世界の思想と宗教の幸福観マップ

各思想からの悩み相談30 ・ 人間関係 13/30

友達がいない。孤独だ

この悩みの形

休日に誰からも連絡が来ない。SNSには楽しそうな集まりの写真が流れてくる。「友達がいない自分は、どこかおかしいのではないか」という問いが、孤独そのものより重くのしかかります。日本では2024年に孤独・孤立対策推進法が施行されました。孤独が個人の性格の問題ではなく、社会の問題として法律に書かれた、ということです。

世の中の標準的な答えは「コミュニケーション力を上げる」「サークルに入る」「自分を磨けば人が寄ってくる」です。これらは幸せの8つの型でいえば開花型(力を伸ばして発揮する型)の答えで、間違ってはいませんが、「友達がいないのは努力が足りないからだ」という自己責任の響きを帯びます。マップで見ると、幸せの主語を関係の場に置く伝統は47のうち28あり、多数派です。多数派は「人は他者を通して人になる」と言います。だからこの型から見ると、孤独は単なる寂しさではなく、自分が誰なのか分からなくなる状態として現れます。

ただし、この型には落とし穴があります。「関係の中で成立する自己」と「関係に依存する自己」は違います。関係を結び直す言葉と、一人でいる自分を取り戻す言葉の両方を、型ごとに並べます。

先に言っておきたいこと

関係構成型の伝統は、「人は他者を通して人になる」と言いますが、これを「一人でいる人は人ではない」と読んではいけません。この型の内部でも、共同体の同調圧力や個人の抑圧は、当事者の研究者が指摘してきた危険です。「関係の中で成立する自己」は、「関係に依存する自己」とは違います。もう一つ、「孤独は実存の条件」「一人で足りる」という副産物型や除去型の言葉を、人を避け続ける理由にしないでください。それらは一人の時間に意味を与える言葉であって、社会的な孤立を正当化する言葉ではありません。瞑想など伝統の技法を一人で始めることも、本マップの安全装置の観点からは勧めません。

各思想からの答え

関係構成型——人は他者を通して人になる

Ubuntu

ウブントゥ(南部アフリカのズールー語やコサ語で「人であること」)には、「人は、人々を通して人になる」という定型句があります(南アフリカ憲法裁判所の1995年の判決でも引用されました)。人格は生まれつきの資格ではなく、関係の中で達成されるもので、だから程度がある、という考えです。今のあなたに置き直すと、問題は友達の「数」ではなくなります。今日会う誰か一人、コンビニの店員でも同僚でも、その人を「自分を人にしてくれている相手」として扱う。その一回の行為から、人格は達成され始めます。

儒教(原始)

原始儒教(孔子・孟子の思想)では、幸せは一人で悟るものではなく、学び、礼、友との交わりの中で徳を実践することそのものにあります。人と人の関係は五倫(父子・君臣・夫婦・長幼・朋友)として多元的に描かれ、友はその一つにすぎません。これを引きつけると、「友達」という一種類の関係だけで自分を測るのをやめることになります。親、同僚、師、近所の人、教える相手。いま一本でも機能している関係があれば、そこで徳を実践する場はあります。友は「作る」ものというより、何かを共に学ぶ中で「なる」ものです。

アドラー(個人心理学)

アドラー(オーストリアの精神科医。1870〜1937年)は『人生の意味の心理学』(1931年)で「私たちは友情のなかで、他者の目で見、他者の耳で聞き、他者の心で感じることを学ぶ」と書きました。友情は共同体感覚の訓練の場です。そしてアドラーにとって、人が勇気を持てるのは「自分は役に立っている」と感じるときです。今のあなたに置き直すと、「友達を作る」を目標にするより、「誰かの役に立つ場面を一つ作る」ほうが近道になります。関係は、貢献の副産物としてついてきます。

北米先住民(Hózhó/Mino-Bimaadiziwin)

見出しのホジョー(Hózhó)はディネ(ナバホ)、ミノ・ビマーディジウィン(Mino-Bimaadiziwin)はアニシナベの概念で、本マップでは北米先住民の複数の民族の言葉を一つの項目にまとめています。ここで引くのはそのうちラコタ(大平原の民族)の祈りで、ミタクエ・オヤシン(すべては私の親族)という言葉で結ばれます。親族は人間に限られず、動植物も土地も祖先も含まれます。人との関係に疲れたとき、人以外との関係が回復の入口になる、ということになります。犬、鉢植え、川沿いの道、毎朝同じ場所にいる鳥。それらと「関係を結ぶ」ことは比喩ではなく、この伝統では善く生きることの中身です。人間の友達が一人もいない日にも、親族はいます。

開花型——友を持てる人になる

アリストテレス

アリストテレス(紀元前4世紀のギリシャの哲学者)は、幸せを徳に即した魂の活動と定義しましたが、同時に、友人や健康といった外的な善も幸せに不可欠だと認めました。友がいなければ、他のすべてを持っていても生きることを選ぶ人はいないだろう、とまで言っています。ただし彼の言う友愛(フィリア)は、楽しさや利益のためのものより、徳を共有する友を最上とします。あなたの場面で言えば、人数ではなく、「同じものを大切にしている相手」を一人探すことになります。徳のある友は、自分を知る鏡になります。

世俗的人文主義

世俗的人文主義(神や来世を前提にせず、理性と共感で今ここの充実を目指す立場)は、修行法を持たない代わりに、宗教によらない集まりや儀礼を実践として重んじます。倫理文化協会やサンデー・アセンブリー(宗教によらない日曜の集会)がその例です。「宗教の共同体には入れないが、一人は寂しい」という人に、理性と共感だけを共有する場がありうる、ということになります。信じるものがなくても、集まる理由は作れます。

認識転換型——「孤独な私」という枠を疑う

禅

禅では、仏道を学ぶとは自己を学ぶことであり、自己を学ぶとは自己を忘れることだ、と道元が説いています。ここから言えるのは、孤独とは「自分」をとても強く意識している状態だと分かります。「誰にも必要とされていない私」という像を、朝から晩まで見つめている。只管打坐(しかんたざ。ただひたすら坐る)や作務(さむ。掃除や皿洗いを修行として行う)は、その像を消すのではなく、一つの動作に全部を置くことで、像を見つめる主体をほどく実践です。皿を洗っているあいだ、孤独な私はいません。

ストア派

ストア派(古代ギリシャ・ローマの哲学)は、自分次第のものとそうでないものを分けます。皇帝マルクス・アウレリウスは、人間は両手や両足のように協働のために生まれた、と考えました。今のあなたに置き直すと、相手が応じてくれるかどうかは自分次第ではなく、声をかけるかどうかは自分次第だ、という切り分けになります。誘って断られたことは、あなたの価値の判断材料ではありません。自分次第の側、つまり「今週一人に声をかける」だけを自分の課題にしてください。

除去・回復型——数を足すのをやめる

仏教(上座部)

『ダンマパダ』204偈に「健康は最上の利得、足るを知ることは最上の財、信頼できる人は最上の親族」とあります。上座部仏教(じょうざぶぶっきょう。パーリ語の経典を用いる仏教)は、「もっと友達が欲しい」という渇愛(かつあい。止まらない「もっと」の衝動)そのものを苦の正体と見ます。問題は友達の人数ではなく、信頼できる人が一人いるかどうか、になります。そして慈(メッタ。生きとし生けるものへの慈しみ)の瞑想は、相手がいなくても一人で育てられる関係の構えです。

エピクロス派

エピクロス派(古代ギリシャの哲学の学派)は、『主要教説』27で「知恵が生涯全体の至福のために備えるもののうち、はるかに最大のものは友愛の獲得である」と述べています。同時にこの学派は欲望を三つに分けます。自然で必要なもの、自然だが不要なもの、空虚なものです。あなたの場面で言えば、「一人の友」は自然で必要な欲望、「たくさんの友達」「人気」「誘われること」は空虚な欲望に近い、ということになります。空虚な欲望は限度がなく、満たしても苦を生みます。一人で足りる、という上限を知ることが、この伝統の幸せです。

神道

神道では、幸せは教義ではなく、祭りや暮らしの実践の中にあります。氏神(その土地の神)と氏子という関係は、親しさや相性を条件にしません。地域の祭り、神社の清掃、町内会の行事は、「友達」を要求しない参加の形だと分かります。同じ場で同じ動作をするだけで、関係の網の一本に入れます。話さなくていい関係から入る。祓(はら)いの発想で言えば、まず場に身を置いて、孤独というくもりが流れるのを待つのです。

贈与・応答型——関係は作るものではなく、受け取るもの

仏教(浄土)

浄土教(法然と親鸞が開いた仏教の流れ)では、人は欲や怒りを断てない凡夫(ぼんぶ)のままで救われ、念仏する者は御同朋(おんどうぼう。同じ仲間)と呼ばれます。親鸞は、信心が起こったときにはすでに摂取不捨(おさめとって捨てない)の光の中にある、と説きました。ここから言えるのは、「自分で関係を作らなければ」という自力の焦りをいったん置くことになります。あなたが誰とも話していない日にも、あなたは捨てられていない。その安心が先にあると、人に向かう足が軽くなります。

キリスト教

キリスト教では、幸せは自力で獲得するものではなく、神との交わりの中で贈り物(恩寵)として与えられます。アウグスティヌスは、人の心は神に安らうまで安らぎを得ない、と書きました。今のあなたに置き直すと、人間関係で埋めようとしている穴の一部は、人間では埋まらない種類の穴かもしれない、という見方になります。この伝統では、礼拝という共同体への身体的な参加が中心にあります。信じるかどうかの前に、毎週同じ場所に同じ人がいる、という形そのものが関係です。

副産物型——友達を目標にしない

実存主義

実存主義(キルケゴール、サルトル、フランクルらの哲学)は、人間にあらかじめ決まった本質はなく、死・孤独・自由といった根本条件を引き受けて自ら選ぶことを説きます。キルケゴール以降、「神の前の単独者」という、共同体に還元されない自己が強調されました。孤独は治すべき故障ではなく、人間なら誰もが持つ条件の一つだ、ということになります。友達がいても人は孤独です。その上で、誰と何を共にするかを選ぶ。選んだ関係は、埋め合わせの関係とは違います。

ユング(分析心理学)

ユング(スイスの精神科医)は、ペルソナ(社会に向けた仮面)と自分を同一視することを、幸せの妨げに挙げました。あなたの場面で言えば、「友達の多い人」というペルソナを演じようとして疲れている人がいる一方で、仮面を外した一人の時間に、自分の全体と向き合う作業が進んでいることもあります。ユングは人生の後半を内面化の時期と見ました。孤独な時間を、関係の失敗ではなく、個性化(自分の全体になっていく過程)の一部として読み直す余地があります。

制度・集計型——孤独は社会の問題

ケイパビリティ・アプローチ

哲学者ヌスバウムは、国が保障すべき10の中心的ケイパビリティ(実際に選べる生き方の幅)の一つに「連帯」を置きました。他者と共に、他者に向かって生きることができること、です。友達がいないことは本人の欠陥ではなく、連帯というケイパビリティが社会的に保障されていない状態だ、ということになります。居場所、相談窓口、地域の集まり。それらは施しではなく、保障されるべき幅です。使うことに引け目は要りません。

功利主義

功利主義(ベンサムやミルの思想)は、幸せを快から苦を引いた量とし、誰の苦も一人分として平等に数え、制度で苦を減らそうとします。ここから言えるのは、孤独の苦は、あなた一人の問題ではなく社会の総量の一部であり、制度で減らす対象だ、ということになります。孤独・孤立対策推進法は、この型の発想で作られています。あなたの苦は、数えられる側にいます。

今日からできる三つのこと

試すなら、この中から一つ。伝統の実践(瞑想・行・祈り)の代わりではなく、考え方に触れるための小さな入口です。

  1. 今日会う一人を「自分を人にしてくれている相手」として扱う。あいさつを、目を見て一度だけする(Ubuntu)
  2. 話さなくていい参加を一つ選ぶ。地域の清掃、図書館、神社の掃除、同じ時間の散歩。同じ場に身を置くだけでいい(神道)
  3. 人以外との関係を一本持つ。鉢植え、犬、川沿いの道。毎日同じ相手と向き合う(北米先住民(Hózhó/Mino-Bimaadiziwin))

こういうときは専門家へ

孤独が長く続き、眠れない、食欲がない、何をしても楽しめない、朝起きるのがつらい、という状態が二週間以上続くなら、それは孤独ではなくうつの可能性があります。心療内科・精神科、または精神保健福祉センターに相談してください。誰かと話したいだけのときは、よりそいホットライン(0120-279-338。24時間)があります。消えてしまいたい、死にたいという思いが浮かぶときは、いのちの電話、#いのちSOS(0120-061-338)に電話してください。内閣官房の孤独・孤立対策のサイト「あなたはひとりじゃない」には、チャットで相談できる窓口の一覧があります。高齢の方なら地域包括支援センター、若い方なら地域若者サポートステーション、地域の居場所については社会福祉協議会が窓口です。

つらさが強いとき・「消えてしまいたい」と感じるときは、どうかひとりで抱えないでください。まもろうよ こころ(電話・SNSの相談窓口一覧)/よりそいホットライン 0120-279-338(24時間・通話無料)。
ひとこと友達の数より、今日一人を人として扱ったかどうかです。

この悩みを含む30の悩みは、PDFでも読めます:各思想からの悩み相談30(PDF)

つながり ほかの保存版コレクションから、内容の近いもの

内容の近さをAIで自動計算して選んでいます。保存版コレクションの一覧 →

はぴテックの二枚の地図 発達段階×ウェルビーイング統合マップ → この幸福観マップの姉妹版。あちらは「縦に5段階を貫く翻訳辞書」で、同じ言葉が段階ごとに別の意味で聞こえる(875行×5段階)。