今日からできる三つのこと

試すなら、この中から一つ。伝統の実践(瞑想・行・祈り)の代わりではなく、考え方に触れるための小さな入口です。

  1. 今週、介護から完全に離れる時間を一つ決めて、掟にする。二時間でもよい(ユダヤ教)
  2. 「人には助けが要る」を、親ではなく自分について一度言ってみて、頼める相手か窓口を一つ書き出す(アフリカ哲学の共同体主義)
  3. 介護から帰ったら、手を洗い、風呂に入り、その日に浮かんだ思いを流す。裁かない(神道)

こういうときは専門家へ

眠れない、食べられない、涙が止まらない、親の顔を見ると動悸がする、という状態が続くなら、介護うつの可能性があり、心療内科・精神科や各都道府県の精神保健福祉センターの対象です。「手を上げてしまいそう」「消えてしまいたい」と思うときは、一人で抱えずに、市区町村の高齢者虐待相談窓口、いのちの電話(ナビダイヤル 0570-783-556、24時間。フリーダイヤル 0120-783-556 は毎日16〜21時、毎月10日は8時〜翌8時)、よりそいホットライン(0120-279-338)に電話してください。介護の仕組みの入口は、お住まいの地域の地域包括支援センターです。要介護認定、ケアマネジャー、ショートステイやデイサービスなどのレスパイト(介護者の休息のためのサービス)、家族会の紹介まで、無料で相談できます。公益社団法人認知症の人と家族の会の電話相談(0120-294-456)は、同じ立場の人が受けています。仕事との両立は、介護休業制度について総合労働相談コーナー(都道府県労働局)へ。費用や相続の問題は法テラス(0570-078374)が入口です。伝統の言葉は、これらの窓口に向かう足を軽くするためのものです。

つらさが強いとき・「消えてしまいたい」と感じるときは、どうかひとりで抱えないでください。まもろうよ こころ(電話・SNSの相談窓口一覧)/よりそいホットライン 0120-279-338(24時間・通話無料)。
ひとこと逃げたいと思う人は、逃げていない人です。網を一本にしないでください。

この悩みを含む30の悩みは、PDFでも読めます:各思想からの悩み相談30(PDF)

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はぴテックの二枚の地図 発達段階×ウェルビーイング統合マップ → この幸福観マップの姉妹版。あちらは「縦に5段階を貫く翻訳辞書」で、同じ言葉が段階ごとに別の意味で聞こえる(875行×5段階)。