世界の思想と宗教の幸福観マップ

各思想からの悩み相談30

引用した言葉の典拠

本文で引用した言葉(65件)の典拠です。訳はすべて本書独自のもので、古典日本語の原典(道元・親鸞・日蓮・『論語』の書き下しなど)はそのまま載せています。「要確認」は、趣旨は確かだが章節や字句に不確かさが残るものです。

伝統言葉典拠
仏教(上座部)健康は最上の利得、足るを知ることは最上の財、信頼できる人は最上の親族。そして涅槃こそ最上の楽である。『ダンマパダ』204偈
仏教(上座部)渇愛から憂いが生じ、渇愛から怖れが生じる。渇愛を離れた人に憂いはない。どうして怖れがあろうか。『ダンマパダ』216偈
仏教(上座部)母が命をかけて一人子を守るように、生きとし生けるものすべてに対して、限りない慈しみの心を育てよ。『スッタニパータ』1.8『慈経』(Sn 149偈)
禅所謂坐禅は習禅には非ず、唯是れ安楽の法門なり。菩提を究尽するの修証なり。道元『普勧坐禅儀』
禅仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。道元『正法眼蔵』「現成公案」
禅何も外に求めることのない人こそ貴い人である。ただ、わざとらしいことをするな。ただ、あたりまえでいよ。『臨済録』示衆
禅衆生本来仏なり 水と氷の如くにて 水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし白隠慧鶴『坐禅和讃』冒頭
仏教(浄土)善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。……他力をたのみたてまつる悪人、もとも往生の正因なり。唯円編『歎異抄』第3条(悪人正機)
仏教(日蓮)法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかず、みず、冬の秋とかへれる事を。日蓮『妙一尼御前御消息』(1275)
ヒンドゥー(ヴェーダーンタ)夫が愛しいのは夫のためではなく、アートマンのためである。……一切が愛しいのは一切のためではなく、アートマンのためなのだ。『ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド』2.4.5(ヤージュニャヴァルキヤとマイトレーイーの対話)
ヒンドゥー(ギーター)汝の権利は行為にのみあり、その結果には決してない。行為の結果を動機とするな。かといって無為に執着するな。『バガヴァッド・ギーター』2.47
ヒンドゥー(ギーター)それは欲望であり、それは怒りである。激質から生じ、貪り食い、大いなる悪をなすもの。これをこの世における敵と知れ。『バガヴァッド・ギーター』3.37
儒教(原始)学びて時に之を習う、亦説ばしからずや。朋有り遠方より来たる、亦楽しからずや。人知らずして慍みず、亦君子ならずや。『論語』学而第一・第1章
儒教(原始)之を知る者は之を好む者に如かず、之を好む者は之を楽しむ者に如かず。『論語』雍也第六・第20章
儒教(原始)君子に三楽有り、天下に王たるは与らず。父母倶に存し兄弟故無きは一の楽しみ、仰いで天に愧じず俯して人に怍じざるは二の楽しみ、天下の英才を得て之を教育するは三の楽しみなり。『孟子』尽心章句上・第20章
新儒教飲食するのは天理である。美味を求めるのは人欲である。『朱子語類』巻十三(学七・力行)
道家(老荘)道は常に無為にして、而も為さざるは無し。『老子』第37章(王弼本)
道家(老荘)名と身と孰れか親しき。身と貨と孰れか多き。…足るを知れば辱められず、止まるを知れば殆うからず、以て長久なるべし。『老子』第44章
道家(老荘)至楽は楽無く、至誉は誉れ無し。『荘子』外篇・至楽第十八
道家(老荘)時に安んじて順に処れば、哀楽も入ること能わず。古はこれを帝の懸解と謂う。『荘子』内篇・養生主第三(大宗師第六にも同句)
道教是れを根を深くし柢を固くし、長生久視の道と謂う。『老子』第59章
ユダヤ教私は今日、命と死、祝福と呪いをあなたの前に置いた。命を選びなさい。あなたも子孫も生きるために。『申命記』30:19
ユダヤ教誰が富める者か。自分の取り分を喜ぶ者だ。『ミシュナ』アヴォート4:1(ベン・ゾマの言葉)
ユダヤ教自分にとって嫌なことを、隣人にするな。これがトーラーの全体であり、あとはその注釈だ。行って学べ。『バビロニア・タルムード』シャバット31a(ヒレルの言葉)
カバラ・ハシディズム神から空いている場所は、どこにもない。『ティクネイ・ゾーハル』第57ティクン(91b。第70ティクンにも類句)(要確認)
キリスト教幸いなるかな、心の貧しい者。天の国はその人たちのものである。幸いなるかな、悲しむ者。その人たちは慰められる。『マタイによる福音書』5:3-4(山上の垂訓・八福)
キリスト教あなたは私たちを、あなたに向けてお造りになった。だから私たちの心は、あなたのうちに安らうまで安らぎを得ない。アウグスティヌス『告白』第1巻1.1
キリスト教人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら何の得があろうか。『マタイによる福音書』16:26
キリスト教観想的伝統私たちの命も死も、隣人とともにある。兄弟を得るなら神を得たのであり、兄弟をつまずかせるならキリストに罪を犯したのである。『師父たちの言葉(アポフテグマタ)』アルファベット順集、アントニオス9
イスラム教本当に、神を想起すること(ズィクル)によってこそ、心は安らぐ。『クルアーン』13:28
スーフィズム聞け、この葦笛がどのように嘆きを語るかを。別れの数々を、それは物語っている。ルーミー『精神的マスナヴィー』第1巻 冒頭1-2行(「葦笛の歌」)
アリストテレス人間にとっての善とは、徳に即した魂の活動である。しかもそれは完全な生涯においてのことだ。一羽の燕が春を作らないように、一日や短い時間が人を幸福にするのではない。『ニコマコス倫理学』第1巻第7章1098a16-20
アリストテレス幸福は明らかに外的な善をも必要とする。資力がなければ、立派な行為をなすのは不可能か、少なくとも容易ではないからだ。『ニコマコス倫理学』第1巻第8章 1099a31-33
アリストテレス学んでから行うべきことを、われわれは行いながら学ぶ。家を建てることで建築家になるように、正しい行為を行うことで正しい人になるのだ。『ニコマコス倫理学』第2巻第1章 1103a32-b2
ストア派人を動揺させるのは物事そのものではなく、物事についての判断である。エピクテトス『提要(エンケイリディオン)』5
ストア派存在するもののうち、あるものは私たち次第であり、あるものは私たち次第ではない。エピクテトス『提要(エンケイリディオン)』1.1
ストア派私たちは協働のために生まれた。両足のように、両手のように、まぶたのように、上下の歯の列のように。マルクス・アウレリウス『自省録』2.1
エピクロス派死は私たちにとって何ものでもない。私たちが存在するとき死はまだ来ておらず、死が来たとき私たちはもういないのだから。エピクロス『メノイケウス宛書簡』125(ディオゲネス・ラエルティオス10.125)/『主要教説』2
エピクロス派知恵が生涯全体の至福のために備えるもののうち、はるかに最大のものは友愛の獲得である。エピクロス『主要教説』27(ディオゲネス・ラエルティオス10.148)
キュニコス派・ピュロン主義子どもが両手で水をすくって飲むのを見て、ディオゲネスは頭陀袋から椀を投げ捨てて言った。「子どもに、質素さで負けた」ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』6.37
功利主義誰もが一人として数えられ、誰も一人以上には数えられない。Mill, Utilitarianism (1863) 第5章(ベンサムの言葉としてミルが引用)
功利主義自分は幸福かと自問すれば、その瞬間に幸福ではなくなる。Mill, Autobiography (1873) 第5章
ニーチェ生きる「なぜ」を持つ者は、ほとんどどんな「いかに」にも耐えられる。——人間は幸福を求めはしない。イギリス人だけがそうするのだ。Nietzsche, Götzen-Dämmerung (1889)「箴言と矢」12
実存主義実存は本質に先立つ。Sartre, L'existentialisme est unhumanisme (1946)
実存主義人間は自由であるよう宣告されている。Sartre, L'existentialisme est unhumanisme (1946)
実存主義人からすべてを奪うことができても、ただ一つ奪えないものがある。与えられた状況のなかで自分の態度を選ぶという、人間の最後の自由である。Frankl, Man's Search forMeaning (英訳1959/原著 EinPsychologe erlebt dasKonzentrationslager 1946) 第1部
実存主義シーシュポスは幸福なのだと想像しなければならない。Camus, Le Mythe de Sisyphe(1942) 末尾
プラグマティズム成長は、さらなる成長以外の何ものにも相対的ではない。それゆえ教育は、さらなる教育以外の何ものにも従属しない。Dewey, Democracy andEducation (1916) 第4章「成長としての教育」
ケイパビリティ・アプローチ実際に得られるものや、得られると見込めるものへの心の反応は、しばしば過酷な現実との妥協を含んでいる。Sen, Commodities andCapabilities (1985) pp.21–22
ケイパビリティ・アプローチ他者と共に、他者に向かって生きること。他の人間を認め、気づかいを示すことができること。Nussbaum, CreatingCapabilities (2011) 第2章 10の中心的ケイパビリティ「連帯(Affiliation)」
アドラー(個人心理学)私的な意味は、実のところ意味ではまったくない。意味は伝え合いのなかでのみ成り立つ。Adler, What Life Should Meanto You (1931) 第1章
アドラー(個人心理学)劣等感はある程度まで私たち全員に共通している。誰もが、改善したいと望む状況の中に自分を見いだすからだ。Adler, What Life Should Meanto You (1931) 第3章「Feelingsof Inferiority and Superiority」
アドラー(個人心理学)私たちは友情のなかで、他者の目で見、他者の耳で聞き、他者の心で感じることを学ぶ。Adler, What Life Should Meanto You (1931) 第12章「Love andMarriage」(共同体感覚の訓練としての友情)
ユング(分析心理学)幸せな人生にも一定の暗さは欠かせないし、「幸せ」という言葉は、悲しみと釣り合っていなければ意味を失うだろう。Jung, インタビュー「The Art ofLiving」(Gordon Young,1960)。McGuire & Hull (eds.)C. G. Jung Speaking (1977) pp.451-452
ユング(分析心理学)神経症はつねに、正当な苦しみの代用品である。Jung, Psychology and Religion(1938, テリー講義) CW 11 §129
ユング(分析心理学)人は光の像を思い描くことによってではなく、闇を意識化することによって明るくなる。Jung, Der philosophischeBaum (1945/1954)『哲学の木』CW 13 §335
ユング(分析心理学)人生の午後にもそれ固有の意味がなければならず、人生の午前の哀れな付け足しであってはならない。Jung, Die Lebenswende(1930/31)「人生の転換期」(英題The Stages of Life)CW 8 §787
Ubuntu人は、人々を通して人になる。isiZulu/isiXhosaの定型句。南アフリカ憲法裁判所 S vMakwanyane (1995) para. 308(Mokgoro裁判官)が引用
Ubuntu私の人間性は、あなたの人間性のなかに、解きほぐせないほど結び込まれている。Tutu, D., No Future WithoutForgiveness (1999) 第2章
Ubuntuそれは、人が人であるという地位を認める。共同体の成員から無条件の敬意・尊厳・価値・受容を受ける資格をもつ、という地位である。S v Makwanyane and Another1995 (3) SA 391 (CC), para. 224(Langa裁判官)
アフリカ哲学の共同体主義人には助けが要る。Akan(ガーナ)の格言。Gyekye, K., 'African Ethics',Stanford Encyclopedia ofPhilosophy(2010)で引用
スマック・カウサイ今日はあなたのために、明日は私のために。アンデスの互酬(ayni)を表すケチュア語圏の言い回し。正書法と初出は地域差があり本調査で一次資料未確認(要確認)
マオリ人は消え去っても、土地は残る。マオリのwhakataukī。Mead &Grove, Ngā Pēpeha a ngāTīpuna (2001) 収録
アイヌ天から役目なしに降ろされたものは、ひとつもない。アイヌに伝わる言葉として広く流通(萱野茂の伝えた言葉とされることが多い)。一次資料での初出は本調査で未確認(要確認)
北米先住民(Hózhó/Mino-Bimaadiziwin)すべては私の親族。Lakotaの祈り・儀礼の結句(定型句)。表記はLakota LanguageConsortium式
はぴテックの二枚の地図 発達段階×ウェルビーイング統合マップ → この幸福観マップの姉妹版。あちらは「縦に5段階を貫く翻訳辞書」で、同じ言葉が段階ごとに別の意味で聞こえる(875行×5段階)。