引用した言葉の典拠
本文で引用した言葉(65件)の典拠です。訳はすべて本書独自のもので、古典日本語の原典(道元・親鸞・日蓮・『論語』の書き下しなど)はそのまま載せています。「要確認」は、趣旨は確かだが章節や字句に不確かさが残るものです。
| 伝統 | 言葉 | 典拠 |
|---|---|---|
| 仏教(上座部) | 健康は最上の利得、足るを知ることは最上の財、信頼できる人は最上の親族。そして涅槃こそ最上の楽である。 | 『ダンマパダ』204偈 |
| 仏教(上座部) | 渇愛から憂いが生じ、渇愛から怖れが生じる。渇愛を離れた人に憂いはない。どうして怖れがあろうか。 | 『ダンマパダ』216偈 |
| 仏教(上座部) | 母が命をかけて一人子を守るように、生きとし生けるものすべてに対して、限りない慈しみの心を育てよ。 | 『スッタニパータ』1.8『慈経』(Sn 149偈) |
| 禅 | 所謂坐禅は習禅には非ず、唯是れ安楽の法門なり。菩提を究尽するの修証なり。 | 道元『普勧坐禅儀』 |
| 禅 | 仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。 | 道元『正法眼蔵』「現成公案」 |
| 禅 | 何も外に求めることのない人こそ貴い人である。ただ、わざとらしいことをするな。ただ、あたりまえでいよ。 | 『臨済録』示衆 |
| 禅 | 衆生本来仏なり 水と氷の如くにて 水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし | 白隠慧鶴『坐禅和讃』冒頭 |
| 仏教(浄土) | 善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。……他力をたのみたてまつる悪人、もとも往生の正因なり。 | 唯円編『歎異抄』第3条(悪人正機) |
| 仏教(日蓮) | 法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかず、みず、冬の秋とかへれる事を。 | 日蓮『妙一尼御前御消息』(1275) |
| ヒンドゥー(ヴェーダーンタ) | 夫が愛しいのは夫のためではなく、アートマンのためである。……一切が愛しいのは一切のためではなく、アートマンのためなのだ。 | 『ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド』2.4.5(ヤージュニャヴァルキヤとマイトレーイーの対話) |
| ヒンドゥー(ギーター) | 汝の権利は行為にのみあり、その結果には決してない。行為の結果を動機とするな。かといって無為に執着するな。 | 『バガヴァッド・ギーター』2.47 |
| ヒンドゥー(ギーター) | それは欲望であり、それは怒りである。激質から生じ、貪り食い、大いなる悪をなすもの。これをこの世における敵と知れ。 | 『バガヴァッド・ギーター』3.37 |
| 儒教(原始) | 学びて時に之を習う、亦説ばしからずや。朋有り遠方より来たる、亦楽しからずや。人知らずして慍みず、亦君子ならずや。 | 『論語』学而第一・第1章 |
| 儒教(原始) | 之を知る者は之を好む者に如かず、之を好む者は之を楽しむ者に如かず。 | 『論語』雍也第六・第20章 |
| 儒教(原始) | 君子に三楽有り、天下に王たるは与らず。父母倶に存し兄弟故無きは一の楽しみ、仰いで天に愧じず俯して人に怍じざるは二の楽しみ、天下の英才を得て之を教育するは三の楽しみなり。 | 『孟子』尽心章句上・第20章 |
| 新儒教 | 飲食するのは天理である。美味を求めるのは人欲である。 | 『朱子語類』巻十三(学七・力行) |
| 道家(老荘) | 道は常に無為にして、而も為さざるは無し。 | 『老子』第37章(王弼本) |
| 道家(老荘) | 名と身と孰れか親しき。身と貨と孰れか多き。…足るを知れば辱められず、止まるを知れば殆うからず、以て長久なるべし。 | 『老子』第44章 |
| 道家(老荘) | 至楽は楽無く、至誉は誉れ無し。 | 『荘子』外篇・至楽第十八 |
| 道家(老荘) | 時に安んじて順に処れば、哀楽も入ること能わず。古はこれを帝の懸解と謂う。 | 『荘子』内篇・養生主第三(大宗師第六にも同句) |
| 道教 | 是れを根を深くし柢を固くし、長生久視の道と謂う。 | 『老子』第59章 |
| ユダヤ教 | 私は今日、命と死、祝福と呪いをあなたの前に置いた。命を選びなさい。あなたも子孫も生きるために。 | 『申命記』30:19 |
| ユダヤ教 | 誰が富める者か。自分の取り分を喜ぶ者だ。 | 『ミシュナ』アヴォート4:1(ベン・ゾマの言葉) |
| ユダヤ教 | 自分にとって嫌なことを、隣人にするな。これがトーラーの全体であり、あとはその注釈だ。行って学べ。 | 『バビロニア・タルムード』シャバット31a(ヒレルの言葉) |
| カバラ・ハシディズム | 神から空いている場所は、どこにもない。 | 『ティクネイ・ゾーハル』第57ティクン(91b。第70ティクンにも類句)(要確認) |
| キリスト教 | 幸いなるかな、心の貧しい者。天の国はその人たちのものである。幸いなるかな、悲しむ者。その人たちは慰められる。 | 『マタイによる福音書』5:3-4(山上の垂訓・八福) |
| キリスト教 | あなたは私たちを、あなたに向けてお造りになった。だから私たちの心は、あなたのうちに安らうまで安らぎを得ない。 | アウグスティヌス『告白』第1巻1.1 |
| キリスト教 | 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら何の得があろうか。 | 『マタイによる福音書』16:26 |
| キリスト教観想的伝統 | 私たちの命も死も、隣人とともにある。兄弟を得るなら神を得たのであり、兄弟をつまずかせるならキリストに罪を犯したのである。 | 『師父たちの言葉(アポフテグマタ)』アルファベット順集、アントニオス9 |
| イスラム教 | 本当に、神を想起すること(ズィクル)によってこそ、心は安らぐ。 | 『クルアーン』13:28 |
| スーフィズム | 聞け、この葦笛がどのように嘆きを語るかを。別れの数々を、それは物語っている。 | ルーミー『精神的マスナヴィー』第1巻 冒頭1-2行(「葦笛の歌」) |
| アリストテレス | 人間にとっての善とは、徳に即した魂の活動である。しかもそれは完全な生涯においてのことだ。一羽の燕が春を作らないように、一日や短い時間が人を幸福にするのではない。 | 『ニコマコス倫理学』第1巻第7章1098a16-20 |
| アリストテレス | 幸福は明らかに外的な善をも必要とする。資力がなければ、立派な行為をなすのは不可能か、少なくとも容易ではないからだ。 | 『ニコマコス倫理学』第1巻第8章 1099a31-33 |
| アリストテレス | 学んでから行うべきことを、われわれは行いながら学ぶ。家を建てることで建築家になるように、正しい行為を行うことで正しい人になるのだ。 | 『ニコマコス倫理学』第2巻第1章 1103a32-b2 |
| ストア派 | 人を動揺させるのは物事そのものではなく、物事についての判断である。 | エピクテトス『提要(エンケイリディオン)』5 |
| ストア派 | 存在するもののうち、あるものは私たち次第であり、あるものは私たち次第ではない。 | エピクテトス『提要(エンケイリディオン)』1.1 |
| ストア派 | 私たちは協働のために生まれた。両足のように、両手のように、まぶたのように、上下の歯の列のように。 | マルクス・アウレリウス『自省録』2.1 |
| エピクロス派 | 死は私たちにとって何ものでもない。私たちが存在するとき死はまだ来ておらず、死が来たとき私たちはもういないのだから。 | エピクロス『メノイケウス宛書簡』125(ディオゲネス・ラエルティオス10.125)/『主要教説』2 |
| エピクロス派 | 知恵が生涯全体の至福のために備えるもののうち、はるかに最大のものは友愛の獲得である。 | エピクロス『主要教説』27(ディオゲネス・ラエルティオス10.148) |
| キュニコス派・ピュロン主義 | 子どもが両手で水をすくって飲むのを見て、ディオゲネスは頭陀袋から椀を投げ捨てて言った。「子どもに、質素さで負けた」 | ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』6.37 |
| 功利主義 | 誰もが一人として数えられ、誰も一人以上には数えられない。 | Mill, Utilitarianism (1863) 第5章(ベンサムの言葉としてミルが引用) |
| 功利主義 | 自分は幸福かと自問すれば、その瞬間に幸福ではなくなる。 | Mill, Autobiography (1873) 第5章 |
| ニーチェ | 生きる「なぜ」を持つ者は、ほとんどどんな「いかに」にも耐えられる。——人間は幸福を求めはしない。イギリス人だけがそうするのだ。 | Nietzsche, Götzen-Dämmerung (1889)「箴言と矢」12 |
| 実存主義 | 実存は本質に先立つ。 | Sartre, L'existentialisme est unhumanisme (1946) |
| 実存主義 | 人間は自由であるよう宣告されている。 | Sartre, L'existentialisme est unhumanisme (1946) |
| 実存主義 | 人からすべてを奪うことができても、ただ一つ奪えないものがある。与えられた状況のなかで自分の態度を選ぶという、人間の最後の自由である。 | Frankl, Man's Search forMeaning (英訳1959/原著 EinPsychologe erlebt dasKonzentrationslager 1946) 第1部 |
| 実存主義 | シーシュポスは幸福なのだと想像しなければならない。 | Camus, Le Mythe de Sisyphe(1942) 末尾 |
| プラグマティズム | 成長は、さらなる成長以外の何ものにも相対的ではない。それゆえ教育は、さらなる教育以外の何ものにも従属しない。 | Dewey, Democracy andEducation (1916) 第4章「成長としての教育」 |
| ケイパビリティ・アプローチ | 実際に得られるものや、得られると見込めるものへの心の反応は、しばしば過酷な現実との妥協を含んでいる。 | Sen, Commodities andCapabilities (1985) pp.21–22 |
| ケイパビリティ・アプローチ | 他者と共に、他者に向かって生きること。他の人間を認め、気づかいを示すことができること。 | Nussbaum, CreatingCapabilities (2011) 第2章 10の中心的ケイパビリティ「連帯(Affiliation)」 |
| アドラー(個人心理学) | 私的な意味は、実のところ意味ではまったくない。意味は伝え合いのなかでのみ成り立つ。 | Adler, What Life Should Meanto You (1931) 第1章 |
| アドラー(個人心理学) | 劣等感はある程度まで私たち全員に共通している。誰もが、改善したいと望む状況の中に自分を見いだすからだ。 | Adler, What Life Should Meanto You (1931) 第3章「Feelingsof Inferiority and Superiority」 |
| アドラー(個人心理学) | 私たちは友情のなかで、他者の目で見、他者の耳で聞き、他者の心で感じることを学ぶ。 | Adler, What Life Should Meanto You (1931) 第12章「Love andMarriage」(共同体感覚の訓練としての友情) |
| ユング(分析心理学) | 幸せな人生にも一定の暗さは欠かせないし、「幸せ」という言葉は、悲しみと釣り合っていなければ意味を失うだろう。 | Jung, インタビュー「The Art ofLiving」(Gordon Young,1960)。McGuire & Hull (eds.)C. G. Jung Speaking (1977) pp.451-452 |
| ユング(分析心理学) | 神経症はつねに、正当な苦しみの代用品である。 | Jung, Psychology and Religion(1938, テリー講義) CW 11 §129 |
| ユング(分析心理学) | 人は光の像を思い描くことによってではなく、闇を意識化することによって明るくなる。 | Jung, Der philosophischeBaum (1945/1954)『哲学の木』CW 13 §335 |
| ユング(分析心理学) | 人生の午後にもそれ固有の意味がなければならず、人生の午前の哀れな付け足しであってはならない。 | Jung, Die Lebenswende(1930/31)「人生の転換期」(英題The Stages of Life)CW 8 §787 |
| Ubuntu | 人は、人々を通して人になる。 | isiZulu/isiXhosaの定型句。南アフリカ憲法裁判所 S vMakwanyane (1995) para. 308(Mokgoro裁判官)が引用 |
| Ubuntu | 私の人間性は、あなたの人間性のなかに、解きほぐせないほど結び込まれている。 | Tutu, D., No Future WithoutForgiveness (1999) 第2章 |
| Ubuntu | それは、人が人であるという地位を認める。共同体の成員から無条件の敬意・尊厳・価値・受容を受ける資格をもつ、という地位である。 | S v Makwanyane and Another1995 (3) SA 391 (CC), para. 224(Langa裁判官) |
| アフリカ哲学の共同体主義 | 人には助けが要る。 | Akan(ガーナ)の格言。Gyekye, K., 'African Ethics',Stanford Encyclopedia ofPhilosophy(2010)で引用 |
| スマック・カウサイ | 今日はあなたのために、明日は私のために。 | アンデスの互酬(ayni)を表すケチュア語圏の言い回し。正書法と初出は地域差があり本調査で一次資料未確認(要確認) |
| マオリ | 人は消え去っても、土地は残る。 | マオリのwhakataukī。Mead &Grove, Ngā Pēpeha a ngāTīpuna (2001) 収録 |
| アイヌ | 天から役目なしに降ろされたものは、ひとつもない。 | アイヌに伝わる言葉として広く流通(萱野茂の伝えた言葉とされることが多い)。一次資料での初出は本調査で未確認(要確認) |
| 北米先住民(Hózhó/Mino-Bimaadiziwin) | すべては私の親族。 | Lakotaの祈り・儀礼の結句(定型句)。表記はLakota LanguageConsortium式 |