世界の思想と宗教の幸福観マップ

各思想からの悩み相談30 ・ 仕事 7/30

転職すべきか、ずっと迷っている

この悩みの形

迷いが長く続くとき、苦しいのは転職そのものではなく、決められないまま今の場所に半分だけいる状態です。身体は今の職場にあり、心は次の職場を探している。どちらにも全部はいない。本マップの目盛りでいえば、これは「境遇と努力の関係」の問題であると同時に、「幸せの主語」の問題です。現代の標準的な答えは開花型(持っている力を伸ばして発揮することを幸せと見る型)です。「本当にやりたいことを見つけよう」「強みを活かせる場所へ」。それが届かないことがあるのは、やりたいことが分からない人、どちらを選んでも一長一短という人に、「正解を見つけて飛び込め」という言葉は、迷いをさらに増やすからです。

47の伝統のうち、「正しい選択をすれば幸せになる」と言う伝統は、実はほとんどありません。多数派は、選択の中身より、選択に対する構えを問題にします。自分次第でないものを判断から外す(認識転換型)、選ぶこと自体を引き受ける(副産物型)、結果を手放して務めを果たす(贈与・応答型)、何を選べるかの幅そのものを見る(制度・集計型)、関係の網のなかで決める(関係構成型)。この文章では、迷いを「早く決めるべき課題」としてではなく、決める前に整えておく構えの順に並べます。急がせるためではなく、急がなくてよい理由を先に置くためです。

先に言っておきたいこと

「自分次第でないものを手放す」「結果を手放す」という言葉は、害のある職場に留まる理由に使われやすい語彙です。長時間労働、ハラスメント、心身の不調が理由なら、迷いの段階ではなく、出口の段階です。ストア派の安全装置は身体を軽視しないことを含みますし、儒教は道の行われない場所に身を置かないことを君子の判断としています。逆に、「選択を引き受けよ」という実存主義の言葉を、「迷う自分が弱い」という自己否定に使わないでください。迷いが長いのは、たいてい拮抗が本当に拮抗しているからです。

各思想からの答え

認識転換型——決められないものを、判断から外す

ストア派

ストア派(紀元前3世紀にゼノンが開き、ローマ時代にセネカやエピクテトスが実践した哲学)は、「存在するもののうち、あるものは私たち次第であり、あるものは私たち次第ではない」(エピクテトス『提要』1.1)と分けます。幸せは前者、つまり自分の判断と意志にだけあると考えます。転職先の景気、新しい上司の人柄、周囲の評価は自分次第ではありません。自分次第なのは、「何を大事にして選ぶか」という判断と、選んだあとの行動です。迷いの大半は、自分次第でないものを予測しようとする努力です。予測をやめ、判断の基準だけを紙に書く。それが、この伝統の勧める最初の一手です。

道家(老荘)

道家(『老子』『荘子』を中心とする中国の思想)の無為は、何もしないことではなく、作為的な介入をやめることです。『老子』第44章には「足るを知れば辱められず、止まるを知れば殆うからず、以て長久なるべし」とあります。これを引きつけると、「決めなければ」という力みが、迷いを長引かせているかもしれません。道家は、押すほど閉じるという構造を知っています。一週間、転職の話題を頭から外してみる。空いた沈黙に、自分がどちらに傾いているかが、勝手に流れてくることがあります。それは怠けではなく、介入をやめることです。

禅

禅(坐禅を中心とし、師との直接のやりとりを重んじる大乗仏教の一派)は、求める心そのものを病と見ます。臨済(9世紀中国の禅僧)は、外に向かって仏や法を求める心が歇(や)んだ状態を無事(ぶじ)と呼びました。今のあなたに置き直すと、「転職すれば本当の自分になれる」「ここではない場所に答えがある」という探索の動きが、迷いの正体です。転職するかどうかとは別に、今日の仕事の一動作を、次の職場のための準備ではなく、それ自体として行う。その感覚を持てた人は、選択を「逃げ場探し」ではなく「選択」として行えます。

副産物型——選ぶことを引き受ける

実存主義

実存主義(人間にはあらかじめ決まった本質はなく、自ら生き方を選ぶことを説く哲学)は、「人間は自由であるよう宣告されている」(サルトル『実存主義はヒューマニズムである』)と言います。決められない苦しさは、自由であることの証拠です。「正解を見つけてから決める」という順序を逆にする、ということです。正解はあらかじめありません。選んだあとで、選んだものを自分の名前で引き受けることが、その選択を正解にしていきます。サルトルは、自由から逃げるために自分に嘘をつくことを自己欺瞞(じこぎまん)と呼びました。残るにせよ辞めるにせよ、「自分が決めた」と言える形で決めることです。

キュニコス派・ピュロン主義

ピュロン主義(判断を保留する古代ギリシャの懐疑主義)は、対立する主張がどちらも同じくらい説得力を持つとき(等力性)、人は決められずに断念し、そのとき意図せず平静が訪れる、と言います。あなたの場面で言えば、「残る理由」と「辞める理由」が拮抗しているのは、あなたの判断力が足りないからではなく、本当に拮抗しているからです。この伝統は、拮抗を解消しようとする努力自体が動揺の源だと見ます。判断を保留したうえで、「現れ」つまり今見えているとおりのものに従って日常を営む。半年後に同じ問いを立てたとき、拮抗が崩れていれば、それが答えです。

贈与・応答型——結果を手放して、務めを果たす

ヒンドゥー(ギーター)

『バガヴァッド・ギーター』(戦場で迷う王子アルジュナに神クリシュナが説いた教え)の中心は、「汝の権利は行為にのみあり、その結果には決してない。行為の結果を動機とするな。かといって無為に執着するな」(2.47)です。転職がうまくいくかどうかは、あなたの権利の外にあります。あなたにあるのは、自分の務めを全力で果たすことだけです。ギーターの舞台が、逃げられない戦場であることに注意してください。この伝統は「迷っている間、今の仕事の手を抜いてよい」とは言いません。結果を手放して今日の仕事を務めとして行うと、不思議なことに、迷いの熱が下がります。

仏教(浄土)

浄土教(阿弥陀仏の本願を信じ、念仏を称える仏教の流れ。日本では法然と親鸞)は、人は凡夫(ぼんぶ。欲や怒りを断てない普通の人)であり、自分のはからいで人生を設計しきることはできない、と見ます。親鸞は晩年、自然法爾(じねんほうに。自力のはからいが消えて自ずからそうなること)を語りました。ここから言えるのは、「後悔しない選択をしなければ」という完璧主義は、自力のはからいです。どちらを選んでも、あなたは凡夫のまま、すでに受け取っているものの中にいます。この安心は転職の成否と無関係に先に与えられている、というのが他力(阿弥陀仏の願力)の構造です。安心が先、決断は後。順番を逆にしないことです。

除去・回復型——何を欲しがっているのかを見る

エピクロス派

エピクロス派(紀元前4世紀末のアテナイでエピクロスが開いた学派)は、欲望を「自然で必要なもの」「自然だが不必要なもの」「空虚なもの」に分けました。名声・富・権力は三つ目で、自然が求めるものではなく限界がありません。今のあなたに置き直すと、転職の動機をこの三つに仕分けしてください。安全、睡眠、健康、一人の友。一つ目が今の職場で奪われているなら、出る理由は十分です。年収、肩書き、周囲の目。三つ目が動機の中心なら、転職してもまた同じ迷いが来ます。エピクロスは思慮(フロネーシス。快苦を計算する徳)を哲学より貴いと言いました。計算すべきは、どちらが得かではなく、どちらが苦を減らすかです。

仏教(上座部)

上座部仏教(パーリ語の経典を用い、スリランカや東南アジアに広まった仏教)は、苦の根を渇愛(かつあい。止まらない「もっと欲しい」)に見ます。渇愛には、感覚的な快を求める渇き、存在し続けたいという渇き、そして存在をやめてしまいたいという渇きの三種類があります。迷いの中に二種類の渇愛が混じっていないかを見てください。「もっと認められたい」という渇きと、「今の自分から逃れたい」という渇きです。どちらが動かしているかを見分けると、転職は同じでも、その重さが変わります。

神道

神道(日本固有の神々への信仰と祭祀の伝統)は、穢れを祓って本来の清浄に戻る、という繰り返しを基本の形とします。あなたの場面で言えば、決めたあとに要るのは「区切りの儀礼」です。辞める日、あるいは残ると決めた日に、入浴でも神社でも散髪でも構いません、一つ区切りを持ってください。神道には「どちらが正しかったか」を裁く教義がありません。くもりを祓って、清き明き心で次の日を始める。迷い続けた期間を「無駄だった」と反省する代わりに、流すのです。

関係構成型——一人で決めない

儒教(原始)

原始儒教(孔子・孟子・荀子の初期の儒教)は、幸せを人と人との関係のなかで徳を実現する活動そのものに置きます。そして徳の「楽」は自分で修めるもの、寿命や富という「福」は天命に任せるもの、という二層の構造を持ちます。転職先での年収や出世は「福」で、天に任せる領域です。自分で修められるのは、どちらの職場でも、どんな関係のなかで、どんな徳を育てられるかです。人に認められなくても腹を立てないのが君子だ、という『論語』の構えは、転職理由が「評価されない」であるとき、一度立ち止まる理由になります。

アドラー(個人心理学)

アドラー(フロイトと決別して個人心理学を創始した医師)は、人生の課題を仕事・交友・愛の三つに分け、人生の意味とは貢献である、と考えました。幸福は貢献の結果として後からついてくるものです。ここから言えるのは、転職を「どこで勝てるか」ではなく「どこで役に立てるか」で考え直すのです。また岸見一郎が再構成した「課題の分離」でいえば、あなたが辞めたあとの職場の人手不足は職場の課題であり、あなたの課題ではありません。罪悪感の多くは、他人の課題を背負わされたものです。

マオリ

マオリ(ニュージーランドの先住民)のテ・ファレ・タパ・ファー(四つの壁をもつ家)は、健康を霊性・心・身体・家族の四本の柱で見ます。土台は土地です。今のあなたに置き直すと、仕事はこの四つの側面のどれか一つではなく、四つすべてに影響する生活領域です。転職は、四つの壁を同時に揺らす出来事です。家族との時間、身体の負荷、自分を超えるものとの関係。一本だけで決めず、四本の家として見る。自分が誰に連なっているかを先に確かめてから決める、という順序です。

制度・集計型——選べる幅があるか

ケイパビリティ・アプローチ

ケイパビリティ・アプローチ(経済学者センと哲学者ヌスバウムの理論)は、善き生を「実際に選べる生き方の幅」で測ります。そして長く剥奪された人は要求水準を下げてしまう(適応的選好)と指摘します。「転職すべきか」の前に、「実際に選べる幅があるか」を問うことです。貯蓄、資格、情報、家族の事情で幅が狭いなら、問題はあなたの決断力ではなく幅のほうです。幅を広げる行動(職業訓練、相談、制度の利用)は、決断そのものより先にできることです。

功利主義

功利主義(行いや制度の正しさを「幸福をどれだけ増やすか」で判断する倫理・政治思想)は、苦を純粋に負の量として扱い、「苦しみには意味がある」という言説を明示的に退けます。あなたの場面で言えば、転職の判断から「ここで耐えることに意味がある」という項目を外す、ということです。測るのは、残った場合と出た場合の、一日の苦と快の総和です。その総和には、家族の分も含めてください。

今日からできる三つのこと

試すなら、この中から一つ。伝統の実践(瞑想・行・祈り)の代わりではなく、考え方に触れるための小さな入口です。

  1. 転職の理由を「自分次第のもの」と「そうでないもの」に分けて紙に書く。後者は判断を保留する(ストア派)
  2. 今日の仕事を一つ選び、「うまくいくかどうか」を手放して、務めとしてだけ行う(ヒンドゥー(ギーター))
  3. 転職以外の選択肢(配置換え、休職、職業訓練、相談)を一つ調べる。幅を広げるのは決断より先にできる(ケイパビリティ・アプローチ)

こういうときは専門家へ

眠れない、食べられない、出勤前に身体が動かない、仕事のことを考えると動悸がする。これらは「迷い」ではなく、医療の対象です。心療内科・精神科は在職中でも受診でき、診断書は休職の根拠になります。退職を申し出ても認められない、退職の際に損害賠償をちらつかされる、未払いの賃金がある、といった場合は、総合労働相談コーナー(都道府県労働局)、労働基準監督署、法テラス(0570-078374)が無料で相談を受けています。転職先を探す段階では、ハローワークのほか、国家資格のキャリアコンサルタントによる無料相談(ジョブ・カード制度など)も利用できます。伝統の言葉は、これらの制度に向かう足を軽くするためのものであって、代わりにはなりません。

つらさが強いとき・「消えてしまいたい」と感じるときは、どうかひとりで抱えないでください。まもろうよ こころ(電話・SNSの相談窓口一覧)/よりそいホットライン 0120-279-338(24時間・通話無料)。
ひとこと正解を見つけてから決めるのではなく、決めたものを正解にしていく。それだけが自分次第です。

この悩みを含む30の悩みは、PDFでも読めます:各思想からの悩み相談30(PDF)

つながり ほかの保存版コレクションから、内容の近いもの

内容の近さをAIで自動計算して選んでいます。保存版コレクションの一覧 →

はぴテックの二枚の地図 発達段階×ウェルビーイング統合マップ → この幸福観マップの姉妹版。あちらは「縦に5段階を貫く翻訳辞書」で、同じ言葉が段階ごとに別の意味で聞こえる(875行×5段階)。