世界の思想と宗教の幸福観マップ

各思想からの悩み相談30 ・ 自分 24/30

SNSの『いいね』が気になる。承認されないと不安

この悩みの形

投稿したあと、数が気になって何度も見てしまう。少ないと、自分の価値が下がった気がする。他人の数と比べて落ち込む。見なければいいと分かっているのに、見てしまう。

まず言っておきたいのは、承認されたい気持ち自体は責めるべきものではない、ということです。アドラーは、劣等感は誰にでも共通するものだと言いました。問題は気持ちの有無ではなく、その形です。承認が数字になり、比較の軸が勝ち負けになり、幸せの主語が「他人の反応に映った自分」になっている。本マップの目盛りで見ると、幸せの主語を個人に置き、しかもその個人の価値を、境遇(この場合は他人の反応)に全面的に左右される位置に置いている状態です。現代の標準的な答えは「自己肯定感を高めよう」です。ただ、これは結局「自分」に主語を置いたまま、評価者を他人から自分に替えただけなので、届かないことがあります。47の伝統の多数派は、主語そのものを置き換えます。関係へ、貢献へ、務めへ、あるいは人を超えたものへ。もう一つの系統は、他人の反応を善悪の判断から外します。どちらの語彙が自分に近いか、選んでください。

先に言っておきたいこと

「比べない」「他人の評価は自分次第でない」という言葉を、自己肯定の技法として切り出すと、伝統が持っていた無我・無執着の文脈が落ち、「気にしてしまう自分はだめだ」という新しい自己否定になります。承認欲求を悪として責めないでください。もう一つ、「他人の反応は自分次第でない」は、誹謗中傷や晒しを我慢する理由ではありません。それは構えの問題ではなく、法の対象です。伝統の言葉は、数字に揺れる自分を責めないためのものであって、害を受け流すためのものではありません。

各思想からの答え

認識転換型——他人の反応は「自分次第でないもの」

ストア派

エピクテトス(ローマ時代のストア派の哲学者。奴隷の身から自由になった)は「存在するもののうち、あるものは私たち次第であり、あるものは私たち次第ではない」と言いました(『提要』1.1)。評判は、ストア派では自分次第でないものの代表です。自分次第なのは、何を書くか、どう振る舞うか、そして数字を見る回数です。自分次第でないものを善悪の判断から外すと、数字は情報に戻ります。

禅

『臨済録』に「何も外に求めることのない人こそ貴い人である。ただ、わざとらしいことをするな。ただ、あたりまえでいよ」とあります。禅は、求める心そのものを妨げと見ます。「いいね」を求める心も、求めないふりをする心も、どちらも求める心です。投稿を「見られるため」から外して、書きたいから書く、に戻せるか。それが問いです。

ヒンドゥー(ヴェーダーンタ)

「いいねの数で測られる自分」は、この伝統の語彙では限定された自己像、つまり本当の自己に自己でないものを重ねた姿(附託)です。本当の自分は、その限定よりはるかに大きい、とヴェーダーンタは言います。「私は〜だ」という自己規定を一つ書き出し、それが本当に自分の全部かを静かに眺めてみてください。答えは出さなくてかまいません。

道家(老荘)

『荘子』至楽篇は、最上の楽しみは楽しみを追わないところにあり、最上の誉れは誉れを求めないところにある、と説きます(至楽無楽)。道家は、名声と利得への執着を妨げの筆頭に置き、外のものに自分が従属することを「不自由」と呼びます。『老子』第44章も、名と身(自分の命)のどちらが親しいか、と問います。数字の上の名前と、ここにいる身体と。どちらを削ってどちらを養っているかを、一度だけ見てください。

関係構成型——承認を「貢献」に置き換える

アドラー(個人心理学)

アドラーは「劣等感はある程度まで私たち全員に共通している。誰もが、改善したいと望む状況の中に自分を見いだすからだ」と書きました(『人生の意味の心理学』1931)。承認への渇きは異常ではありません。ただし、その力を「人より上に行く」方向ではなく「誰かの役に立つ」方向に使えたとき、劣等感は勇気に変わります。比較の軸を、勝ち負けから貢献へ。なお、『嫌われる勇気』の「承認欲求の否定」は再構成された説で、アドラー自身が「嫌われてよい」と述べたわけではありません。

儒教(原始)

『論語』学而篇の冒頭は、人に知られなくても不満を抱かない、それが君子ではないか、という言葉で結ばれています(人知らずして慍みず)。儒教は、他人の評価に依存することを妨げの一つに数えます。代わりに置くのは、人倫(家族・友・共同体との関係)の中の役割です。あなたを認める人は、画面の外の一つの関係の中にいます。

Ubuntu

南アフリカの憲法裁判所は、ウブントゥを、人が共同体の成員から無条件の敬意・尊厳・価値・受容を受ける資格を持つという地位のことだと述べました(S v Makwanyane、1995年)。「いいね」は投稿の出来に対する条件つきの承認です。ウブントゥが言う承認は、何かをしたからではなく、人であるから受けるものです。無条件の承認を一本の関係から受けている人は、条件つきの数字に揺れにくくなります。

マオリ

マオリの世界観では、マナ(人や物に宿る霊的な力・威信)は祖先・家族・土地との関係から受け継がれるもので、他人の評価で増減する数字ではありません。マナの毀損(侮辱・差別)は妨げですが、その回復も関係の中で行われます。健康を四つの柱(霊性・心・身体・家族)の家にたとえる見方からすれば、SNSが揺らすのは心の柱一本です。残りの三本が立っていれば、家は倒れません。低い柱を一本支える行動を、数字を見る代わりに選んでください。

ポジティブ心理学3.0

この立場は、幸せは一人の心の中で完結せず、関係・制度・環境というシステムの中で立ち上がると見ます。「いいね」の数が気になるのは、あなたの性格の問題である前に、数を目立つ位置に表示し、比較を促す設計の帰結でもあります。個人だけを整えるのではなく、数を非表示にする、使う場を変える、職場や学校の空気を変えるといった、環境の側の設計を同時に扱うのがこの型の答えです。

除去・回復型——「もっと認められたい」の火

仏教(上座部)

渇愛(かつあい。止まらない「もっと欲しい」)には三種類あり、その一つが有愛(うあい。存在し続けたい、認められ続けたいという渇き)です。数字は渇きを満たさず、燃料にします。多くもらった日のほうが、次が気になるのはそのためです。この伝統はまず、数字を見た瞬間に「今、追いかけているな」と気づくことだけを勧めます。

エピクロス派

エピクロス派は、名声を空虚な欲望に分類します。自然が要求せず、しかも限界がない欲望です。限界がないから、いくら得ても落ち着きません。必要で自然なものは、安全、休息、食事、そして一人の友です。エピクロスは、知恵が生涯の至福のために備えるもののうち最大のものは友愛だ、と述べました。千の「いいね」より、庭園でパンを分け合う一人の友のほうが、この伝統の幸せの条件に近いのです。

新儒教

王陽明は、楽(たのしみ)は心の本体であり、常人も同じく持っているが、自ら多くの憂苦を求めて迷い棄てている、と述べました(『伝習録』)。新儒教は、外のものを追いかけることを妨げと見ます。数字を数える夜は、外のものに楽しみを預けてしまっている時間です。それはあなたの弱さではなく、仕組みがそう設計されているからです。外的な条件が悪い日に、それでも残っている静かな楽しみを一つ見つけてください。

神道

神道は、不調を「直すべき欠陥」ではなく「くもり(穢れ)」として扱い、反省や悔い改めではなく、祓いで元の清らかな状態に戻します。数字を何度も確かめた夜に残る重さは、この語彙ではくもりです。「気にした自分」を責めて落とすのではなく、入浴や、朝の手水のような小さな区切りで流す。隠しごとのない素直な心(清き明き心)に戻る、という方向です。

贈与・応答型——すでに受け取っている

キリスト教

キリスト教の幸せは、自分の力で作るものではなく、恩寵(神からの無償の贈り物)として与えられるものです。山上の垂訓の「心の貧しい者は幸い」という逆説は、承認や成功という外の条件から幸せを切り離し、神の国に属することを新しい基準にしました。存在そのものが贈り物であり、投稿の出来は贈り物に付いた条件ではありません。今日受け取ったもののうち、自分の力で得たのではないものを三つ数えてみてください。

仏教(浄土)

『歎異抄』第1条は、念仏しようと思い立つ心が起こるとき、すなわち摂取不捨(せっしゅふしゃ。おさめとって捨てない)の利益にあずかる、と言います。見捨てられない、が先に決まっているのです。承認を得るために自分を整える努力は、この伝統では自力のはからいにあたります。凡夫(欲や迷いを断てない弱い存在)のままで受け取られている、という安心です。

カバラ・ハシディズム

バアル・シェム・トヴに帰される教えに「『私は常に主を我が前に置く』——『置く』とは平静(ヒシュタヴート)のこと。何が起ころうと、人に讃えられようと蔑まれようと、すべてが同じであるように」とあります(『ツァヴァアト・ハリヴァシュ』第2節)。神の前では、讃えも蔑みも同じ重さです。数字の多い夜も少ない夜も、同じ重さで扱う、という構えです。

副産物型——承認も幸せも、直接追わない

キュニコス派・ピュロン主義

キュニコス派のディオゲネスは、所有と評判への依存を、意図的な鍛錬で外した人です。世間の常識そのものを疑い、手放したときに訪れる自足を何より重く見ました。ピュロン主義は、「この投稿は良かった、悪かった」という判断を保留したとき、平静が影のようについてくると説きます。狙って追うと得られず、保留した後からついてくる、という逆説です。数字を見ても判断を下さない練習は、判断保留の最も身近な入口です。

ユング(分析心理学)

ユングは、ペルソナ(社会的な仮面)と自分を同一化することを妨げの一つに数えました。SNSの自分はペルソナです。それ自体は悪くありませんが、仮面を自分の全部だと思うと、仮面への評価が自分への評価になります。影(認めたくない側面)を含めた全体が自分であり、仮面はその一部にすぎません。投稿には載せない自分の側面を一つ思い浮かべることが、仮面と自分のあいだに隙間を作ります。

今日からできる三つのこと

試すなら、この中から一つ。伝統の実践(瞑想・行・祈り)の代わりではなく、考え方に触れるための小さな入口です。

  1. 投稿したあと数を見る時刻を、一日一回に決める。数字は自分次第でないものとして扱う(ストア派)
  2. 今週、誰かの投稿に「いいね」ではなく、言葉で一言返す。承認を受け取る側から、与える側へ回る(アドラー(個人心理学))
  3. 「いいねの数で測られる自分」以外の自分を、一行だけ書く(ヒンドゥー(ヴェーダーンタ))

こういうときは専門家へ

誹謗中傷、晒し、なりすまし、執拗なメッセージを受けているなら、それは構えではなく法と制度の対象です。違法・有害情報相談センター、みんなの人権110番(0570-003-110)、警察相談専用電話(#9110)に相談してください。数字が気になるだけでなく、眠れない、食事が乱れる、自分を傷つけたくなる、消えてしまいたいと感じる、が続くなら、精神保健福祉センター、心療内科へ。消えたい気持ちが強いときは、いのちの電話、#いのちSOS、よりそいホットライン(0120-279-338)。中高生ならスクールカウンセラーにつないでください。

つらさが強いとき・「消えてしまいたい」と感じるときは、どうかひとりで抱えないでください。まもろうよ こころ(電話・SNSの相談窓口一覧)/よりそいホットライン 0120-279-338(24時間・通話無料)。
ひとこと数字はあなたを人にしてくれない。人にしてくれるのは、一本の関係。

この悩みを含む30の悩みは、PDFでも読めます:各思想からの悩み相談30(PDF)

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